未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




「世界は結局滅びなかった=マヤ暦「終末の日」は平穏(時事通信) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-121222X609.html

 【サンパウロ時事】中米で栄えたマヤ文明の暦に基づき、「人類滅亡の日」などとうわさされた21日、世界各地では目立った災害や事件事故も起きないまま、無事に22日を迎えた。具体的根拠なくはやし立てられた「世界の終末」は、どうやら杞憂(きゆう)に終わったようだ。


2012年12月21日の冬至が過ぎた。

どうやら、人類はまだ、生存することを許されているようだ。

「ニュートリノって、電車の屋根は通過できないんだろうな...」

首を竦め、恐怖に慄くサラリーマンに、

「人類滅亡?あぁ、あれって、アメリカのマヤって国だけで、日本は大丈夫らしいよ。」

そんなノー天気な福音が、朝の通勤電車で語られることもなく、全く何事もなかったかのように一日が過ぎ去った。


思えば、今から13年前。

西暦2000年問題を前に騒然とした年の瀬を迎えていた1999年の年末。

余り親しくはない親戚と食事の機会があったおり、まぁ、ちょっとしたトリビア的にシステムエンジニアとしての解説を披露していたところ、

「西暦2000年問題?そんなもの、何も起こるはずがない。」

と、とある年配男性から一刀両断に話を切り捨てられた。

ここぞとばかりに発せられたその言葉は、思いもよらぬ強い口調であり、完全に話の腰を折られた。

よほど、世間がバカ騒ぎしているのを、不愉快に思っていたのかもしれない。

だが当時、システム開発に関わっていた者にとってそれは、「何が起こっても不思議がない。」レベルの切迫した問題であり、世間の騒ぎようににはまだまだ、傍観者的なよそよそしさが感じられた。

実際に私がかかわっていたシステムでも、99年の年明けからは、全プログラムの日付にかかわる部分のロジックの見直しと改修/テストが実施され、秋には、メーカーが西暦2000年問題の検証を終えた最新バージョンのOSとともに、本稼働リリースされた。

そして、最終仕上げとして準備されたテスト機に、本番と全く同じ環境を構築し、システム日付を1999年12月31日に設定して、3日間の連続稼働検証試験を行った。

幸い、当日は現場待機とはならず、自宅から確認の電話を入れ、設備が正常に稼働している確認を取るだけで済んだ。

「どうです?順調に動いてますか?」
「ええ。今のところ、何も問題ないです。」
「設備はどうですか?」
「今は落ち着いてますが、さっきまでかなりの量が流れていて、何も問題なかったので、こちらも大丈夫だと思います。」

明けてみれば、自分のことは棚に上げ、大きな問題が全く発生していないことに、返って不自然さを感じたくらいである。

「おかしい。全世界のシステムが、こんなに完璧に動くはずがない。」

何事も起こらなかった報道を見て、ほろ酔い加減で「ほら、オレの言った通り、何も起こらなかっただろ。」との声が聞こえて来そうで悔しかった。

「何も起こらなかった」のではない。

世間が大騒ぎしたおかげで上層部の危機意識を煽り、早めの対応と、十分な物的/人的資源が投入されたこともあり、そうして集められたエンジニア達が「何事も起こらない」ように献身的に働いた結果、「何事もなかったかのように」平穏な生活が続けられたことを、忘れてはならない。


「システムが稼働してから256日目に、恐ろしいことが起こる。」

そう言われても、普通の人は

「呪いのビデオを見てから7日後に死ぬ。」

と同程度の、ジンクスなり都市伝説なりにしか聞こえないであろう。

だが、

「何か、システムで異常が発生しているようです。」

との連絡を受けたエンジニアが、今日が稼働後256日目であることに気付いたならば、ピンと来るものがあり、血の気が引くはずだ。

実際に、システム連続稼働256日目に、サーバーがクラッシュして、手痛い思いを経験している私のようなエンジニアにとって、それは身に染み付いたリアルな恐怖以外の何物でもない。


