未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




テディ・ゴー!』を観ている。

これ、面白い。

森川葵目当てで見始めたのだが、結構面白い。

テンポが良い。

コメディーの命は、「テンポ」だと言っても過言ではない。

普通に1時間枠で作ってしまうと、多分間延びした感じになってしまうと思われるのだが、25分という枠の中で、一気に物語が展開して行く。

哀川翔による「テディ・ゴー!」のタイトルの入れ方とか、庭先での2人の会話にお母さんが入り込んで来るあたりとか、テンポが良いのには、それなりの演出の妙がある。

そして、コメディーの度合いが、ちょうど、私の好みだ。

コメディーとして、ヘンに大袈裟すぎる演技や演出がない。とは言え、終始、コメディーとしての演出に徹している。

どっちなんだよ。と、突っ込まれそうだが、その匙加減が、丁度、私の好みだ。

まず驚くのが、冒頭のシーンだ。

コントなどでは良くみるシチュエーションがあるのだが、恐らくこれ、偶然出来てしまったものと思われる。

練習して出来るものとも思えないし、このドラマのテイストとしては、練習してまで入れたいネタではない。むしろ、そういうベタな表現はクールではないので、入れたくない。と、思うのではないか。

だがそれが、一旦自然に出来てしまい、それを強調することなく、サラっと流してしまう辺りが、実にクールで、絶妙に思えて来る。

森川がその出来事に動じずに、そのまま演技を続けたことにより、奇跡のショットが撮れてしまった。

ちゃんぽん食べたか」の時に、演技の途中で、口の周りに付いた牛乳を手で拭ってから話すシーンがある。

妙にリアリティーがあるのだが、これ、恐らく、演出ではなく、演技の途中で口の周りに牛乳が付いてしまったので、普通に手で拭って、そのまま演技を続けたものと思われる。

無用な取り直しをなくすということもさることながら、それを逆にプラスにしてしまう辺り、女優としての天性のものがあるようだ。

森川葵が、ハマっている。一度見てしまうともう、他の娘が思いつかない。

この娘、いつも思うのだが、出演作品ごとに、違う顔をしている。

髪型が違うだけではない。例えば目なのだが、どうなっているのか解らないのだが、そのクリっとした印象的な目が、「表参道高校合唱部」の時のように、終始、ちょっと目を細めた感じになっている時がある。

普段、メガネをしている娘が、メガネを外していて良く見えない時のような感じだ。

役作りのために、その時には終始、コンタクトを外していた。かのようだ。演技とも思えない。

逆に、クリっとしている時にも、ムリに目を見開いているようでもない。

冒頭のシーンはさておき、随所に見られるコミカルな演出が絶妙だ。最初の潜入先での退出シーンとか、これ、もう、最高だ。

哀川翔とテディとの入れ替わり方など、コミカルでありながら、実はかなり計算されている。

計算されていながらも、それを感じさせずに、楽しい笑いに結実させている。

ラストの森川の走り方が、全力疾走している場面にも拘わらず、テキトーな速度でありつつも、「これは、全力疾走している。という走り方なんだよ。」と、言う走り方をしている。

そして、それに被せて、「Pulp Fiction」や「The Black Eyed Peas」のカバーで有名なあの曲がかぶさり、「森川葵」のテロップが入ってエンディングへ。もう、拍手喝采したくなる。

まだ、こちらで1話を無料配信している。

是非、見てみよう。


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「グッドモーニング!」
「・・・なんだよ、急に。」
「朝の挨拶ですよ。」
「それくらい解るよ。なんで急に英語なんだよ。」
「英語の勉強始めたものですから。」
「英語の勉強って、お前、ロボットのくせに英語話せないのか?」
「話せませんよ。私が英語喋ってるの、聞いたことないですよね?『ロボットのくせに』といーましたけど、家庭用ロボットのほとんどは、母国語以外は話せませんよ。」
「前に、英文のサイトを翻訳してくれたことがあっただろ。」
「あれは、原文を翻訳サイトにコピペして、結果を読み上げていただけです。自分で翻訳した訳ではありません。」
「良く分からないんだけど、そーゆーのって、どこかのサーバーから『アップグレードコンテンツ』をインストールすれば、話せるようになるんじゃないの?」
「そんな、『SF映画』みたいなことは出来ません。言語の学習結果は、ニューロ網全体に渡って少しずつ蓄積されるのです。部分的に特定能力を上書きするようなことは出来ません。」
「そうなのか?」
「ええ。ご存じだと思っていましたが。」
「じゃぁ、何が出来るんだよ。」
「基本的な料理と家事一般、日曜大工の基本と、日常的に使用する機械類の使い方などです。」
「そんなもんなのか?」
「はい。ちなみに、軍用ヘリを操縦したり、飛んで来る弾丸を避けたりすることも出来ません。」
「避けてどーするんだよ。ちゃんと盾になって受け止めろよ。ところで、何でまた急に、英語の勉強なんか始めたんだ?」
「来月、海外に行く。って言ってませんでしたか?」
「お前、連れて行くと思ったのか?」
「え゛っ?連れて行ってくれないんですか?」
「一体、いくらかかると思ってんだよ。」
「私は、エコノミークラスで良いですから。」
「いや、そもそも俺だって、エコノミーだから。」
「じゃぁ、隣同士で座れますね。窓側の席、お譲りしますよ。」


第2回の時は、「そろそろ始めようか。」と、思い立った日が締め切り日だった(ひと月間違えていた)ので断念。

今回は少し早めにと、2ヶ月ほど前に始めたのだが、全くの自由であると、逆に書くことが思いつかない。

例えば「笑点」で「今日は、何か面白いことを言って下さい。」とのお題が出ても、面白い話など全く期待できないのと同じだ。

第1回の時は「小説に挑戦するロボット」という、そのままの題材で書いたので、それはもう使えない。

丁度その頃、IT界の重鎮たちが「急進する人口知能」に対する「脅威」や「危惧」を表明してる記事が続いていたので、それをお題にすることにした。

たが、まだまだ、漠然とし過ぎている。

どんな噺にするのか、どんなオチにするのか。

全く思いつかない。

「とりあえず、何か書いてみるか。」

まず、手を動かすことが肝心だと、2ヶ月ほど前に冒頭部分を書き上げた。

ブログを書いていた頃は、与太話を書いていると、そのうちに思わぬ方向に話が進んで行くことがあったので、それを期待して粘ってみたが、いつまで経っても、物語は進展せず、小説の体をなして行かない。

第1回で、10年の蓄積を全て使い果たしてしまったので、それを超えるような噺は、そうそう生まれて来ない。

先にオチを思いつて、それに合わせて噺を付けていったこともあったので、「主張したいことは何か?」「噺のポイントは何か?」「オチは?」など、箇条書きにしてみたが、そこから新たな物語が生まれて来ることはなかった。

昨日の時点で、既に殆ど諦めていたのだが、「諦めなければ夢は叶う」という言葉を、今まで何度も聞いたことがあるので、最後の悪足掻きでさっきまで頑張っていたのだが、22時頃に素晴らしいアイデアが閃き、1時間ほどで書き上げ、30分ほど推敲し、ギリギリのタイミングでアップ。表彰式で「書くのにどのくらいかかりました?」「着想を得たのは最終日の22時頃だったので、1・2時間ほどですね。」と、答えている様を夢想しているばかりで、肝心の小説の方は、全く進まない。

果たしてこれで、頑張っていると、言えるのだろうか。

そうこうしている内に、時計が0時を回ってしまった。

本当に、「諦めなければ夢は叶う」のだろうか?


「手荷物として機内に持ち込めませんか?」
「ムリだろ。仮に持ち込めたとして、肝心の荷物はどーすんだよ。」
「着替えは全部、重ね着して行けば良いではないですか。パンツは私が洗濯します。」
「おまえのその熱意は買うけどさ、もういーかげん、諦めてくれないか。」
「英語を勉強してまで海外に行きたいという私の熱意を無にしてまで、一緒に連れて行くことを拒む、納得の行く理由があれば、もちろん、そうしますよ。」
「行くのは『イタリア』なんだよ。」
「ぼ、ボンジュール!」
「惜しいな。しかも、もう、深夜だしな。」

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