未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle






雑文になってしまうが。

今日の「エール」に登場した「国防婦人会」

見た人は解ると思うが、観ていて「こわいね。」と、思う。

ドラマなので、大げさな脚色はあるのだろうが、鼻息荒く「お国のため」と息巻く班長さんが(というか、組織というか、その時の日本全体の風潮が)、皆を巻き込んで行く。

班長さんは自分が絶対に正しいと信じている。

参加しないものは「非国民」であるとして、悪と見做される。

簡単に一言では言えないが、このような自分が正しいと信じている声の大きい者が中心となり、廻りが段々と感化され、それがさも真理であるかのように流布される。

戦争中に限ったことではない。

現代では「ママ友」などにそれが見られる。

単にご近所で、近くの公園で良く会うからと、中の良い友達が出来るのだが、それがいつの間にか「ママ友」のグループに巻き込まれ、運が悪いとその中核的な者に振り回されることになる。

何となく、グループ内での常識的なものを吹き込まれ、それがあたかも真実であるがごとく語られるうちに、最初は「なんかヘン」と思っていたはずが、いつの間にか自分もどっぷりと浸かって行く。

そして「お稽古ごと」とか「お受験」とかに、翻弄されることになる。

テレビのニュースなどで、「戦争の悲惨さを語り継ぐ」「戦争の悲惨さを風化させてはいけない」という言葉を良く聞くが、いつも違和感を覚える。

それはまるで、当時の人々が、戦争の悲惨さを知らなかったために、戦争を始めた。だがら、戦争の悲惨さを子供達にちゃんと伝えることが出来れば、もう戦争は起こらない。

そう、主張しているように聞こえるのだが、世の中はそんな単純なことではない。

上層部では色々あったであろうが、一般庶民が戦争に突き進んで行った背景には、「国防婦人会」のような同調圧力があり、それに巻き込まれて行くうちに、自分も圧力をかける側に回って行く人々の生来の定めのようなものの存在がある。

これは、進化の上で、群れで生きて来た生物に取って必要なことであったのだが、全ての生物の頂点に立ち、地球全体の命運を握ってしまった種にとって、大変危険な性(さが)である。

今後の人類の行く末を、本当に憂うなら、このような同調圧に対して、ちゃんと「それ、ちょっとおかしくないか?」と子供たちが普通に言える、大人になっても普通に言える、そんな人材、社会風土を作らなければならない。

だが、国を統べている上層部には、一般市民にそんなになられてはやっかいだから、そんな改革を目論む者はいない。

ここ数年、「大坂なおみ」を代表とする日本人らしからぬ日本人の活躍が目立つ。

スポーツ選手の場合、遺伝的な体格のせいだと、片付けられることが多いが、私は実は、彼ら彼女らの育った環境によって養われた、精神的な要因が大きいと思っている。

「NOと言えない日本人」と言われるように、日本人が同調圧に弱いのは明らかだ。

今必要なのは、ちゃんと自分の意見の言える子供達を育てることではないのか。

「皆がやっているから」と、お受験に翻弄され、一流校に合格したと喜んでも、実際にその学校に進んでから、どのような教育がなされているか、それは自分が、自分の子供に望んでいることなのか、などなど、全く無頓着な者の、なんと多い事か。

そもそも、自分の子供に「どんな子供になって欲しいか」それが「お受験」に合っているのか、考えている者の、なんと少ないことか。

親が自分の属する「ママ友」集団の中で、承認要求を満たすために、子供が犠牲になっていることに気付いていない。「子供のため」と信じているのでタチが悪い。

やれやれ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






朝ドラのエールを観ている。

朝ドラって、結構見るのに時間を費やすので、やめよう、やめようと思うのだが、エールの主演が二階堂ふみと聞いて、これでやっとやめられると思っていた。

(いや、ちょっと苦手なんです。二階堂ふみ。)