ひとが大声で危機を叫ぶ時に、それが世迷言にしか聞こえなかったとしても、その根底には実は、自分が知らないだけの、何らかの摂理が存在しているのかもしれない。

もしかすると、今、私が、こんなブログを書いていられるのも、世界のどこかで人知れず、世界を滅亡の危機から救ってくれた者の働きがあるのかもしれない。


「どうだ?」
「ええ。先ほど、長期歴が終了し、新たなサイクルに突入しましたが、何も問題は発生しておりません。」
「数学的な美しさを犠牲にしても、ヒッグス粒子を2種類に設定した物理系というのが、やはり有効のようだな。」
「ええ。最後まで壊滅せずに残ったのは、この1サンプルだけしたね。」
「これで、本番系の物理システムに改修を適用しても、大丈夫かね?」
「ええ。テストの有効性を高めるために、文明の発展速度を通常の10倍になるように操作した上でのこの結果ですので、通常の状態で、この均衡を破って壊滅状態に陥ることはあり得ません。」
「我々の干渉が、システムに影響を与えた可能性はないのかね?」
「一部の者が、我々の存在に気付いていたようですが、殆ど相手にされておらず、社会的な影響力も小さかったので、
結果には全く影響ありません。」
「他に何か懸念事項は?」
「じつはギリギリになって、ヒッグス粒子が2種類あることに気付いたものが現れました。」
「本当かね?」
「ええ、驚きました。いくら10倍とは言え、実験対象にそこまで気付かれるとは想像すらしていませんでした。」
「影響はないのかね?」
「ええ。それを確信しているのは、ほんの数人ですし、発表されたのも数日前です。」
「では、決定だな。」
「ええ。ところで、このテスト系はどうします?このまま破棄するのも、ちょっと気が引けるのですが。」
「この速度で資源を費やして行けば、どうせ後、数十年で自滅の道を辿るだろう。その責任は、今、生きているこの個体達にある。子孫の代に辛い思いをさせる方が、不憫だろう。」
「それもそうですね。では、後数日、報告用のデータを収集したら、シャットダウンさせましょう。」




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「僕は選挙後に逮捕されるかも」橋下・維新代表代行(朝日新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/K2012120900551.html

 なんで選挙運動をインターネットでやったらダメなんですか。公職選挙法に抵触するおそれがあると、候補者1500人もいるのに今みんなネット止めちゃった。僕だけがツイッターやってるんです。バカげた国ですよ、ほんとに。ネットがあれば皆さんどんどん政治家に直接文句言えるし、どんどん政治家に直接コミュニケーションとれる。これからの日本社会、重要な民主主義のツールになるはず。
 今のネット空間の重要性を考えたら、こんな公選法なんてバカげたルールは政治家が一喝して変えなきゃいけない。こんな状況を変えられない今までの政治家に何を期待するんですか。

全く同感だ。

「そういう法律がある以上、政治家たるもの、それを順守しなければならない。逮捕されて当然だ。」

との指摘をされた方。

私が同感だと言うのは、「こんな状況を変えられない今までの政治家に何を期待するんですか」の部分だ。

前半の部分については、ここで議論するつもりはない。


選挙戦真っ只中。の割りには、候補者名を連呼するだけの騒々しい選挙カーが少ない気がする。

もしかしてオバマばりにネットでの活動にシフトして来ているのか?

と、一瞬思ったが、民主党の策略で、乱立政党に準備の期間を与えなかったから。などの要因が大きいようだ。


「公職選挙法の改正」

これにそれほどの時間が必要とは思われない。

改正の内容が一般人に与える影響は、ほぼ0だ。

改正の結果、国民が我慢を強いられることもないし、不利益を被ることも考えられない。

改正を阻んでいる問題があるとすれば、政治家の身内での都合。ぐらいではないのか。

そしてなによりも「改正」を行うには、高度な技術革新も必要ないし、膨大な予算も必要無い。

自然環境に与える影響の専門的な長期予測も必要無いし、諸外国とのパワーバランスを鑑みる必要もない。


今回の選挙戦の焦点は、殆どの政党が「脱原発」を標榜しているので、「何年のうちに」とか「西暦何年までに」などでしか差を付けらないので、それぞれ勝手なことを言っているが、技術的な具体策については、何も聞こえて来ない。


「公職選挙法の改正」

それすら出来ない人々(誰なんだろう?)が、上記の問題を含め、ありとあらゆる困難を乗り越えなければ達成出来ない「脱原発」を唱えることの空虚さを、本人達はどの程度自覚しているのか。


NHKスペシャルでやっていたが、「復興支援予算」の使われ方が酷過ぎる。(googleで「復興支援予算 使い道」で検索してみて欲しい)

今の政治。「脱原発」を標榜するものが圧倒的な支持を得て当選したとしても、出来ることと言えば、膨大な「脱原発予算」を打ち立てる所までであろう。

その後は、各省庁で予算を取り合い、再分化され、その殆どが既得権益の中に消えて行く。

そういった基本的な部分の改革が出来ない状態では、何一つ、成し遂げることなど出来ない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ドラマ版『鈴木先生』を観ている。
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei_drama/

