未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




ニュートリノは光より速いのか - 相対性理論を覆す可能性をCERNが提示
http://journal.mycom.co.jp/articles/2011/09/25/neutrino/
イタリアのグランサッソ研究所(Gran Sasso National Laboratory:LNGS)に設置された「OPERA(Oscillation Project with Emulsion-tRacking Apparatus)」というニュートリノ検出装置を使った研究を行っている11カ国160人の物理学者のグループが、ニュートリノの速度は光より速いという実験結果を発表した。これが事実であれば物理学の教科書が書き換わる大発見で、一般紙でもかなり大きく報道された。

「アインシュタインを覆す。」との表現があちらこちらで見受けられるが、これが真実であったとしても、「相対性理論に修正が必要。」といった程度あろう。

「実は、うちでも同様の観測結果が出ていたのだが、発表をためらっていた。」と、名乗りを上げるものが出るかと思っていたが、現時点ではまだのようだ。

小柴先生のノーベル賞となったニュートリノ検出が行われた超新星1987Aは16万8000光年の距離にあり、今回の測定の光とニュートリノの速度比率が正しいとすると、光の方がニュートリノより約4年遅れて届く計算となるが、実際はほぼ同時に届いており、今回の結果とは矛盾する。

反論としては、かなりの説得力を持つ。

だが、これだけ慎重な発表であり、私は真実であるのでは?と考える。

一部には、「タイムマシンの可能性も」とあるが、それはない。

「何者をも、高速を超えることが出来ない。」との前提で構築された理論を基底に置いて、その上で「高速を超えて移動することが出来れば、それは過去に向かって飛ぶ。」との結論が導き出されている。

前提が崩れた今、ニュートリノが過去へ飛ぶことはないし、ましてやタイムマシンが出来ることもない。

同様に、「今回の発見は宇宙人が地球に既にやって来ていることの証明だ。」との理論は、理論を3回も4回も飛躍しているので、全く説得力に欠ける。

アインシュタイン盲信派からは、「相対性理論は、既に実験で確かめられている事実であるので、今回の発表はなんらかのミスに違いない。」との意見もあるであろう。

だが、実験で確かめられているのは、光速度不変の原理の確からしさであって、今回の発表を全否定できるほどの精度での観測値ではなかったはずだ。

今回の実験が真実であった場合、考えられる原因は、こんなとこであろう。

①重力の影響下では、光は光速より少し遅く進む。
②重力の影響下では、ニュートリノは光速より少し速く進む。
③物質がある場合、ニュートリノは光速より少し速く進む。

いずれの場合でも、相対性理論を補正することで、対応出来ると思われる。

もし、他の設備で追認できなかったしても、簡単に諦めてはいけない。

ひょっとすると、この現象は、イタリアでしか発生しないのかもしれないではないか。


「と、言うと?」
「ええ。コースの近くに『バチカン』がありますよね?」
「ああ。・・・神のお導きだと?」
「いや、恐らく『バチカン』は、現代科学では解明されていない未知のエネルギーのパワースポットなんですよ。」
「パワースポット?」
「『レイライン』というのを、ご存じでしょうか?」
「聞いたことはあるが、疑似科学的ななんかだろ?」
「疑似かどうかはさておき、古い教会などは、レイラインが交差している地点に建てられている。などの説もあるそうです。」
「それ、測定可能なのか?」
「今は、その術は失われています。ですが、過去には、それを検知するなんらかの方法が知られていたのかも知れません。」
「まったく、非科学的だな。」
「ですが、人々が生活習慣で直感的に見に付けた知恵というのは、科学を上回ることもあるんですよ。」
「たとえば?」
「そうですね。原発を作ったところ、地下設備の浸水が止まらず、原因が全く解らなかったそうです。ですが、地元の住民に聞いたところ、『あそこは、地下水脈の通り道なんだよ。あんなとこに地下室を作ったら、浸水するに決まっている。』と。」
「それは、古くからの言い伝えか何かで、住民がそう信じているだけではないのかね?」
「いえ。『あの辺りの土地は乾燥しているので、植物があまり育たない。だが、地下水脈が流れている部分だけは、植物が良く育つ。松の木の高さを見れば、水脈がどこを通っているか、一目瞭然だ。』と。」
「原発の建設地を選定した技術者に、その知識がなかっただけだろ?」
「それは、そうなんですが、我々が気付いていない何らかの要因を知る者が、この世の中にはいるかも知れませんよ。」
「現地に行って、一軒一軒、聞いて廻るか?」
「いや、ツイッターとかのつぶやきをチェックした方が早いでしょう。さっそく、やってみましょう。」
「どうだ?」
「ありました。」
「あったのか?」
「ええ。古い神話に『聖なるパワーでスイングバイし、光をも超える。』との記述があるそうです。」
「たんなる偶然だろ。」
「我々は神話を、科学的根拠のないもの。と、決めつけて『安全神話』などの言い廻しに使っていますが、ひょっとすると、古代の叡智を現代に伝える、貴重な学術文書なのかもしれません。」
「他にはないのか?」
「ありました。『ニュートリノはスパゲティの中を通過する時に、光速を超える。』らしいです。だから、イタリアでしか有意な結果が出ないのだと。」
「それは科学者が発言しているのかね?」
「いえ。これも宗教関係者ですね。私は聞いたことない宗派ですが。。。」
「それ、『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』じゃなのか?」
「ええ。良くご存じですね。」
「やはり、神話はあまりあてなならないと、今改めて、思い知ったよ。」
「と言うか、ツイッターの書き込みを鵜呑みにするな。ということでしょうね。」
「やはり科学者は、まじめに、地道に、科学的方法で、真実の探求をしろと。言うことだろうな。」
「なんか、科学の神の御神託みたいですね。」

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今日、久しぶりに遠出をした。帰りのカーラジオから、2つの原発関連のニュースが流れて来た。

まずは、こちらだ。

福島産花火の打ち上げ中止 「放射能の恐れ」愛知・日進
http://www.asahi.com/national/update/0919/NGY201109190002.html
 愛知県日進市の市役所周辺で18日夜あった花火大会で、福島県産の花火に対して市民らから「放射能をまき散らす恐れがある」などの声が寄せられたため、打ち上げを中止したことが19日わかった。

非常にやるせないニュースだ。

「福島県産の花火を打ち上げたら放射能をまき散らす恐れがある。」

常識的に、そんなことはありえない。

もし、本当にそう思った者がいたのであれば、傍から見れば、科学的知識の欠乏から、ヒステリックに「放射能怖い放射能怖い」と、騒いでいるようにしか見えない。

このケースでは、異議を申し立てた側を非難する者が多いであろう。

次は、これだ。

大江健三郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ
http://www.asahi.com/national/update/0919/TKY201109190278.html
 脱原発を訴える「さようなら原発集会」が19日、東京・明治公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼びかけた。主催者側によると、全国から約6万人が参加し、東京電力福島第一原発の事故に関連した集会では、最大規模になったという。

こちらは、デモ参加者側に加担するものが多いであろうが、私は花火の件と同じ、やるせなさを感じる。

今回の事故で「原発の安全神話は崩れた」との表現を良く耳にする。

だが、この表現はおかしい。

「原発の安全性は、神話に過ぎなかったことがはっきりとした。」

と言うべきであろう。

最初に『安全神話』という言葉を誰が使ったのか知らない。

だがその言葉には、「(政府などの)上層部から、科学的/論理的な根拠を示すことなく、ただ『安全』であると伝えられ、一般市民はそれを盲信している状態」というニュアンスが伺える。

今回の事故が起こるずっと以前から、原発に対して「安全神話」という言葉が用いられてきた。

そこには、原発の安全性の根拠が、はっきりと示されていないことへの危惧の表明があった。

であるにもかかわらず、安全性が検証されることはなかった。

事故後、週刊誌やNHKの検証番組などで、福島第一原発における安全性が検証されているが、?と思うことが多々ある。

福島第一原発における安全性は、100点満点の50点くらいであった。と、見るのが妥当であろう。

もちろん、誰かが言っていたように「隕石が衝突したケースなどまで対応することは不可能」であろう。

だが、もっと現実的な金額で安全性を90点くらいまでに高めることは容易であったと思われる。(たとえば、予備の発電機の一基を、もっと高台に設置する。などだ。)

話を戻そう。

私がデモの件に危惧するのは、「原発は危険だ。今すぐに廃止するべきた。」との意見が、新たな神話になっていないか?ということだ。

主催者には、それなりの思惑があろう。それに異を唱えるつもりはない。

だが、彼らの掲げる「脱原発への政策転換を求める署名運動『さようなら原発1000万人アクション』」が、別の宗派の1000万人の信者を作るだけに終わってしまわないのか。