だが、コロナの影響で在宅ワークとなったのだが、8時までにゴミ出ししないといけないので、7時50分に起きて、ゴミ出しして、テレビを点けると朝ドラの時間なので、ついつい見てしまっている。

(おかげで、だいぶ慣れました。二階堂ふみ。)

ちょっと前から、娘役の「はなちゃん」が気になっていた。

演技が上手というのとは違う。

全く、演技をしているようには見えない。

どうなっているのか?と、そういう気になり方であった。

先週位までは、あまりセリフもなかったせいもあるのだが、その場でただ遊んでいるだけのような印象。

例えが悪いのだが、トレーナーが犬を上手く操って演技をさせているかのように、子供の演出に長けたスタッフが居て、本人にその自覚なしに、結果としてその場面にピッタリと納まってしまっかのような感じだ。

今週に入って、ちゃんとセリフがあるシーンでも、やはりその印象が続いている。

「乃愛ちゃんは、そこで楽しそうにあさりをツンツンしてればいーから。」

「はい」と言って、ただ、楽しそうにあさりをツンツンしているだけにしか見えないのだが、ちゃんと自分の番で、ちゃんと自分のセリフを言っている。

どうなっているのか。

楽しそうにあさりをツンツンしながら、ちゃんと自分のセリフを言うタイミングを計っているはずだし、セリフを言う時の表情は、ちゃんとツンツンしている時の表情とは変えている。

にも拘わらず、その一連の流れに「演技をしている」感が全くない。

お客さんにご飯を渡す時も、茶わんを置いた後で、ちゃんと相手の顔を見て、ニコっとする。

そこはたぶん、そーゆー演技指導(?)があったのだと思うのだが、全く自然に出来ている。

人形を持ったままの色々な動作も、普段は人形など持っていないはずなのに、全く自然に出来ている。

調べてみたら、結構テレビに出演している。

「螢草 菜々の剣」と聞いて思い出した。

この時は、上手な子だな。との印象であった。

とすると、今回の「はなちゃん」役は、全て演技であったことになるのだが、演技をしているとの気負いが全くない。

天性の才能に、今後も期待大だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前から疑問に、そして不愉快に思っていたのだが、なぜ薬物犯罪を犯した芸能人が出演しているテレビ番組の放映や映画の上映、DVDの販売などを取り止めなければならないのか。

実はそこには、論理的な、正当な根拠は存在しない。

間違わないで欲しいので、初めにお断りしておくが、この投稿では「薬物犯罪の功罪」や「アメリカでは合法化しつつある」とかの議論は一切しないし、決して「薬物犯罪者」を擁護するための物ではない。

ただ一点、「薬物犯罪を犯した者が出演してるドラマの放映、映画の上映、ドラマのDVDの発売停止などを実施する必要があるのか?その根拠は?」について探って行きたい。

※長くなったので、特に異論のない方は「15.何が問題なのか」からどうぞ。

その根拠は何か。

1.「犯罪者が関わっている作品は放映してはならない。」のか。

この理屈で言えば、他の業界の場合

・「犯罪者が関わっている製品は販売してはいけない」

ことになるのだが、そうなると

・「工場の生産ラインで働いたものが犯罪を犯した場合、その者が製造に関わっていた製品を販売してはいけない。」
・「その現場で働いていた者が犯罪を犯した場合、そのマンションやビルを販売してはいけない。」

ことになる。

「屁理屈」だとか「論理の飛躍」だとかの指摘する者がいるかもしれないが、一蹴する前に良く読み解いて欲しい。

この観点のみから言えば、上記の『理屈』は全く正しい。

だが、工場やビルについてはそこまでやる必要性を全く感じないのに、映像作品についてはそれが当たり前のように思われるのは何故なのか。

「犯罪者が関わっている作品を放映してはいけないに決まっている。」との単純な主張では、根拠が薄弱である。

そこにある違いは何なのか。

2.「犯罪者が『出演』している作品は放映してはならない。」

その違いは、この一点しかないように思われる。

では、もう一歩踏み込んで、なぜ「犯罪者が『出演』している作品は放映してはならない。」のか?その正当な理由を、まずはちょっと考えてみて欲しい。

3.「犯罪者の顔や姿を見たくない。」

犯罪者の顔を見ることで、不愉快な思いをする者がいるので、放映してはならない。

一番最初に思いつく理由だ。

だが、ワイドショーは言うに及ばず、報道番組ですら、これでもかとばかりに犯罪者の顔写真や、護送中や現場検証中の犯罪者の「顔」を垂れ流している。

だからこの理由を、正当な根拠として上げることは出来ない。

4.「犯罪者が犯罪者として報道されている姿は 〇、そうでない場合は ×。」

一見もっともらしいが、であれば、犯罪者が犯罪を犯す前の写真や映像は、報道番組でも使ってはいけないことになるが、出所の怪しい、明らかに犯罪を犯す前の画像など、それらも平気で垂れ流されている。

5.「撮影時に薬物を使用していた可能性がある。犯罪が実行されている瞬間を収めた映像を流してはいけない。」

強盗の瞬間の監視カメラ映像などは、それを特集した番組が定期的に放送されているので、単純に「犯罪の映像はNG」との理屈は当てはまらない。

そもそも撮影時に薬物を使用していたかどうかは解らないし、使用していたとしても殆どのケースでは、見て解るものではない。

そこには「倫理的」な、なんらかの理由が存在する気もするのだが、明確な指摘が出来ない。なぜ、それがダメなのか?と。

6.「面倒だな。単純に、犯罪者が出演しているドラマなんか、見たくないんだよ。」

色々と根拠が抜け落ちているが、最終的には、この辺りの理由に落ち着く。

だがそれであれば、見なければ良い。だけの話になる。

代役を立てて、続行。既に撮影済みの回については、「〇月〇日に撮影、〇〇の出演シーンがあるで注意」

のテロップ表記で済むはすだ。

7.「うっかりと見てしまう恐れがあるから NG。」

うっかりと「薬物犯罪者」が出演しているシーンを、一瞬(でも10秒でも1分でも)見てしまったが故に、何らかの被害を被るものがどれほどいると言うのか。

そういう人々の事を配慮しようと言うなら、3.に戻って、報道での本人画像の使用も、一切禁止にするべきではないのか。

なぜ、ドラマだけを中止しなければならないのか。

8.「犯罪者の姿を子供に見せてはいけない。」

感情論を正当化するためのワードとして「子供」云々が良く使われる。

「あなたは人の家の子供の将来のことに、責任を持てるのか!」

などと使われると、もう、正常な議論を続けることは出来ないので、そこでもう諦めてしまうしかない。相手はそれで、論破したと思っているからタチが悪い。

「そんなことはない。私が正しいから言い争いに勝っただけ。」

と、そこまで言う人にのために、では、薬物犯罪を犯した俳優が出演しているドラマを子供が見た時に、一体その子の将来に、どんな悪影響が発生すると言うのか。

「犯罪を犯しても、テレビに出てお金貰えるんだ。」と言われたら「これは犯罪が発覚する前に撮影されている。逮捕後は役者を辞めてテレビには一切出ていない。」など、ちゃんと説明すれば、ちゃんと物事の判断が出きる子供になるはずだ。

「子供がテレビを見ている時に、ずっとそばに居て、いちいち説明するのは不可能。」

それが出来ず、なおかつ子供の将来に非常に気を使っているのであれば、子供にテレビを見せてはいけない。

テレビでは、もっと恐ろしい事がタレ流されているからだ。

報道番組風の番組で、高校の制服姿の女の子の顔にモザイクを入れ、「※声は変えています。」のテロップのもと、

「くすり?みんなやってるよ」「ダイエットのため」「アハハ」

※あくまでも個人の感想です。の注釈すらない。

もう一度念を押しておくが、「それに比べたら薬物犯罪者がドラマに出ているぐらい、どーってことはない。」と、軽視しているわけではない。

「薬物犯罪者」が出演している映像作品にのみ、世間が過剰に反応していることを、問題にしている。

9.「報道でも禁止にするべきなのだが、時代が追い付いていないだけ。過渡期の混乱状態。」

ではなぜ、報道で、犯罪者の顔写真を、手に入らない場合には何十年も前の卒業アルバムの写真まで持ち出して、放送するのか。放送したがるのか。

それは、視聴者が見たがるから、顔写真を出した方が視聴率が上がるから、に尽きる。

現場のカメラマンは、それを撮るのに必死だ。それだけのニーズがあるからだ。

見たくないという人もいるが、見たい人も大勢いるのが実状だ。

そろそろ明らかになって来たことがある。

彼らは役者や芸人が「犯罪者として叩かれているところ」は見たいのだが、「しれっとドラマに出演しているところ」は見たくないのだ。

だがやはり、それだけでは「見たくないなら見なければ良い」のであって、「DVDの発売を取りやめる」理由には結び付かない。

10.DVDの発売を取りやめる必要があるのか。

そもそも、これを主張する者は、自分がうっかりとそのDVDを買ってしまった場合を想定して、「発売禁止」を訴えているわけではないであろうし、「うっかりと買ってしまった人に危害が及ぶ」ことを憂いているわけでもない。

むしろ、ドラマのDVDを購入するほどのファンであれば、犯罪者が出演していようが、どうしようが、そんなことで自分の『推し』が出演しているドラマのDVDが発売中止になる方に、憤りを感じているに違いない。

薬物犯罪者による被害を、それ以上広げないことを願うならば、むしろDVDを販売するべきである。

11.誰であろうと、犯罪者が関わった作品で、利益を得てはいけない。

この理屈が正しいのであれば、冒頭の、犯罪者が製造に関わった家電やマンションなども、販売してはいけないことになる。これを「映像作品」にのみに適用しようとするのは、今まで見て来たようにムリがある。

12.DVDの発売を取りやめさせる目的

DVDの販売により、犯罪者に新たな利益を与えることを憂慮している訳でもない。その程度のことであれば、「DVDの売り上げは〇〇被告には一切渡ることがない。」旨の契約を結び、それを発表してから販売すれば済む話である。