今やっている、深夜の再放送だ。

昨夜で、第8話だ。

これ、面白い。

たまたま、深夜に点けたテレビでやっているのを見て、ハマった。それ以来、録画して観ている。

こう言うのを見ると、面白いのに見逃してしまっているドラマが、もっと沢山あるんじゃないかと、不安になって来る。

ドラマの内容については、ここでは取り上げない。

今日、書きたかったのは照明だ。

このドラマ、照明が面白い。

まぁちょっと、自分で書いていてナンだが、「ドラマの照明が面白い」とかなんとか。。。


2~3週間ほど前、満島ひかり関連の記事でネットしていて、ある映画批評サイトに行き着いた。

「映画研究塾」
http://movie.geocities.jp/dwgw1915/

ここの、映画批評が面白い。

映画を「映像芸術」の視点から評価している。

照明の様子がどう、カットがどう、などなど。

これだけ聞くと、なんか理屈っぽいサイトのように聞こえるかもしれない。

「映画なんか、見て、面白ければいーんだよ。やれ、照明がどうの、カットがどうのと理屈を捏ねて映画を評価するのは、どーたら、こーたら・・・」と。

私が自分で、今書いているこの文章を読んだら、同じように思ったと思う。だが、ここのサイトはちょと違うので訪れてみて欲しい。

世間の常識的な風評は全く意に介さず、自分の感性で「面白いものは面白い。」「つまらないものはつまらない。」と、断言している。

口調が挑発的なので、反感を持つ人も多いようだが、「なぜもっと皆、映画の素晴らしさを解ろうとしないのか?」との遣る瀬無い思いが憤りに転じているだけで、その語間には映画に対する深い愛着が溢れている。

彼の論理的な解説は、決して自分の知識を自慢するためのものではないし、増しては他を批判するためのものでもない。

映画には色々な見方があることを、決して否定しているわけではない。

彼の様な観方が出来、そのような映画を創った人々を、その功績を、称賛する人が余りにも少ないが故に、その忘れられがちな、忘れられるには余りにも貴重な映画の側面を、ついつい、強調してしまうのであろう。

「この映画、確かに面白いけど、ここの、こういう所も観て欲しい。」程度のテンションでは、もはや何も伝わらないとの使命感に燃える余りに、孤高の道を突き進んでいるように見受けられる。


仮に、全く色を感知することが出来ない、完全に白黒の世界しか見れない者がいたとしても、彼には「印象派」の絵画を他の絵画の中から識別することが可能であろう。

点描や、今までに無い大胆な筆遣いや、光の描写。浮世絵に影響を受けた斬新な構図などに、それなりの新しさや、感動すら覚えることが可能であろう。

「絵なんて、自分が観て、楽しめればそれでいーんだよ。俺は満足している。」と、彼が言っていたとしても、色を見ることが出来る者ならばやはり、この豊かな色彩を味わうことが出来れば、もっと楽しめるのに。と、思うに違いない。

もし、可能であれば、彼に色の見方を教えてあげたい。と思うはずだ。


「映画研究塾」が訴えているのは、そう言うことだと思う。

映画にこう言う素晴らしい面があることを、もっと皆に知って欲しい。と。


『鈴木先生』を観ていて、ふと、「この照明、面白いね。」と思った。

これが、『照明』というものなのか?

今回であれば、冒頭のプロポーズのシーンの、誰にでも解る照明の切り替えに始まり、職員室の空気が一気に冷え込む様を、視覚的に補っている照明の変化。

小川の空手のシーンでは、ちゃんと霧が流れている。

恐らくこのドラマでは、照明にそういった要素があることを、誰にでも解るようなレベルから、放送室(?)での悪だくみのシーンのラストの、微妙な色彩の揺れのように、辛うじて、解るか?解らないか?のレベルのものまでを散りばめて、皆に照明というものの素晴らしさに、気付いて欲しいと思っているに違いない。

・・・違いない。いや、違うかな?

突然、画面の中央に、足子先生が現れた衝撃など、愕然の思いがある。

やっぱり、普通のドラマぢゃないよな?

・・・いや、これで普通なのか?

ちょっと心配になって来たので調べてみた。

「実は鈴木先生の照明スタッフさんは、トウキョウソナタと同じかたなんです。」と、『土屋太鳳』のブログに書いてある。

『つちやふうた』って誰?・・・いや、今は話が逸れるのでやめておこう。

注目は『トウキョウソナタ』だ。『映画研究塾』でも絶賛していた。

やはり、タダものではなかったようだ。

そして、『映画研究塾』を読んでいなかったら、私がそれに気付くことすら、なかったと思う。

『映画研究塾』に感謝しているし、『鈴木先生』のスタッフの方にも感謝している。

人生が豊かになった。これでまたしばらく、生き延びて行けそうだ。


P.S.

「たお」のブログも伝わるよ。うらやましい限りだ。ありがとう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )