未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle






前回も書いたが、公式HPがなくなってしまったので、googleの『満島ひかり』の検索結果をお気に入りに入れて、定期的にチェックしている。

先週、新しい記事を見つけたのだが、昨日の時点でもう、先頭ページから消え、いつもの古い記事ばかりになっていた。

あれ?と、思って調べてみると、googleの「すべて」のタブにではなく、「ニュース」のタブに残っていた。

「そうか、こっちを見れば良いのか。」

「すべて」の方には、今年6月頃の独立絡みや、8月の小沢健二絡みの、ファンから見れば中傷やバッシングにしか思えない、不愉快な記事で埋め尽くされている。何故かは分からないのだが、全世界が一斉に、満島のバッシングを始め、それが始まった途端に、そのまま、世界が凍り付いてしまったかのようだ。

異様だ。

違和感が半端ない。


「ニュース」のタブには、「すべて」のタブからは辿り着けない、私のまだ読んでいない記事が並んでいた。

満島ひかり、誰が「不可解な」ワガママ舞台降板説を流しているのか?
https://biz-journal.jp/i/2018/06/post_23687_entry.html

ところが、これらの報道について、ある芸能界関係者は真っ向から否定する。
以前からたびたび出ている満島の“ワガママ”報道は、どれも確証のないものばかりで、飛ばし気味のものも多かった。今回も、誰かが満島のイメージダウンを狙って流しているとしか思えませんが、その“誰か”についてはさまざまな情報が飛び交っています。


満島ひかり、「高慢&ドタキャン」報道を生んだ精神状態
https://biz-journal.jp/i/2017/11/post_21491_entry.html

だが、この報道についてテレビ局関係者は、「仕切りが悪かったイベント会社が満島に責任転嫁しただけだ」と内情を分析する。
「今回の映画祭の運営を任されていたイベント会社の仕切りが、とにかくダメダメだったんですよ。打ち合わせから雑で、女優にとって一番大事な登場する順番や名前を呼ばれる順番をうまくまとめることができず、揉め事のタネをつくってしまった。そこで、満島さんが運営側に苦言を呈したのは事実ですが、満島さんだけじゃなくて、ほかの女優や所属事務所もカリカリしてたんですよ。その中で唯一、はっきりと苦情を入れたのが満島さんだけだったということです。今回の報道の情報元は、そのイベント会社だといわれています。自分たちの仕切りが悪かったせいでテレビ局からのインタビューが飛んだとなれば、今後仕事がなくなりますからね。だから、満島さんのワガママのせいでイベントが大変だったということにして、責任転嫁を図ったとみられています」


満島ひかり・真之介姉弟が「素行不良」でバッシングされている原因
https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Myjitsu_058059/

決定的だったのは、この記事だ。、

満島ひかりは業界の慣例を無視するワガママ女優なのだろうか?
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20171115/Messy_56665.html

これだけを読んでも、満島ひとりの責任だと断罪し、ワガママ姫女優のレッテルを貼るのは無理があるように感じた。また、安藤サクラも満島と同じ芸能事務所に所属しているにもかかわらず、「女性自身」のバッシング記事ではそのことが何も考慮されず、満島サイドvs宮崎・蒼井・安藤の事務所サイドという構図が描かれていることも不思議だ。


小沢健二絡みの記事は、無理やり不倫臭を漂わせようとしているようだが、これは流石に、誰が読んでもそんな話ではない。

独立絡み、舞台降板絡みの記事は、一つのソース(女性セブン)からの引用か、憶測を並べているに過ぎないものが殆どである。

だが、舞台挨拶をやりたくない。との記事は、満島ならあり得ると思い、ヒドイことを書いてしまった。

上の記事は、説得力がある。他の誹謗中傷としか思えない記事が、読んでいてもやはり、誹謗中傷にしか聞こえないのだが、これらの記事には真実味が感じられる。

「満島ロス」気味だったとは言え、ヒドイことを書いてしまった。

ごめんな、満島。

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年末(2018年)にやるようだ。


独立して困るのは、公式HPがなくなったため、定期的な情報が入って来ない。

仕方がないので、googleで「満島ひかり」で検索した結果をお気に入りに入れ、定期的にチェックしている。

だが、ここ最近、6月くらいの記事を最後に新しい情報が入って来ない。

あたかも満島の住む異世界との扉が、パタンと閉じてしまったかのようだ。

先週久々に満島の新しいニュースがあった。

『花椿』でペトラ・コリンズが「東京少女」撮影 満島ひかり×Chara対談も
https://www.cinra.net/news/20181011-hanatsubaki