もう一つ解って来たことがある。彼らは、薬物犯罪者に対して、出来きる限りの制裁を与えようとしているのだ。

「薬物犯罪。それは許されることではない。最大限の代償で、償わせるべきである。」と。

一見、正義の様に聞こえないこともない。

薬物犯罪で捕まれば、その時点で社会的なダメージを受けるし、実刑判決が出れば、それなりの懲役なり罰金なりが課される。

一般人でも芸能人でも、それは犯した罪に対する代償であるので、特に芸能人にのみ、さらなる代償を払わせようと画策するのであれば、それなりの理由が必要となる。

13.「社会的な影響力のある者が犯した罪は重い。」

いわゆる有名人や警察関係者や教師などが犯罪を犯した場合、特に大きく報じられる傾向がある。

「それが抑止力にも繋がる。」

との考え方もあるようだ。

だが、今、話題にしているケースに限れば、それによる抑止力は期待出来ない。

「放映中止などにより、数億円の賠償を支払うことになる。ちょっとした出来心が悲惨な結果になるので、絶対してはダメ。」

と、言われても、

「オレが薬物で捕まっても、映画が上映中止になったりするわけぢゃないから、そんなことにはならないよね?」

と、軽く躱されてしまうであろう。

14.実際に行われていることは何か。

「有名税」と言う言葉がある。

有名だからという理由を言い訳にして、彼らのプライバシーを侵害することを正当化している。

いや、「言い訳」などの罪悪感すら感じていないはずだ。それが当たり前と思っている者の、なんと多い事か。

この考え方が一歩進んで、現在は「芸能人が薬物犯罪を犯したら、可能な限りの代償を支払わせて良い。」とのコンセンサス(社会的合意)が出来上がっているように思う。

「こう言う人は叩いて良い」という社会的な符丁が、いつのまにか定着してしまっている。

今回の場合は「薬物犯罪を犯した芸能人」だ。

そして彼に出来る限りの制裁を与えようと、「彼の関わる作品全て」をターゲットにして攻撃を始める。

もはやそこには、「上映を中止することに、ちゃんとした根拠があるのか?」などの考慮が入り込む余地は微塵も存在しない。

前例によって、今までに作り上げられて来た慣習に従い、パターンに一致した対象に対して、それは自動的に発動される。

自分がしていることによって、どのような被害が発生するのか?などは全く意識に登らないし、もちろんそれに対して責任を感じることもない。

「だって、犯罪者だろ? 何、被害者とか言ってんだよ。」と、言うであろう。それこそが、何も考えていない証拠である。

私がここで被害者と言っているのは、その作品に情熱を捧げて来た、他のキャストやスタッフの事だ。

「そんなの、5億でも10億でも、原因となった本人に払わせれば良いだろ?」

だから、自分のしていることは、犯罪者本人以外には、迷惑をかけていない。と言いたいのであろうが、そのような賠償は、制作会社の金銭的な損害を担保する程度の効力しか持たない。

映像制作に関わった者の多くは、現場での拘束時間に対して支払われた対価のためだけに、仕事をしている訳ではない。

その作品が公開された時の、全世界からの反応によって、さらに自分の価値を高めて行く。

そのために、日夜腕を磨き、現場での工夫や先人の技を学んで、さらなる高みを目指す。

作品が公開されない場合、全てがムダに終わる。とまでは言わないが、大きなダメージを被ることになる。

それらに対して、それ相応の代償を支払うことは不可能であるし、かつて同様のケースで、何らかの補填が行われたこともないであろう。

15.何が問題なのか。

被害者は存在する。

だが、攻撃者が、自分が被害を与えた存在に対して、何らかの考慮をすることはない。

社会はそのようにして、叩いても良い生贄を探している。

攻撃しても、反論して来ないような立場の弱い者、立場的に反論出来ないような状況に追い込まれている者。

いじめ問題も根底は同じだ。

いじめてもいい子。という認識をクラス内で作り上げ、あいつはいじめてもいいから。との認識を一度浸透させてしまうと、被害者の気持ちを考慮することをせず、皆がいじめているのだからと、自分の行為に何らかの責任を感じることもない。

「いじめられる方が悪い。」と、平然と言ってのけ、自分のしていることが正当なことだと妄信しはじめる。

これが今、薬物犯罪者に対して、世間が行っている実態である。

立場の弱い物を見つけるや否や、可能な限り最大限の罰を与えようと群がって来る。

コンビニなどで、ミスとも言えないような小さな瑕疵を突き、幾ばくかの商品の購入を盾に「俺は客だぞ!」と声を荒げ、店員に「土下座しろ!」と、高圧的な態度を迫る。

そんな卑劣な連中と、やっている事は同じだ。と、私には、そうしか感じられない。

もっと憂慮するべきは、そのような者の中には「自分はこの店員の教育のために、この店が少しでも良くなるために、やっているんだ。」と、本気で信じている者もいる。

芸能人が薬物犯罪を犯した際に「ドラマを放送するな」「映画を上映するな」「DVDを販売するな」と、さも自分が正義であるかのように声高に叫ぶ者は、私にはそれらの同類にしか見えない。

