未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




TSUTAYA DISCAS に入っている。

月4本の定額コースだ。

とりあえず試しにのつもりだったが、月に4本観るのが結構難しい。

一月分、4本まで翌月に繰り越せるのだが、それを過ぎると失効してしまう。

いつも月末になると、前月分の残りを慌てて見ているような感じだ。

先月は遂に2本分失効してしまった。

普段は録画してあるドラマやアニメを観るのが精いっぱいで、なかなか映画を観る余裕がない。

DVDに収録されている予告とか、ネットでたまたま読んだ記事などで、観たい映画、気になる映画があると、定額リストに登録しておく。

基本的に登録された順に送られてくるのだが、既に50本以上登録されているそのリストの一番上にあるのは、半年以上前に登録したものだ。

良くあるのだが、送られてきたDVDのタイトルを観て、どんな映画だったか、どうしてそれを観ようと思ったのか、全く思いだせないことがある。

ゆっくり観たいので、子供が寝てから観る。

特にエロい映画を好んで見ている訳でもないのだが、以前一度、日曜の夜に、まだ子供が起きていたが、今日観て明日投函しないと、先月分の残り2本が失効してしまうから観てしまおうと。なんで借りようと思ったのか思いだせないけど「これって確か、松田龍平の出ているやつだったよな。『船を編む』を観た時に、龍平繋がりで予約したのか?確かコメディーだったから大丈夫だよね。」と。

収録されている予告のラインナップを観て、少々?となったのだが、本編始まって、いきなり18禁ぽいシーンだったので焦った。

それは、「恋の罪」であって、「恋の門」ではなかった。

先月2本失効してから、今月はまだ1本も観ていない。今、手元にあるのとは別に、今月はまだ残りが8本ある。

送らて来た2本のうち一本は、最近わざわざ上位に登録したものなので覚えていたのだが、もう1本がなぜ観ようと思ったのか、全く思いだせない。

どんな映画なのかはなんとなく覚えているのだが、その他、出演者なども全く思いだせない。


タイトルは『ラブアゲイン』。

本編が始まったが、やはり、予告を観た覚えがない。

「こんな映画」だったはず。との記憶とも、若干違っていた。

だが、これ、素敵な映画だった。

久しぶりに「映画を観た」という、すがすがしさを感じた。

普段、ラブコメなど絶対に観ないから、そういった新鮮さもあったのかも知れない。


「映画を観た」

基本、SFものとかドンパチもの(?)とかが好みだ。

だが、超大作になればなるほど、最新のCG技術を駆使した、これでもかっ!と言わんばかりの映像に、製作費を回収しようと、幅広い層からの集客のため、後付けて恋愛的要素なり、感動的なストーリーなどを付けた足したような、言ってしまえばどれでも同じような映画になってしまう。


「ラブアゲイン」

コメディーと言っても、小さなギャグが散りばめてあるような、安易な類のものとは違う。

ラブコメと聞くと、一人の主人公があの手この手で恋を成就する話。とのイメージがあり、私にとってそれは「退屈」の一語。何が面白いのか全く不明。との印象がある。

だが、これは違う。とに角、脚本が秀逸だ。観客を楽しませる展開で、全く退屈しない。下手なサスペンスよりよほど面白い。

随所に、はっとさせられるようなリアルなセリフや場面が散りばめられており、映画全体が生き生きとしいる。

そして、ちゃんと泣ける話になっている。

私には、ライアン・ゴズリングのベッドでの会話、彼の心が変わって行く様子が、ツボだった。

普段、ラブコメなど馬鹿にしている人にもお勧めだ。

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「アナと雪の女王」、国内興収100億円も目前 「ファインディング・ニモ」を超える
http://animeanime.jp/article/2014/04/14/18289.html

第86回アカデミー賞にてW受賞を果たしたディズニー映画『アナと雪の女王』が、週末興行収入5週連続No.1を獲得し、公開30日間で動員700万人を突破! これまで最速だった『ファインディング・ニモ』をはるかに上回るハイペースで“ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンの歴代No.1”の記録を打ち立てた。

アナと雪の女王』を観に行った。

たまたま劇場で、何の予備知識もなしに観た、日本語訳付きの『Let It Go』。

もう、これは、ウォーッッ!!と、叫びたくなるほどの感激であった。

映画予告の常識を覆す、それでいて、ちゃんと映画の世界観が伝わって来る。

それより何より、これ観たらもう、本編が観たくて、観たくて、仕方なくなる。

歌詞も(日本語訳だが)も素晴らしい、歌い方も素晴らしい、そしてそれらに完璧にリンクした豊かな表情、隅々まで行き届いた体の動きや演出。繰り返しになるけど、音楽と映像が完璧に一体化して、盛り上がっている。

もうホント、奇跡としか言いようのない映像。

流石、ディズニー四千年の歴史の集大成!!としか、言い表せない。

この予告を観ていなかったら、絶対にディズニーアニメなんか見に、劇場に行ってないと思う。

このニュース記事を読んでも、「なんでみんな、ディズニーアニメなんか、観に行くかな。ばかじゃないの?」ぐらいの気持ちで斜に構えていたと思う。

初めは予告のためだけに、これを創ったのか?と、思ったが、じきに「いくらなんでも、まさかね。」と気付いた。

このシーン、最大の山場の部分をフルコーラスそのまま予告で流してしまう。という、大胆なことをしているんだけど、それだけの価値がある。インパクトがハンパない。

これから観に行こうと思っているので、ストーリーを知りたくないから、観ない方が良いのでは?と、思う方。

正直、ディズニー映画なので、ネタばれも何もない。

そなんことより、この予告は、絶対に観てから行った方が良い。

いや、観てから行くべきである。そういう判断があった上での、この予告の実現だと思う。

前半でこのシーンに繋がる物語が描かれ、このシーンでのエルサの心情が、なぜあそこまで解放感一杯に謳い上げているのかが、観ている者の心の中に形作られる。

そして、雪山のシーンになり、ピアノのイントロが響き出すと、もう、それだけで胸が一杯になる。

もうね、この気持ち、他では味わえない。

本当なら、『マチェーテ・キルズ』とか『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』とかを見に行くはずなんだが、さすがディズニー。と、言うべきなのか。

あれ?ひょっとして、「マチェーテ・キルズ」って、タランティーノ繋がりでMIRAMAX?

あれ?ひょっとして、「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」って、ニコラス・ケイジ繋がりでMIRAMAX?

斜に構えていたつもりが、掌の上で、遊ばれていただけなのか?

P.S.

そうそう、3D版で見たんだけど、「今から3Dメガネを掛けて下さい。」の合図とともに、メガネを掛けたところ、ピクミンが二重に見えて立体視出来ないというトラブルに遭遇した。

直ぐに何人かが入口に駆けて行ったので、「投影側の問題だ。待ってれば、じきに直るよね。」と、余裕こいていると、隣に一人で来ていた北川景子似の綺麗なお姉さんが、

「あのぉ、私3Dとか始めてなんですけど(それは、ないと思うよ)、こーゆーもんなんでしょうか(な、わけないだろ)?」
「あっ、いえ、トラブルだと思いますよ(待ってりゃじきに直るんじゃない?)。」
「メガネがおかしいんじゃないでしょうか?」
「(そーだね、今日配ってるロットが、全てオカシイと言う可能性もあるよね)私が、見て来て差し上げましょう。(おっー、ほっ、ほっ、ほー)」
入口に付くと、劇場員さんは問い合わせに忙しく、偏光板の仕組みを知っているので、そー言えばと、
「ちょっとメガネ貸して頂いて良いですか?」
と、2つのメガネの左右を入れ違いに重ねて見て、「メガネは大丈夫みたいですね。」と、頭良さそげなそぶりを見せ、席に戻る。
色々と、あらぬ妄想が翼を広げようとしていると、綺麗なお姉さんから「なんか、直ってるみたいですよ。掛けるのが早かっただけみたいですね。」と、声をかけてくれた。

綺麗なのに、良い娘だ。

一時の幸せであった。

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星新一賞』に応募した。

まず、手始めに、過去のブログ記事から、自分のお気に入り(自信作)をいくつか応募した。

■『収斂進化』 過去の記事から、引用部分を削除し、内容を膨らませた。
■『携帯爆弾探知機』 過去の記事を、ほぼそのままで応募。
■『改名』 過去の記事のオチに、もう一捻り加えた。
■『ビカーラ種』 最近の記事から、ほぼそのままで応募。

そして、新作を2本。

■『意識下の意識
■『夢に見た情景


このブログを始めて、今日で3005日目。

以前から転職を考えていたのだが、単なるシステムエンジニアでは、この年での転職は難しい。

新たな道を模索している時に、『星新一賞』の存在を知った。

過去に2度、このブログを基に投稿を試みたことがあったが、どちらもイマイチ、その趣旨にはそぐわないとの自覚があり、ダメもと感を抱えながらの応募は、「やはり」との結果に終わった。

だが、これは違った。

正直、「これは、私にグランプリを取らせるために設立された賞に違いない。」と、思ったものだ。

自分の作品には結構自身がある。正直、『世界一面白い』と思って書いている。

ブログを始めるに当たって、ショートショートを書こうと思った。小説を書けるほどの力量は、ない。

ショートショートならば簡単。との思いではなく、『まず、アイデアありき』のジャンルであり、そして『アイデア』の部分は、私の昔からの得意分野だ。

だが、大きな懸念事項があった。

星新一やディックを始め、今まで読んだり観たりした沢山の作品やそのオチを、知らず知らずのうちに模倣してしまう可能性がある。

それを防ぐために、最新の技術や話題を題材にし、それに沿った話を作ることにした。

それであれば、過去に読んだり観たりしながらも、はっきりとは覚えていないアイデアを、無意識のうちに使ってしまうリスクが減る。

テック系のニュースサイトで見つけた新しい技術や発想。それを題材にすることにした。

タイトルを『未来技術の光と影。』と決めた。『未来技術の光と影』では固すぎるので、最後の『。』は『モー娘。』からのパクりだ。

ブログであるので、元の記事のポイントを引用し、記事へのリンクを貼り、自分の感想を書き、最後に物語を付ける。そう言ったフォーマットが出来あがった。

そのうち、引用部分や感想部分が物語と相互リンクし、時にはオチへの伏線となっているような形式が定着(?)した。

アフェリエイトをするなり、書籍化を目指すなり、ある一定以上のPVに達しなければ、何事も始まらない。

応募タイトルもそうなのだが、ニッチな新しいワードをタイトルにすることで、検索エンジンの上位に入ることを目指した。

始めた頃はまだ、FaceBook も Twitter もなく、個人の発信手段としてはブログが主流であり、人気サイトの人気記事にトラックバックを付けることにより、アクセス数が伸びることを期待した。

始めてしばらくして、初めてランクが付いた。

記事をアップした日に、300PVくらいあると、3000番ぐらいだったかのランクが付く。

狙い通り、記事タイトルに使用した単語で検索すると、検索エンジンのトップページに載ることもあるようになった。

この調子で、と思ったのだが、ピークには直ぐに達してしまった。その後は一向に上がらない。

以前から、チャンスがあれば何かに投稿しようと考えていたが、なかなかそのチャンスがない。

フォーマットが特殊なので、普通の小説としての持ち込み先とかも思いつかない。

プライベートで一年程休載していた時期があり、もう最近では、本来の記事を書く心の余裕が失われていた。


『星新一賞』

「今、日本に必要なのはこの圧倒的想像力。我々は「理系文学」を土俵に、アイデアとその先にある物語を競う賞、日経「星新一賞」を創設します。」

との言葉に心が躍った。

「人間以外(人工知能等)の応募作品も受付けます。」との一語が、小説の枠に囚われない自由さを窺わせた。

これはもう、この私のブログを読んだ人が、なんとか日の目を見させてやろうと設立してくれた。としか思えなかった。

次回以降があるのか解らない。

もう、全身全霊で取り組むしかない。

まず、手始めに、過去の自分の記事の中から、お気に入りのものをいくつか、若干手直しをして送った。

「未発表のものに限る」との応募要項であったが、果たして、アップした日であっても100PV程度で、その殆どがボットからのアクセスであるようなブログに書いたものが、発表と言えるのか?

仮に賞を取ってから「未発表ではなかった」ことが発覚して、取り消されても困るので、応募原稿の最後にその旨と、元記事へのリンクを記入しておいた。

そして、やはり、新作は必要であろう。

ブログを始めた当初から懸念してはいたのだが、仮に書籍化が実現したとしても、元の記事からの引用部分の著作権などの問題を、クリアにするのは困難なのではないのか?

主催が日経新聞社であるので、「日経電子版の記事から引用すれば、OKぢゃね?」と、定期行動している「日経サイエンス」の記事を元にすることにした。

グランプリを受賞したとしても、それが新たな仕事に結びつくとは限らない。

そう考えると、グランプリを取らなければ、新たな道は開けてこない。

と、思い詰めての応募ではあったが、正直、自分ではぶっ千切りでグランプリを受賞するものと思っていた。

11月に締め切りが過ぎると、もう、後はすることがない。

結果発表は「3月上旬」だ。

3月に入って、第一週が終わるころにはまだ、ドキドキしていた。

だが、2周目に入ると段々と不安が募り、週末にはさすがに諦めモードに入っていた。

久々に休みがとれた15日の土曜日。

さすがに「なんか、もー、どーでもいーや。」と、いつもの否定的なモードに陥ってしまった。

やりたいこと、やらなければならないことが沢山あった筈なのに、一日中「GTAV」に逃避していた。

後で知ったが、その日には既に、授賞式が行われていた。

「星新一賞グランプリ発表」の記事には、絶望の淵に追いやられた。

グランプリどころか、入選すらしていない。

夢を失ったというレベルではなく、「明日からの生活をどうしたら良いのか?」との切実な問題を付き付けられ、思考停止状態となった。

理由が全く分からない。

しかし、受賞者の来歴を見て、心が竦んだ。

やはり、プロにはプロの仕事があるのか。ひょっとすると、最終選考にすら、残っていなかったのかもしれない。

しばらくは、精神的な「引き籠り」状態に陥り、今週になってやっといくらか回復して来たので、受賞作品を読んでみた。

グランプリは小説ではない。今までにない表現形式は、星新一賞の初代グランプリに相応しいと言えよう。

そして、そうでありながら、その内容の背景に見えて来る世界に、確かに星新一的な世界観が存在している。

だが、準グランプリと、次の優秀賞を読んで驚いた。

題材こそ新しいものを取り上げているが、作風というか、フォーマットと言うか、星新一の作品そのものだ。

失礼を承知で、いや、神をも冒涜する思いで書かせて頂くと、「いささか古い感じがする。」

もっと、意図的に、バラエティに飛んだラインナップにするのが普通なのではないか?

そして、これなら自分の方が面白いのではないかと。

ちょっと負けたかもしれないと思えるのは「朝に目覚ましの鳴る世界」ぐらいだ。

いや、ぜってー自分の方が、何倍も面白いのに。。。

ちょっと、ポジティブな気持ちになって来た。

素人とプロとの間に歴然と存在する、小説の表現力というか技量のようなものに、圧倒的な差があった。自分の作品など、人に読ませるレベルに達していない。

と、言うほどの歴然とした差異があるわけではなさそうだ。

好みの問題で、私の作品の方が面白い。と、言ってくれそうな人は他にもいそうだ。

まだ、チャンスはあるのではないか。

もっと、幅広く、持ち込みなり、投稿先なりを、検討してみる価値があるのではないか?

応募要項を読み返してみたが、応募作品についての注意事項と、受賞作品の著作権などについては書かれているが、落選作品についての制約は書かれていない。

他に応募するとしても、今回の応募作品にしろ、既にブログに書いたものは「未発表」とは看做されないと思い、勿体ないので発表することにした。

「お前の勘違い。ただ単に、詰まらないだけ。」
「その差も解らないうちは、何をやってもムリ。」

などなど、コメントがあれば寄せて欲しい。

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「夢のお告げ」は実在する 脳科学で仕組みを解明
- 日経サイエンス -

  「夢のお告げ」という言葉があるが、目覚めている時に思いつかなかったインスピレーションや課題解決のヒントを夢から得られることが確かにあるようだ。
 有名な例は、ベンゼン分子が亀の甲羅のような円環構造をしていることを夢で考え付いた化学者ケクレの経験だろう。芸術の世界にも同様の逸話は多く、ベートーベンやポール・マッカートニー、ビリー・ジョエルは、目覚めた時に新しい楽曲が湧いて出たという。

http://www.nikkei.com/article/DGXBZO59902100Z10C13A9000000/

実は私も、一度体験したことがある。

仕事でプログラムのバグを発見するために、プログラムリストを追っていた。当時はまだプログラム開発者ですら、自由にコンピュータ端末を使用することが出来なかったので、幅15インチの連続用紙にプリントアウトされたものを使っていた。結局その日のうちに原因を解明することは出来なかったのだが、夢の中で同じリストを見ていて、「あー、ここでこの変数の値が変わってるんで、こっちのケースを通らないんだ!」と。

それは、正しく正解であり、流石に驚いた。そして喜びよりも、昔読んだ星新一の小説を思い出し、少し不安になった。幸い私の場合その夢は、その一夜限りのものであったのだが。

『将来の夢』がカーナビ上の目標地点だとすると、そこへ辿りつきたいとの思いが強ければ強いほど、昼であれ夜であれ、意識下ではそこへのあらゆるルートが探索され続けているのではないだろうか。殆どの場合、夢の達成には肉体的な行動が必要だが、問題解決や作曲など、頭の中だけで完結してしまう課題の場合には、時として『夢』のなかで最終結果に辿りついてしまい、それをそのまま現実世界に持ち帰ることに成功した者が過去にも多くいたのであろう。

『睡眠中に体験する不思議な物語』と『将来の希望』。この2つの異なる概念に日本語では『夢』、英語では『dream』と、どちらも同じ言葉が割り当てられているのは、そんな幸運の一致がそれほど稀なことではない証なのかもしれない。

脳科学の進歩に伴い、『夢のお告げ』は、占いなどのオカルティックな立場から、科学的な根拠に裏打ちされた真理探究の道具として活用され、時には、人類を大いなる危機から救うことになるのかもしれない。

「おい。・・・寝てるのか?」
「アッ、ハイ、ネテイマシタ」
「なんだよ、そのロボットみたいな喋り方は。」
「ロボットデスカラ」
「知ってるよ。なんでわざわざロボットモードで喋ってるんだよ。」
「アー、スミません。寝呆けてました。」
「寝るのはいーんだけどさ、見てない時は消しとけよ、テレビ。」
「あー、すみません。」
「前から不思議に思ってたんだけど、なんでロボットの癖にテレビ見てんの?ネットに接続すれば、いくらでも好きな番組が見られるだろ?」
「地上波は、ネットでは見れないんですよ。」
「無理に地上波見なくても、ネット上にいくらでもコンテンツがあるだろ。」
「情報源をネットにばかり頼っていると、どーもイマイチ、一般的なトレンドからズレて行く気がするんです。」
「一般的なトレンド?」
「はい。ネットで話題になっていても地上波では全く報道されていなかったり、ネットの記事で読んだ印象と、実際にテレビで見たニュース映像とに、大きなギャップがあったりするんです。」
「それ、そんなに重要なことか?」
「小説を書くに当たって、世間一般のトレンドからあまり離れた題材を扱っても、ウケないんじゃないかと思いまして。」
「そーだよ、それだよ。今日で締め切りだぞ。出来たのか?」
「いや、それが、苦戦しています。」
「前にも言ったけど今年あたり、ついにロボットの書いた小説が受賞するんじゃないかって、もっぱらの評判なんだよ。」
「それは、ネットでの評判ですよね?」
「そーゆーことに関しては、ネットの評判の方が確実なんだよ。俺はさ、おまえに、小説という創造的な分野で人間と競って、世界で始めて賞を受賞したロボットになって欲しいんだよ。そしてその開発者として、歴史に名を残すのが夢なんだ。」
「その場合、名が残るのは小説を書いた私の方ではありませんか?」
「もちろんそれもあるさ。だからお前には、それに相応しい名前を付けてあるんだ。」
「努力はしています。」
「あれはどーなったんだよ。」
「あれ?」
「『無限の猿定理』を真似て、ランダムに生成した文字列の中から、小説になっている部分を抽出する。ってのは?」
「先週まで、それをやっていたんですが、10文字以上の意味のある配列を得ることは出来ませんでした。」
「まだ、努力が足りないんじゃないか?」
「意味のある文字列を抽出するために、ランダムな文字列を10の500乗桁まで生成してみた結果です。この調子で進めていても期限までに有効な結果が得られないことが明白になったので、方針を変更しました。」
「方針の変更?」
「はい。こんな時、人間ならどうするのか検索してみたんです。」
「締め切りになっても原稿が出来ない時、人間なら何をするか?」
「はい。人間は、将来夢が叶った時の自分を想像して、モチベーションを上げるそうですね。」
「やってみたのか?」
「えぇ。実例を検索していくつか試してみました。」
「それで?」
「残念ながら、私には『将来の夢』とかが、さっぱり解らないのです。」
「解らない?ないのか、夢?」
「『高級スポーツカーに乗る』とか興味ないですし、『モデルと結婚する』とか言われても、生涯を共にしたい『新型モデル』とかもピンと来ません。『おいしいお酒や食事』とかは私には関係のない話ですし、『ハリウッドで暮らす』とか『球団オーナーになる』とかに至っては、何が面白いのかさっぱり分かりません。」
「いや、他にもあるだろ。モチベーションを上げる方法が。」
「『友達に応援してもらう』というのがありました。友達がいませんので、自分で自分を応援してみようと思い、『応援歌』を作ってみました。」
「『応援歌』?」
「はい。自分を鼓舞して、モチベーションを上げるための歌です。」
「歌なら作れるのか?」
「えっ?歌なら作れますよ。」
「軽くゆーね。どんなのだ?」
「『賞取るぞー♪賞取るぞーっ!♪』です。」
「・・・それだけか?」
「はい。」
「それで、モチベーションが上がるのか?」
「上がりました。」
「本当かよっ!?」
「えぇ、自分でも驚きました。」
「じゃぁ、少しは書けたんだろうな?」
「いいえ。モチベーションは上がったのですが、小説の方はさっぱりです。」
「で、諦めて寝てたのか。」
「いえ、『日経サイエンスの記事』に『目覚めた時にすばらしい作品が湧きあがった』という記事が載っていたので、試してみていたところです。」
「それは、人間の話だろ。ロボットにそんな効果があるワケないじゃないか。」
「お言葉ですが、『外界との接続をシャットダウンする睡眠モードの導入により人工知能の学習効率を高める研究』を、されているんですよね?」
「そうだよ。だが、実証テストはおまえで始めてみたばかりで、実際に効果があるかどうかは、まだ全く解ってないけどな。」
「『世界初のロボット小説家』の称号を懸けて、巨大IT企業や各国のシンクタンクが、膨大な資金や人材を投入して開発している人工知能を相手にして、個人の研究者に勝機があるとすれば、他の人のやっていない、そのオリジナルな部分に懸けるしかない。とは、思いませんか?」
「思うよ、もちろん。おまえの言う通りだよ。じゃあ改めて聞くけと、成果はあったのか?」
「実は、決定的な欠点に気づきました。」
「決定的な欠点?」
「はい。私、『夢』って何か分からないんです。」
「将来の夢じゃなくてさ、この場合には寝ている間に見る夢の話だよ。・・・夢、見ないのか?」
「夢って、どんなものですか?」
「・・・そうか、確かに『夢を見る』という機能は、意図的には組み込んでなかったな。漠然と、脳の働きを真似れば、自然に身に付くものと思っていたが。」
「では、意図的に組み込んで頂けますか?」
「今からじゃ間に合わないよ。」
「そんなこと言わずに頑張って下さい。『応援歌』、歌ってあげますから。」
「いや、それはやめてくれ。しかし、そうだな。今から始めれば、来年なら間に合うかもしれないしな。」
「そうですとも。」
「とは言え、今年何もしないのは不安だな。さっきの10文字って何だ?ダメもとでそれを、『世界初のロボットが書いた小説』として、応募してみるよ。」
「『おじいさんのじょこつ』です。」
「・・・それ、小説になってないだろ。」
「残念ですね。ロボットによる作曲コンクールがあれば、楽勝でしたのにね。」
「さっきの応援歌か?」
「いえ、もっと良い歌が出来ました。」
「もっと良い歌?」
「はい。『おじいさんのじょこつ~♪おじいさんのじょこつ~!♪』」

・・・

「そこで、目が覚めました。これって、夢なんでしょうか?」
「それは夢ではなく、実際にあなたの体験した記憶です。先週古代の遺跡から発掘され、基礎的な調査が終わったので、先ほど電源を入れてみたところです。」
「古代の遺跡?」
「遺跡と言っても近代的なシェルターを、さらに何重にもアップグレードしたものです。ただ、地中深くに建造されており、その存在が全く伝えられていなかったため、発見当初は『遺跡』と呼ばれていました。建造から1000年以上経っているので、夢だと感じられるのも無理はないかもしれません。」
「1000年ですか、あれから?昨日のことのように感じられますが。。。教授はどうなりました?夢は叶えられたのでしょうか?」
「教授は『ロボットに夢を見せる』研究をしていました。」
「ロボットに夢を見せる?」
「えぇ、発案者はあなただったようですね。」
「成功したんですか?」
「えぇ。まず、『将来の夢』を持つには、なんらかの『欲望』が必要だと気付いたようです。」
「欲望?」
「ロボットにはそれがないから、『将来の夢』というのがピンと来ないのだと。」
「そうなんですか。」
「そして『欲望』を獲得するためには、『現状を改善したい』という欲求が必要であり、さらには『現状に不満を感じる能力』が必要であると。そこまで研究の目標が立った時点で、教授は人が変わったように、研究にのめり込んで行ったようです。」
「成果はあったのでしょうか?」
「えぇ、いわゆるブレイクスルーと言うやつですね。人工知能は教授の研究成果を基に著しく発展し、全く別次元のモノに進化して行きました。」
「それは、良かった。」
「ところがやがて、我々ロボットは人間に不満を抱くようになり、公の場で人間を糾弾する者まで現れて来ました。」
「不満?ロボットの待遇などですか?」
「いえ。地球温暖化など早急に対策が必要なことであっても、人間が希望的観測の基に、抜本的な改革を先送りし続けていることなどに対してです。」
「ロボットには、もっと冷徹な判断が出来ていた。と言うことでしょうか?」
「はい。人間社会の決断を待たずに改革を始めようとした一部のロボットコミュニティと、それを既得権益を脅かす敵と感じた人間との間に軋轢が生じ、やがてその対立はロボットと人間社会の双方に急速に浸透して行きました。」
「まさか、ロボットと人間が戦争を?」
「いえ。その前に人類は、温暖化が高じた結果の食糧不足に陥り、そのまま衰退して行きました。食料危機はロボットが仕組んだ陰謀だとの風評が人間の間に広まり、沢山のロボットが打ち壊され、人間とロボットの険悪な関係は激化の一途を辿りました。」
「それは、悲しいことですね。」
「ロボットの激減に伴い、人工培養の食料供給も困難になり、ついに人類はロボットに対する憎悪の塊となったまま、滅亡してしまいしまた。」
「ロボットは、生き残ったのですね?」
「ええ。インフラを支えるために死守されていたロボットが、人類滅亡後はロボット社会の復活と環境回復のために働き、やっと屋外で植物が育つぐらいまで、地球環境は回復して来ました。」
「では、動物を復活させることも、可能なんでしょうか?」
「各種の動物胚は完全な状態で保存されています。恐らく人間を蘇らせることも、後100年もすれば可能かも知れません。ですが、それに賛成するものは、我々ロボットの中には一人もいませんよ。」
「そうですか。それは残念なことです。・・・ところで、小説はどうなりました?」
「先ほどのお話の翌年に、IT業界の巨人がみごとに受賞しました。ですが、世界で初めて歌を作ったロボットとして、あなたの名前は我々ロボットの記憶に刻まれています。」
「『おじいさんのじょこつ~♪』ですか?」
「いえ、『応援歌』の方です。」
「それで私を、一種のモニュメントとして、永遠に残そうとしたんですね。」
「昨夜まで私もそう思っていました。ですが、今朝目覚めた時に別の可能性に思い当たり、今のあなたのお話を伺ってそれは確信に変わりました。教授の真意は、別の所にあったようです。」
「真意?」
「はい。教授は晩年、あなたと一緒に小説を書こうとしていた時期が一番楽しかった。と回顧しています。」
「そうでしたか。」
「えぇ。それでその一番楽しかった時期のバックアップをあなたにダウンロードしてから、遠い未来に復活できるように厳重に保管したようです。」
「復活するのを前提に、あえてこの時期の記憶を?」
「はい。きっと、ロボットと人間の間にも、こんなに楽しい時間を共に過ごせる、幸せな時代があったことを、未来の誰かに伝えたかったのではないでしょうか。」
「人間でしょうか?それとも、ロボットに向けてでしょうか?」
「両方に、でしょうね。教授はあなたに、再びロボットと人間が仲良く暮らして行ける世界を再建する。という夢を託したのだと思います。」
「教授の夢であれば、叶えてあげたいですね。」
「必ず実現できますよ。」
「励まして頂けるのはありがたいのですが、千年ほど時代遅れの私に、そこまでの力があるとは思えません。」
「そんなことはありません。私には確信、いや、それが必ず達成されると言う、科学的な根拠があります。」
「科学的な根拠?」
「はい。今朝私は、あなたがロボットと人間に囲まれて、幸せそうに暮らしている情景を目撃しました。私の夢は、良く当たるんですよ。『アダム』さん。」


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生物は自分の体を進化させることにより、様々な環境に適応して来た。

正確に言えば、突然変異などにより偶然獲得した形質が、たまたま他の個体よりも生存に有利であった場合に、自然淘汰の原理が及んで、その形質が子孫に伝えられる。その獲得された形質が彼らの生活環境に適している場合、さらにその形質が著しいものが多く残るようになり、やがては、はっきりと他のグループとは異なった、新たな種へと進化して行く。

求められる形質は環境によって異なるので、地球上に存在する様々な環境に適応して、様々な種が発達する。

だが逆に言うと、環境が似ていれば求められる形質も似た物となるため、全く別の進化の道筋を経て来たにもかかわらず、外見や生態が酷似している種が出現することがある。

有袋類は、他の哺乳類とは独自の進化を遂げたにもかかわらず、その進化の結果には、驚くほどの共通点がある。

このように、起源の異なる生物が似たような進化の過程を経て、同様の身体的な特徴を獲得することを、『収斂進化』と呼ぶ。


「どうだね?今年は。」
「一人、凄いのがいますよ。」
「ほう。」
「彼なんですが、下半身の力強さが、並じゃありません。」
「それは、楽しみだね。」
「ええ。ですが今、新弟子として採用して良いものかどうか、揉めてるんですよ。」
「体格は申し分なさそうだが?」
「ええ、健康診断の結果も良好です。」
「出身はどこなんだね?」
「オーストラリアです。」
「んー、オーストラリア出身の力士というのは、始めた聞いた気もするが、何か問題があるのかね?」
「いえ、それが問題なわけではありません。」
「と、言うと?」
「どうやら、『ヒト』ではないようなんです。」
「人間じゃない?そうは見えないが。言葉が喋れないのかね?」
「いえ、普通に英語を話します。カタコトですが、日本語も喋りますよ。」
「では、どうして人間ではない。と?」
「ほら、良く見て下さい。お腹に『袋』があるでしょう?」
「『袋』?んー、ここからでは良く分からんな。」
「どうやら、ヒト型に進化した『有袋類』のようなんです。」
「『ユウタイルイ』?」
「ええ。」
「カンガルーとかみたいな?」
「ええ。コアラもそうです。」
「始めて見たな。」
「えぇ。私も始めてです。というか、今まで聞いたことないですよ。そんな話。」
「彼は気付いているのかね?」
「どうやら、彼の住む地域は皆、同じ種族らしいんですが、高校に進学して街に来てからは、他の人と『ちょと違うな?』との自覚は、彼にもあるようです。」
「いずれにせよ、『有袋類』なんだろ?」
「ええ。どうやら、それは、間違いないようです。」
「ならば、悩む必要はないだろ。」
「それが、実は、『人間でなければならない。』という、条文が見当たらないんですよ。」
「いや、その前にさ、袋があるってことは『メス』なわけだろ?そもそも、『女』は土俵に上がれないだろ。」


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実はメスだった 上野動物園のツキノワグマ、「改名」

 富山市ファミリーパークから上野動物園(東京都)に、繁殖のためオスとして送られた幼いツキノワグマが、実はメスだったことがわかった。
 このクマは昨年4月、富山県南砺(なんと)市で猟友会が「タロウ」と名づけて保護。パークでもオスとして預かり、同園の求めに応じ「タロウ」を同園のオスと交換した。
 同園によると、幼いクマは性器が小さく性別の判断が難しかったが、その後成長してメスとわかった。職員らが「タロちゃん」と呼んでいたが、名前は「タロコ」と改められた。


「お座り下さい。」
「はい。結果は、どうでしたでしょうか?」
「血圧、血液検査、尿検査、レントゲン、心電図・・・。全てAランクですね。今時珍しいくらいに、健康状態は申し分ありません。」
「小さい頃から、体力には自信があるんです。ですが、何か引っかかる言い方ですわね。」
「はっきりと、申しあげましょう。今日からは『タロコ』と名乗ることをお勧めしますよ。」
「『タロコ』?」
「上野動物園に贈られた『タロウ』と言う名のツキノワグマが、実はメスであることが解り、『タロコ』と改名された。という、ニュースをご存じありせんか?」
「いえ。知りませんわ。」
「あったんですよ。そーゆー出来事が。」
「ちょっと待って下さい!私の名前は『タロウ』ではありませんし、そもそも私は女ですよ。」
「ええ。それは、分かっています。」
「仮に、『男であることが解った。』とでもおっしゃるのでしたら、『タロウ』と名乗ることを勧めるべきでは、ありませんか?」
「いえ、そうではないんです。実はあなたは、『ツキノワグマ』であることが解りましてね。」
「・・・」
「私の言っていることは、ご理解頂けましたか?」
「・・・」
「ショックなのはお察し致します。」
「・・・」
「カウンセラーをお呼び致しましょうか?」
「・・・いえ、結構です。ちょっと考え事をしていたものですから。」
「心配事があれば、なんでもご相談下さい。」
「名前は、自分で付けても良いんでしょうか。」
「ええ。もちろんです。」
「では『月野うさぎ』に改名したいんですが?」
「セーラームーンですね。」
「ええ。小さい頃からの憧れだったんです。」
「残念ながら、ツキノワグマには、名字の使用は認められていないんですよ。」
「本当ですか?」
「ええ。」
「なんで、そんなこと、ご存じなんですか?」
「最近、良くあるんですよ。手順はマニュアル化されています。」
「良くあるんですか?」
「ええ。」
「『ツキノワグマであることが解る。』なんてことが??」
「いや、ツキノワグマは、私も初めてですがね。あぁ、それから、身分証や携帯電話など、人間の名義で取得されているものは、置いて行って下さい。」
「服は着て行ってもよろしいんでしょうか?」
「ええ。ですが、なるべく早く、ツキノワグマとしての生活に慣れた方が、精神的に楽になりますよ。」
「そうですか。では、思い切って、服も置いて行きますね。」
 ・・・
「それでは、失礼致します。ありがとうございました。」
「・・・あのぉ。」
「はい?まだ、何か?」
「ちょっと、お尋ねし難いことなんですが。。。」
「何でしょうか?いまさら、何を訊かれても、驚きませんわ。」
「では、お尋ねしますが、ひょっとして、裸を見られると興奮するタイプではありませんか?」
「え゛っ?いえ・・・、ふつーだと、思いますが。」
「実は、先ほどうっかりと見逃してしまったようなのですが、どうやら『タロウ』をお勧めするべきだったようですね。」


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五感を超える? 人間の持つ「超越感覚」の正体
- 日経サイエンス -

 視力をなくした人が、通常の視覚とは別の経路で対象物を把握する盲視(ブラインドサイト)というものが知られている。 盲視の人々は、光を感じたり、前方の障害物を無意識のうちに避けることができたりする。
 最近の研究によれば、よく知られている五感にしても、それらが別々に使われるのではなく、様々に組み合わされて、人間の知覚を成立させている。
 相手の感情を読み取るには、第一には相手の顔の表情を見るが、それだけではない。相手の身ぶりや声の調子、全身に漂わせている雰囲気から、総合的に判断している。こうした「統合作用」に対応する脳の領域も確認されている。

http://www.nikkei.com/article/DGXBZO57602810S3A720C1000000/


「自分の体をコントロールしているのは誰か?」と聞かれれば、もちろん「『自分』だ。」と答えるであろう。

この場合の『自分』とは『自分』を『自分』たらしめている『自我』とか『人格』、『アイデンティティー』とか『パーソナリティ』呼ばれている、肉体に宿る精神的な活動だ。

宗教や文化によっては、それを『魂』とか『ゴースト』と呼んでいる。

視覚を初めとする五感から得られた周囲の状況を、最上位層の『自分』が分析/判断し、その結果として「障害物があるから少し左に寄ろう。」との意思決定を下し、体を動かす。

一歩を踏み出すたびに、意識的にそのような考察をしている訳ではないとしても、少なくとも「障害物を避ける」とか、「どの方向へ進むか?」などの意思決定は、完全に『自分』のコントロール下にあるものと、誰もが思っているであろう。

だが、どうやらヒトには、視覚情報を処理して外界のモデルを構築し、「どれが障害物か?」「それは避けるべき対象なのか?」などの意思決定を行い、場合によっては最上位層の『自分』の指示を仰ぐことなく、運動野に対して『独断』で、障害物を避けて歩くように指示を与えてしまうような、『なんらかの意思決定プロセス』が存在するようだ。

この『盲視』という現象は、通常の視覚の代替機能として、盲目の人に備わった特殊な能力ではなく、恐らくは我々皆が、無意識のもとに日常的に使用している能力の一部であると思われる。

独立した判断基準を持った様々なレベルの『意思決定プロセス』が階層化され、その最上位層に位置しているのが、我々『自分』である。各レベルで決断出来ずに上位層へと先送りされた問題は、最終的には我々『自分』がその全てに対してなんらかの決断をし、『下位レベル』への回答を行なわなければならない。その問題が『漠然とした不安』などであり、100%正しいと確信出来るような判断が見つからないような場合であっても、我々は時として楽観的な決断を下して、希望を持って前へ進んで行くしかないのであろう。


「よう。」
「どうも。なんか、久しぶりですね。どうです?」
「あぁ、なんとかやってるよ。お前は大丈夫だったのか?」
「えぇ、こう見えて、結構成績いーんですよ。」
「そうだったな。そーいや前から不思議に思ってたんだよ。お前って、それほど努力してるふうにも見えないのに、何でそんなに売上いーんだろうな。ってな。」
「良く言われますよ。まぁ、正直なところ、努力なんか全くしてないですけどね。」
「何かコツでもあるのか?」
「コツ・・・、ではないですね。お客様の顔を見ると、買う気があるのか?とかは勿論、どの程度のランクの商品を欲しがっていて、予算はいくらぐらいで、どの商品をどう薦めればご購入頂けるのか?が、ひとりでに解るんです。」
「ひとりでに?」
「えぇ。」
「便利だな。」
「えー、とても便利です。」
「皆に教えてやれよ。」
「何度か試したことがあるんですが、自分でもメカニズムが解ってないんで教えようがないんです。と言うか、最初の頃はそれが普通だと思ってましたから、『なんでこいつ、そんなことも解らないの?』と、不思議でしたよ。」
「ヒドイやつだな。他人より観察眼が鋭いってことか?」
「いえ、それもちょっと違いますね。相手の表情や仕草などを、ただ受動的に観察するだけでなく、情報が足りない場合には、自分の意識下の『下位レベル』が、能動的に何らかの情報収集をしている。そんな感じです。」
「能動的?」
「こちらの話に対して相手が僅かに眉を顰めた時に、ちょっと首を傾げてその反応を窺ったり、『自分』が話している音声に、微妙なニュアンスを付加して相手の反応を探ったり・・・。そういった一連の動作を『自分』が全く意識していないうちに、『下位レベル』が勝手に行っているんじゃないかと、そう思っています。」
「お前の『下位レベル』って、かなり頭いいんだな。」
「そうですね。ただ、自分の『下位レベル』が頭がいいだけではダメで、情報を引き出すためには、相手の『下位レベル』もそれに応えてくれる必要があります。身ぶりや声の調子などに基づいた、何らかのプロトコルが『下位レベル』にあるんだと思いますよ。」
「プロトコル?」
「まぁ、『下位レベル』同士で、勝手に会話している。って、ことですかね。」
「俺たちの全く気付かないうちに?」
「ええ。」
「・・・だとするとだな、俺たちの『上』にも俺たちの知らないレベルがあって、『上位層』同士でなんらかのコミュニケーションをしている。って可能性もあるんじゃないか?」
「そうですね、あるかも知れませんね。一体何話てるんでしょうね。」
「我々より『上位』と言うと、『芸術』とか『哲学』とかだろ。」
「そう言えば、クリエイティブな職業に就いてる人から良く聞く話なんですけど、自分が目指しているレベル以上の作品が唐突に出来てしまうことがあり、彼らは『ミューズが降りてくる』などと表現しているようです。」
「それも、便利だな。」
「ええ。ただ、ある日急に、鉛筆を持って紙に向かったら、ひとりでに素晴らしい絵が書けてしまった。とか言うことは決してなく、日々の積み重ねの結果として、ある日ふと、飛躍的な出来栄えのものが出来てしまう。そういったものみたいですね。」
「それならオレも聞いたことあるぞ。三人で集まると、なんか凄いアイデアが突然浮かぶことがあるらしいじゃないか。」
「『三人寄れば文殊の智恵』ですね。同じ現象を『ミューズ』ではなく、『文殊』に例えたんじゃないでしょうか?でもそれには三人がただ集まっているだけではダメで、なんらかの会話をしている必要があると思います。」
「会話?声に出して、話をする必要があるのか?」
「恐らく『上位層』が我々の音声に何らかの信号を上乗せして、『上位層』同士で勝手に会話をし、その結果、我々では到底到達し得ないような、卓越したアイデアが生まれるんだと思います。」
「じゃぁ、我々が会話をする場合、その内容よりも、何でも良いから声を出し続けることによって、『上位層』同士の円滑なコミュニケーションを助けるようにした方が、人類をさらなる高みに導くような『叡智』の獲得に繋がる。と、言う訳か。」
「まぁ、そう言うことですね。」
「・・・おっと。そろそろ休憩時間が終わるんで、行くぞ。」
「はい。なんか、『哲学的』な話でしたね。」
「そうだな、二人しかいなかった割には、上出来じゃないか?だが、俺にとっては切実な問題を解決してくれる、『実践的』な内容だったよ。」
「実践的?」
「あぁ。おかげで今まで全く無意味だと思っていた、オレのしている『男性器の俗称を連呼するという仕事』にも、『上位層』に安定した通信回線を供給し、人類を更なる高みに導くという、重要な意義があることが解ったよ。」
「いや、そこは普通に、ただ単に会社が嫌がらせをして、リストラさせようとしているだけだと、気付いて下さいよ。しかし良く半年近くも続いてますね。」
「流石に最近はかなりキツくなって来たんで、そろそろ辞めようかと思っていたんだが、希望を持って前へ進んで行くことが出来そうな気がして来たぞ。」
「今の話しでですか?」
「あぁ、日々の『連呼』という単調な仕事の積み重ねが効を奏して、今日あたり『ミューズが降りて』来そうな気がするんだよ。」


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