「光と陰」をテーマに「ひかり」の名前の由来や、事務所を独立してからの話などを語っている。

『花椿』冬号は資生堂関連施設および全国の書店の約50か所で無料配布される。



先週金曜日に外出していたので、帰りに普段は通らない新橋で途中下車し、「SHISEIDO THE STORE」に寄って来た。

「資生堂パーラー銀座本店」や「SHISEIDO GALLERY」は、ちょっと敷居が高い。

「SHISEIDO THE STORE」なら、なんとかなるのではないか。


「すみません。」
「いらっしゃいませ。」
「『花椿』が欲しいんですが。」
「『花椿』?当店では扱っておりません。確か、ドラッグストアとか・・・」
「いえ、広報誌って、言うんでしょうか。」
「コーホーシ?」
携帯を見せる。
「少々、お待ちください。確認して参ります。」
待っている間に、入口近くのブックスタンドに発見。別の店員さんが現れる。
「はい。」
「『花椿』、資生堂の広報誌っていうんでしょうか。が、欲しいんですが、コレですね。」
「あぁ、そうです。」
「これ、頂いてもよろしいでしょうか。」
「はい。どうぞ。」
「何か買った方が良いですか?」
「いえ、大丈夫です。ご自由にお持ち下さい。ですが、何かお困りのことがあれば、ご相談をお受け致します。」
「そうですね、この腹周りですね。」
「ハラマワリ?」
「はい。これです、これ。」
「生憎と、当店の商品では、お役に立ちかねるかと。」
「いえ、別にこのメタボをどうこうしようと言うのではないんです。」
「そうなんですか?」
「あっ、やっぱりそう思いますよね。」
「いえ、別にメタボとか、そのように思った訳では・・・」
「いーんですよ。それより、最近ファンデのノリか悪いもので。」
「ファンデノノリ?」
「はい。ボランティアで『腹踊り』をやっているのですが、年のせいか、なかなか化粧かキマらないもので。」
「でしたら、化粧水の良いものがありますが・・・」
「『ありますが・・・』?・・・そうですね。ちょっとお高いですよね?」
「そうですね。これだけご立派ですと、一度に2本ぐらい使われますよね?」
「使わねーよ。」


「ご相談をお受けします」あたりからは、妄想だ。行く道すがら「何か買った方が良いのか?」と、作戦を考えつつ行ったのだが、気持ち良く頂いた。

道すがら、表紙をチェックしたが、満島の名前が見当たらない。?と思ったが『花椿』に間違いないので、電車に乗るまで待って内容を確認したが、やはり満島は載っていない。

記事を読み返すと、「冬号」の配布は、10/15(月)からであった。

今日、また外出していたので、再び新橋て途中下車した。

店員さんは皆、忙しそうだったので、徐に『花椿』を手に取り、目の合った店員さんに、アイコンタクトで了承を得て、頂いて来た。

久しぶりだな、満島。独立後の話題には、それほど触れられていない。

記事の最後に『年末にHNK BSプレミアムにて「シリーズ・江戸川乱歩短編集」第3弾が放送予定。』と、あった。

「やったー!!(マシ・オカ風)」

「もう、映像作品には出演しないのでは?」との噂もあり、半ば諦めていたのだが、選りにも選って、私の大好きなシリーズの第3弾だ。


ちょっと前に、私の記事に、Twitterからのリンクで数件のアクセスがあった。

そもそも、[いいね!]ボタンとか押して欲しくて、この何のヘンテツも無いテンプレートに変えたのだが、過去に1度しか拡散してもらったことがない。その時も、数件であった。