さきほど述べた100点満点中50点という評価は、あくまでも福島第一原発に限った話であり、原子力発電という技術が内在している普遍的な数値ではない。

日本の原子力発電所は、現実的な金額で、もっと安全にする余地がある。

彼らは言う。「再生可能エネルギーを使用すれば、原発は必要ない。」

日本の全電力を、現時点で実現可能な再生エネルギーに置き換えるには、どれだけの風車、どれだけの太陽光パネルが必要なのか。

用地の確保に、どれだけの金額が必要なのか。工事費はどれくらいなのか。太陽光パネルに必要な希少金属類を、必要な量だけ短期間に確保することが可能なのか。全てが完了するまでに、どれだけの年数が必要なのか。

朝起きてみたら、全ての電力が再生可能エネルギーに変わっていた。などは不可能であるのは、誰でもわかる。

それに向かって、戦時中の日本のように、全国民が全てを犠牲にして、その実現に当たったとしても、数年。

現実的にそれを達成するには、やはり、数十年のスパンが必要であると思われる。

それまでの間は、既存の発電技術に頼るしかない。

「火力発電所を再稼働すれば良い。」

なぜ、今回、これほどの火力発電所の再稼働が可能であったのか?

地球温暖化の危機に対応するため、国際条約が出来、それを批准、遵守するため、まだまだ使える設備を敢えて停止していたためではないのか。

「原子炉を止める替わりに火力発電を再稼働」しているが、「火力発電を再稼働した替わりに」何をもってして、CO2の排出量を減らすのか?

その方策は報じられて来ない。

原発反対派の中に、真面目にこの問題に取り組んでいる者が何人いるのか。

そして、『さようなら原発1000万人アクション』の署名者の中に、この問題を正しく知らされている者が何人いるのか。

再生可能エネルギーで全ての電力が賄え、かつ、地球温暖化を防ぐためには、もうしばらくは原子力発電に頼らざるを得ないのではないのか?

そのためには、既存の原子力発電所の安全性を高める必要がある。

だが、今の世の中では、原発反対=原発の安全性を高めるために新たな工事を行うなど、もってのほか。との論調が主流だ。

私はそこに、「福島産花火の打ち上げ」に異を唱えた者と、同じ異様さを感じる。

「今、何が必要なのか。」を、神話に頼らず、一人ひとりが納得の行くまで、様々な意見を聞き、考えることが必要であろう。

今が、そのチャンスではないのか?


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満島ひかり、ウサギ耳を付けてキュートに主演作の初日お祝い!弟役の澁谷武尊を「人間的にステキ」とメロメロ! - シネマトゥデイ
 [シネマトゥデイ映画ニュース] 7日、映画『ラビット・ホラー3D』初日舞台あいさつがシネマート新宿にて行われ、劇中で姉弟を演じた満島ひかりと子役の澁谷武尊(たける)が登壇して仲むつまじくトークを繰り広げたほか、ウサギの耳を付けてキュートに写真撮影に応じた。

『ラビットホラー3D』を見てきた。

最近、かなりヤバい状態だ。

精神面、肉体面、金銭面、全てが低迷している。何をしても面白くないし、夜も良く眠れない。

これって、鬱ぢゃね?

そんな中で、精神面を支えてくれたのが「それでも、生きて行く。」だった。

満島ひかりの演技に魂を揺さぶって欲しくて見始めたのだが、ドラマも素晴らしかった。

最終回は素晴らしかった。

「感動した」とか「鳥肌が立った」とかでなく、ただひたすら素晴らしかった。

もちろん、脚本が素晴らしいのだが、満島ひかり無くして、この素晴らしさの体現は不可能であったと思う。

最終回と言うことは、もう、終わってしまった。来週から、どう、生きて行けば良いのか。

誰かに向かって、手紙を書いて、木に結んでみようかと思ったが、あまりにも不気味なのでやめた。

満島ひかり関連の記事を読んでいて、「ラビットホラー3D」に主演していること、舞台挨拶があることを知り、「これは、行くしかない。」と、思い、ネットでチケットを購入した。

購入した後で、ちょっと後悔した。そういうのって、熱烈なファンとかが、鉢巻とかして行くのではないのか?

「前日からの泊まり込みなどはご遠慮下さい。」とか、注意書きがあるし。

鉢巻、あったっけ?

いや、真面目に、なんかそういうのに馴染めるのか、不安になって来た。また、眠れなくなると困るので、冷静に「ただ、普通に行けばいーんだよ。」と、言い聞かせた。

朝、うちを出る時に、ちょっとワクワクした。

行く途中で、舞台挨拶って、何か聞かれたりするんだろうか?と、思って、また、不安になって来た。

「そんなはず、ないだろ。」と、思いつつも、万が一にも指名された場合を考えて、対策を練った。

①舞台に呼ばれた場合

もし、舞台に呼ばれて上がることになったらどうしよう。マジックショーとかで、良くあるよな。

対策①

満島さんの横に立っているであろう、ウサギくんに近付き片手を上げ「どうも。」と挨拶し、そこでふと、横に立っている満島さんに気付き「しまった。」と言う。

②何か一発芸をして下さいと頼まれた場合

対策②

「呪怨」の俊雄くんの物真似(息を吸い込みながら「あ・あ・あ・あ・・・」)から、満島ひかりの「・・・どうりで、優しいと思った。」へ持って行く。

駅で、ちょと練習した。ホームには誰もいなかったのだが、フェンスの向こうで待機中の路線バスの運転手さんがこちらを見ていた。

C-7席だったにも関わらず、なぜか最前列だった。

舞台挨拶の前から、3Dメガネをかけていようかと思ったが、ギャクとは伝わらず、ただ間抜けな人だと、もしかすると、かなりキモい人がいる。と、怖がらせることになるかもしれないので、やめた。

司会の方の紹介で、満島さんが入って来た。

可愛い。

ドラマや映画で見るより、実物の方が80倍くらい可愛い。

可愛いとは思っていたが、今までその演技に惹き込まれていて、しっかりと認識していなかった。

と、いうか、ドラマだと、毎週違う顔をしている。そこがまた、魅力でもある。

どんな冴えない顔をしていても、これ、放送して良いの?的な顔をしても、惹き付けられて止まない。

本当は、1万倍くらい可愛いと思ったのだが、「1万倍可愛い」と書いても、テキトーなお世辞にしか聞こえないので、倍数に迷った。

10月22日公開の『スマグラー』にも出演しているようだ。

まだ、当分は、生きて行けそうだ。


P.S.

私は池袋に行きましたが、舞台挨拶、ちゃんと、面白かったです。

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「「遺伝子組み替えで光る魚」を家庭で飼う
http://wired.jp/2011/09/01/%e3%80%8c%e9%81%ba%e4%bc%9d%e5%ad%90%e7%b5%84%e3%81%bf%e6%9b%bf%e3%81%88%e3%81%a7%e5%85%89%e3%82%8b%e9%ad%9a%e3%80%8d%e3%82%92%e5%ae%b6%e5%ba%ad%e3%81%a7%e9%a3%bc%e3%81%86/
遺伝子操作によって蛍光色に光るようになった観賞魚『GloFish』。遺伝子操作を施した水生動物が2003年に禁止されたカリフォルニア州を除いて、米国のすべての州で1匹5ドルで購入できる。
水質汚染の対策に貢献するために、常に蛍光発光するゼブラフィッシュではなく、環境有害物質がある場合に選択的に蛍光を発するようになる「スイッチ」を開発したいと科学者たちは考えています。蛍光色でなければ水が安全で、蛍光色なら水質に問題があるという合図になるわけです。この研究を支援するため、GloFishの売り上げの一部は、GloFishを開発した研究室に送られています。

環境有害物質があると蛍光を発し、人に警告を知らせる魚。

アイデアは面白いが、決定的な欠点がある。

遺伝子操作をした生物を、野に放して良いのか?との議論は、とりあえず置いておこう。

発光している『GloFish』が生息している水域が危険であることは、すぐに解る。

だが、水域が発光していない場合、①安全であるので『GloFish』が発光していないのか、②単に『GloFish』が生息していないだけなのか、③遺伝子操作されていない通常の『ゼブラフィッシュ』が生息しているのか、④はたまた、毒性が強すぎて『GloFish』が死滅してしまったのか。を、判別するのが難しい。