そして、一番重大な問題は、これらのことが、「正しい事」として、社会に定着しつつあることだ。

確かに、この問題に異を唱えることは難しい。ヘタをすると、自分も攻撃されかねない。

一般的な虐めの問題と同じだ。

これはおかしいよ。と、思うことに対して異を唱えても、理屈の通じない多数の感情的な言葉に押し潰される。

ネットでは、いとも簡単にそれが出来てしまう。

コミュニケーションの主戦場がネットに移行した現代の社会において、それはもう、防ぐ手段が存在しないのか。

それともなんらか対策が打たれ、常識的な反論が世間に響き、人々に再考のチャンスを与えられるような、そんなシステムが現れるのか。

人類の行く末は、そんな小さなシステムの不備によって、決定付けられてしまうのであろうか。

「始めに言葉ありき」

だが、それが『ヒト』の手に堕ちた途端に、それは自らを滅ぼす刃に変わり果ててしまったのか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




※2021/8/29更新 動画を探している方は、こちらの記事をどうぞ

【それって!?実際どうなの課】 次回予告(2020年8月26日放送)


相変わらず絶好調なワイルドスピードだが、ネットではそれを疑う声が上がっているようだ。

では、一つ一つ検証してみよう。

1.『マッハファイブ』とか言いながら、3回しか廻していない。

「あれ?これって、ずるぢゃねーの?達人はもっと廻してたよね?」と、思われた方。

確かに達人は5回廻しているようだし、「2015年全日本ヨーヨー選手権 地区大会」公式ルールだと、5回廻すことを求められている。

だが、「2016年全日本ヨーヨー選手権地区大会」規定トリック競技 競技ルールでも、日本ヨーヨー連盟の検定ルールでも、3回以上廻せばOKだ。

2.テーブルクロス引きでは、ちゃんとキャッチしていない。

「バインド」の練習の時に、「キャッチ出来て初めて技が成功」って、言ってなかったか?

そもそもこれは、正式種目にはない。

「テーブルクロス引き」と聞いたら、ワイルドスピードが喜ぶんじゃないかと、用意された余興であり、そもそも森川が挑戦する予定ではなかった。

テーブルクロス引きの技だと思えば、「グラスを倒さずに、下のクロスを引き抜けたらOK」であろう。

休憩中の余興かなにかで用意していたのに、森川が喰らい付いてしまったようだ。

結果的にはOKであったが、ここでもっと時間を浪費していたらと、スタッフはヒヤヒヤしていたに違いない。

3.事前に練習しているのでは?

もし、事前に練習しているとすると、ワザが成功して驚く様子は演技だと言うことになる。

森川はともかく、達人にあれだけの「顔」はムリであろう。

いや、森川にしても、アレは演技で出来るものではない。

役者の演技は、日常のそれとは趣が異なるので、そんなことが出来るのは「白昼の死角」の「藤岡琢也」ぐらいである。

それに事前に練習しているのであれば、最初の方のぎこちない試技も、わざと初心者っぽくやってることになる。

最初の「ほわぁ~」や、ほぼ棒立ちでの「アラウンド ザ・ワールド」など、とても演技で出来るレベルではない。

4.CGではないのか?最近は「ディープフェイク」とかあるし。

確かに「ディープフェイク」の技術は向上している。

一見しての判別が難しいレベルに達しているので、一般的な動画サイトやSNSなどでは「ディープフェイク」を使用した動画の投稿が禁止されている。

だが、一度それをやってしまうと、もう誰も、その手の番組を見なくなってしまうので、その辺りは製作サイドも、細心の注意を払って臨んでいるはずだ。

5.その他

・実は六子(むつご)で、それぞれが陰で猛練習しているのではないか?
 → デビュー時に話題にしていたはず。
・トリニティの様に何らかの方法でダウンロードしているのではないか?
 → うなじにソケットが見当たらない。
・実は一週間ぐいらかけて撮影してるのを、一日でしているかのように編集しているのではないか?
 → 一番現実的だが、「ツーハンド・インサイド・ループ」は達人ですら1年かかっている。一般的な感覚で「1日で出来るハズがない。」と言っても、もしこれがヤラせなのであれば「1週間でも1ヶ月でも」出来るはずがない。ヨーヨーが直撃して頭蓋骨陥没し、顔面血だらけになりながらも、ちょっと恥ずかし気に「大丈夫です。」と挑戦を続ける森川の傷が、見る見る回復して行ったら、その時は疑っても良いかもしれない。

と、色々検証(?)してみたが、普通に森川が特別なのだと、そろそろ信じてあげよう。

さて、そのワイルドスピードだか、今や大きな危機に直面している。

「そろそろやる事がなくなって来ている。」のではないか?

