未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




新番組が始まった。

この週末、溜まっていた録画を見ていて、気になった娘がいる。

黒島結菜」と「永野芽郁」だ。

演技の感じが私の好みだ。

どちらもコミカルでテンポの良いドラマを、コミカルでテンポ良く演じている。

こえ恋」での永野は、そのクリクリとした瞳と、ちょっとフワっとした口回りから生まれる、豊かな表情が印象的だ。

そして、「ちょっと考えながら」と言った感じのセリフを、「ちょっと考えながら」と言った感じの表情で唱えた直後に、クリっとカメラに視線を据えて、「ぱっ」とした感じのセリフを、「ぱっ」とした感じの表情で言い終えたかどうかぐらいに、また一変して魅惑的な微笑みに変わる。

とにかく、表情が豊かなのだが、視線を変えるだけで、その表情が、その印象が、パっと切り変わる。

その時のセリフ、その時の感情表現にフィットした表情が、2・3秒置きに入れ替わる。と、いった印象だ。

だが、その一つ一つは、それほど大袈裟な演技をしているわけではないので、嫌味にならない。

普通に見ていれば、普通の可愛い娘がそこに居るだけなのだが、一たびその豊かな表情の移り変わりに取り憑かれてしまうと、表情が切り替わる度に、ワクワクされっ放しになる。


一方、「時をかける少女」の黒島は、まず、体全体での演技があり、それにセリフがスムーズに乗っている。

終始、体が動いていて、体全体の演技から、独りでにセリフが出ているような印象だ。

時々、その間合いに僅かなぎこちなさがあるのだが、それすら日常生活の中に普通に存在するレベルであるがために、返ってそれにリアリティを感じてしまう。

普段あまり日本のドラマを見ないので、この潮流がいつ頃からのものか解らないのだが、恐らくは彼女達が観て育ったドラマになんらかの規範があり、演技というものはそういうものである。との共通認識があるのであろう。

そしてそれは、彼女たちのみが持つ特権ではなく、製作者サイドにも、どんどん新たな潮流が流れ込んで来ている。

そして忘れてならないのは、視聴者もまた、そういったドラマを観て育った世代に、どんどん入れ替わって行くであろうと言うことだ。

最近のドラマで視聴率が悪いことばかりが伝えられ、そもそも、若者がドラマを観ないからだ。若者がドラマを観ないのは、SNSに時間を取られていて、ドラマを観る時間がないからだ。と、安易な結論に飛びつく前に、そもそもドラマを観るよりも、SNSに時間を割く方が楽しいから。との根源的な理由をちゃんと考えて欲しい。

彼女達と同じようなドラマ経験を積んで来た若者たちには、旧来通りの「私は女優よ」と自意識の強い演技や、逆に視聴者を軽く見たストーリーを追うだけの「解りやすい」演出などに、白々しさを感じているのではないだろうか。

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