①と③を区別するためには、捕獲した『ゼブラフィッシュ』に試薬を与えて、発光するのかどうかを確認してみる必要があるし、②と④を区別するためには、水質の検査をする必要がある。

このために水質検査キットを持ち歩く必要があるのであれば、そもそも『GloFish』を野に放つ意味がない。

だが、技術が発達し、これらの問題が全てクリアになったとしても、それは人類にとって、どれほど必要性のあるテクノロジーとなりうるのか。

『蛍光発光』が安全性を知らせる社会。それは果たして、人類にとって、幸せなことなのであろうか。


「これ、マグロとかに応用できないんですかね?」
「応用して、どーするんだよ。」
「食卓にそれが並んだら、綺麗だと思いませんか?」
「思わんね。だいたい、そんなもの、気持ち悪くて食べられないだろ?」
「あれ?先輩って、環境保護派とかですか?」
「いや、そーゆー問題じゃなくてさ。」
「マグロは頭が良いから、食べてはいけない。とか?」
「いや、頭の良し悪しで、食べるものを選んだりしないよ。」
「あっ、それじゃぁ、遺伝子操作された食品に懸念を抱いている派ですね。神経質過ぎるんじゃないですか?」
「いや、だからさ、そーじゃなくて、蛍光色のマグロのなんて、気持ち悪くて食べられないだろ。」
「いや、これは、色が塗ってあるんじゃなくてですね、」
「解るよそのぐらい。そーゆー問題じゃくなくてさ。たとえば、蛍光色のおにぎりとかあったら、食べる気するか?」
「あっ、それ、いーですね。」
「いーのかよ。」
「ええ。おにぎりしか無かったとしても、食卓が華やぐ感じがしますよね。」
「しねーよ。・・・マジで言ってんのかよ。」
「えぇ。嘘ついても、しかたないですし。」
「以外とアレか?『実は僕も蛍光人間なんで、蛍光マグロとか美味そうに見えるんですよ。』派とかじゃないだろうな。」
「『蛍光人間』ってなんです?」
「いや、だからさ、この記事みたいに、ブラックライトを当てると、肌が蛍光色に光るやつのことだよ。」
「それ、何か得なことあるんですか?」
「ねーよ。」
「ですよね。変なこと、考えるんですね。先輩って。」
「いや、だからさ、そーでもなきゃ、蛍光色のマグロが美味しそうとか、意味不明なこと言わねーよ。って話だよ。」
「そうなんですか?」
「そーなんだよ。」
「それ、先輩の偏見なんじゃないですか?」
「偏見じゃねーよ。世界中でお前ぐらいだろ、そんなの美味しそうに思うのは。」
「いや、自分の出身地とかだと、ふつーですけどね。」
「どこだよ、それ。聞いたことねーよ。そんなの。」
「うちでは婆ちゃんとかも、蛍光色の食品とか、ふつーに食べますけどね。」
「ふつーに食べられるほど、普及してねーだろ。蛍光色の食品。」
「婆ちゃんとか、ごはんにピンクの色素かけて食べるの好きですし。」
「『桜でんぷ』だろ、それ。」
「なんだ、知ってるじゃないですか。それにそうめんに入ってる色のついてるやつとか、兄弟で取り合いになりますよ。」
「子供か、お前は。」
「先輩も子供のころは、そーだったんですね。」
「あぁ、もう、何千年も昔の気がするよ。・・・なんだよ?」
「・・・さっきから気になってたんですが、先輩の体の色、なんだかオレンジっぽくないですか?」
「・・・なんのことだよ?」
「なんか、だんだん、蛍光色に光って来てるんですけど。」
「え゛っ?あれ?こんなのいつ、付いたんだろ。」
「付いたってゆーより、体内から発光してる感じですね。」
「遺伝子操作された、何かのマーカーだとでも、言うつもりか?だったら、お前も光るはずだろ?」
「いや、ほら、自分には何もないですよ。」
「仮にさ、人間を喰う宇宙人か何かが、危険判別のために埋め込んだ一種のマーカーだったとしてもだよ、シグナルが出てるってことは、危険って合図だから、オレはもう、狙われないはずだろ。」
「そうでもありませんよ。」
「・・・?」
「自分の生まれた地方ではその色、『食べごろ』って意味で使ってますから。」

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