だがちょっと前に「ヨーヨーはどーよ?いやいや、アレは一日でなんらかの技が出来るようなもんじゃないよな。」と、思っていたのを、あっさりと超えてしまった。

このまま突っ走れば、もっと凄いことでも、やすやすと実現してしまうのかもしれない。

「やる事がなくなる。」など、ワイルドスピードには、無縁の言葉だ。


マッハ1:ドリフトで縦列駐車
Tightest reverse parallel park - Guinness World Records

「さすがに、ムリじゃないか?」
「いや、既に行列で永野芽郁がやってるようです。」
「そんな凄いものを見せられたら?」
「そんな凄いものを見せられたらっ!!」
「すぐにやりたくなっちゃうよな?」
「だったら、もっと凄い事しましょうよ。」


マッハ2:「ハジュワラ」(hajwalah)
M.I.A. - "Bad Girls" (Official Video)

「そもそも森川、免許持ってないんじゃないか?」
「私有地でヤレばコンプライアンス的にはOKだと思います。」
「ホントかよ。」
「むしろ好都合ですよ。ハンドルの握り方から初めましょう。『この技は初めてハンドルを握った者が、一日でやっていいレベルではない』って。」
「デジタルネイティブな森川に、『10時10分の位置』と言っても、ピンとこないんじゃないか?」
「こめかみを可愛くトントンしながら『10時...?10分...?の位置...??』とか聞かれそうですね。」


マッハ3:「エアバスA320-214でハドソン川不時着水」
How All Passengers Survived the Miracle on the Hudson

「これならハンドルがないから、森川でもなんとかなるんじゃないでしょうか?」
「そんなの、どれだけ時間がかかると思ってるんだよ。」
「Wikiによると、離陸から着水まで5分だったらしいですよ。だったら、イケますね!!」
「ひとつとして、イケてねーよ。」


マッハ4:原点に帰って「ライカン・ハイパースポーツでビルをジャンプ」
『ワイルド・スピード SKY MISSION』本編映像&メイキング

「一体、そんな金、どこにあるんだよ。」
「クラファンで。」
「目標金額は?」
「車だけでも4億円。ビル破壊するので、1兆円位じゃないですか?」
「リターンはどーするんだよ。」
「壊れたビルの破片?」


マッハ5:冠動脈バイパス手術
The largest Hospital ship in the world - USNS Mercy

「『初めてメスを握った者が1日でやっていいレベルの技ではない!!』って。」
「はじめてだろーと、50年目だろーと、医師免許持ってなきゃやっちゃダメだろ。」
「私有地でヤレばOKなんじゃないですか?」
「病院ってさ、普通私有地に建ってんだよ。」
「病院船チャーターして、公海上でやれば問題なんいじゃないですか?」
「夢が膨らんでるところに水を注すようだけど、そもそも被験者はどーすんだよ。」
「クラファンで」
「お前、クラファンって何か、良く解ってないだろ。」
へっ?

P.S. こちらも
『ワイルドスピード森川』 - 未来技術の光と影。
『ワイルドスピード森川』
『ワイルドスピード森川ジェットブレイク』
『ワイルドスピード森川マッハファイブ』
『ワイルドスピード森川ライトアップ・ザ・スカイ』
『ワイルドスピード森川プレイバック』
「ワイルドスピード森川」テイルアップ&ブレイク
『ワイルドスピード森川 ロビン・フッド』
『ワイルドスピード森川 レザレクションズ』

WILD SPEED MORIKAWA, a Japan's Got Talent.



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )