未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




「自然体でありながら尋常ならざる者」

ラッパーのイメージが変わった。

いや、彼だけが特殊な存在なのかもしれないが。


土曜の夜に、取り溜めてあったドラマを観終って、テレビのCHを地上波に戻した。

ふと、渋谷の街でラップしている一人の青年に目が留まった。

これって、大豆田のあの子だよな。

大豆田のエンディングが大好き。特に1話での、松たか子のエンディングコールでのドラマ終わりから連続してエンディングに入って行くあたり、最高に好き。

ボウリング場で一際目立っていた彼が、そのままラップを始め、今回は松たか子もラップに挑戦している。

「カルテット」のエンディングから、また一段と進化している。

妙な魅力のあるラップで、淡々と歌い上げる「キッドフレシノ」に、松たか子の歌声が、絶妙に被さって来る。

それだけでもう、ワクワクして来る。

誰の功績なんだかしれないけど、うっとりとするほど素敵だ。


スキンヘッドであること以外に自信を持てない(なんか、ちょっとイメージが違う)ので、それが彼であることを確認すべく、しばらく眺めていたのだが、ふと、別のことが気になりだした。

このご時世なので、ビデオの背景で歌っているようだが、体の動き(向き)と背景の動きがシンクロしている。

偶然かと思って、そこを注視して観ていると、意図的に合致させているようだ。

ただ、本人にそんなそぶりが一点も見られない。「LIVE」の表示があるので、後から合成したのでもない。360度ぐるっと廻りを囲まれた「仕掛け」の中で、自由気ままに歌っているのを撮影しているのでは?かなり大仕掛けだな。と。

と、そこでディスプレイが両側に開いた。

あれ?あれれ?と、ゆーことは、映像に合わせながら、歌っていたことになる。

「シブヤノオト」であるのは気付いていたのだが、その演出の妙に惹かれて見続けた。

「シブヤノオト」って、ちゃんと観たことないのに言うのもなんだが、たまに見かける時のその出演者が、自分のイメージする「シブヤ」とは、かなりずれている気がしていた。

なんとなく、NHKの若者向け音楽番組であるので、テキトーに「シブヤ」と付けているだけで、特に「シブヤ」にフィーチャーしているワケではなさそうだ。

と、そう感じていた。

MCが麒麟川島と土屋太鳳に代わったと聞いて、一層その感が深まっていた。

だが今回のそれは違っていた。自分のイメージする「シブヤノオト」を、私なんかの想像できるような何段階も上のレベルで、演じてくれている。

ディスプレイの後の、生バンドというのも意外であった。

ラップって、サンプリングとかしながらやるものだという感覚があったのだが、生バンドの中でのそれは、新鮮でありながらも、何の違和感もなく、むしろ心地よい。

照明がまた、シンプルなのに惹きつけらる。

その後のダンサーの現れ方とか、ちょっとしたことにセンスと配慮が行き届いている。

んー、なんか、タダものではない。

このダンサーこそ、自分のイメージするシブヤそのものだ。

身近で猥雑でありながらも、洗練され、そして何より、エネルギーが溢れ出している。

メンバー紹介。

今日のために集まった臨時雇いではなく、ずっと一緒に活動しているようだ。

どうやら、そういうスタイルらしい。

自分は基本、人間嫌いなので『バンドの仲間』とかの言葉が持つステレオタイプなイメージが苦手なのだが、今日は違った。

なんだか、もの凄くシンパシーが感じられる。終始にこやかなのも、なんかグッと来る。今までに見たことない笑顔、今までに感じたことの無い感情。

「一目惚れ」に近いのかもしれない。良く知らないし、理由も良く解らないんだが、その関係性に凄く惹かれる。

そして、「長谷川白紙」の登場。

完璧だ。

今までの流れ、そして「シブヤノオト」としての彼女の出演方法。

そして、登場後も少しずつ演出が変わって行く。

なんか、もの凄いことが起こっているとの高揚感に包まれたまま、至福の30分は終わってしまった。

これをLIVEで実現してしまう力。

全てがNHKのおかげだとは言わないが、民放であれば恐らく、前後に何人かのタレントを呼んで、不要なコメントで全てを台無しにしかねなかった。

素晴らしい番組をありがとう。

名前を知らない神に、感謝の祈りを捧げた。



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