なぜ今頃、この記事で?と、リンク元が知りたくて Twitter検索をしてみたのだが、なんと、監督ご本人からであった。

「素敵な感想をありがとう。」

私がこのブログを書くのは、大抵は対象の女優さんなり、作品なりへのラブレターだ。

彼女が私の記事を読んで、ちょっと幸せになってくれてる様を妄想をして、悦に入り、心の拠り所にしている。

ご本人から何らかの反応があったのは勿論初めてであり、それなりに嬉しかったのだが、「なぜ、満島からじゃないんだ!」と、すぐに欲張った感情に支配されてしまった。

もう一つの方は、読んでいないのだろうか?との、後ろめたさもあったのかもしれない。

もしかすると、この企画で、佐藤佐吉監督にオファーがあったのかもしれない。

では、もう一度、言っておこうか。

『思いっきりハードルを上げて待っているからな、佐藤佐吉!!』(ファイからの熱いラブレターです。)

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安藤サクラが観たくて、DISCASで借りた。

まずは、良く知っている安藤サクラに、「そうだよ、これだよ」と、久々の再会を果たす。

だが、この作品、またもや安藤に裏切られる。

もうね、役作りとか、憑依型とか、そういったレベルではない。

伝えたいメッセージはシンプルだ。

そして、安藤サクラが演じているが故に、それがストレートに伝わって来る。

あらすじだけ読んだら、多分、自分は観ない類の映画だ。

だが、安藤サクラのおかげで、出会うことが出来た。

改めて、安藤サクラ、どうしてここまで凄いのか。

これが演れる役者さんを、他に思いつかない。

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前期、「永野芽郁」目当てで久々に朝ドラを見ていたのだが、いかんせん、ストーリーが雑なので、盛り上がりに欠けた。

終いには「演技が単調」とまで言われてしまったが、あの脚本(原作?)では、そもそもが主人公が一面的に描かれているので、演技云々以前の話だ。今後の「永野芽郁」に期待したい。

「半分青い」に懲りたので、次の朝ドラは見るのやめようと思っていたのだが、「安藤サクラ」が主人公と聞いて、ザワ着いた。

「愛のむきだし」を初めとする、初期のサイコな安藤のイメージが強いので、朝ドラなんか出来るの(やっていいの?)と言うのが、最初の感想であった。

怖い物見たさで「ちょっと観てみよう」と観始めたのだが、完全に予想を裏切られた。

「ふくちゃん、可愛い。」

さすがの貫禄によるプラスアルファがあるのだろう。普通に観ていたら新人の娘が演っていると思うだろうし、逆にあまりにも可愛らしい(緊張とか、演じているとかが全く感じられない)辺りに、今までにない新鮮さを感じる。

オープニングがまた良い。録画して観ているので、普通はオープニングって、最初の一度だけ観て後は飛ばしてしまうのだが、これ、今のところ毎回欠かさず観ている。何度見ても見飽きない。

先入観がなければ、普通に「愛らしい娘」だな、で済んでしまうのかもしれない。私のように先入観があると、「これ、本当に『安藤サクラ』なのか?」と、驚愕に脚をガタガタ震わせて(震えません)、アラ探しをするが如く目を見開いて観ているのだが、結局は途中から「ふくちゃん」に魅入られて、最後の「パン!」をワクワクしながら待ってる。

「本当にこれ、安藤サクラなのか?」

「ふくちゃん」を見れば見るほど、全くの別人だ。いや、別人どころの騒ぎではない。

「ふくちゃん」可愛い。

これが演技だとは、とても感じられない。自然過ぎる。(自然過ぎることすら感じられない)

今週一週間、安藤サクラが気になって仕方がない。

「そもそもの自分の先入観が間違っていたのか?安藤サクラの他の作品も観てみたい。」と、今週はずっとそんな気持ちに占められていた。


この3連休、映画でも観に行きたいと思っていたのだが、観たい映画を全くやっていない。

あれこれ探しているうちに、まだ『万引き家族』をやっているのを見つけた。

一週間のもやもやとマッチして、「これだよ、これ」と、観に行くことにした。

そもそも『万引き家族』が話題になっていたころは、観に行く気がしなかった。

根がヒネクレ者なので『カンヌでパルムドール』との文脈から映画を観に行くというのを小バカにしていた(ノーベル文学賞の文脈から『カズオ・イシグロ』を読むというのと、同じ違和感)のと、『万引き家族』というタイトルが、『いかにも』過ぎて敬遠していた。

是枝監督も『誰も知らない』は観ていた(これは、素敵な映画だった)が、何となく一般受けする監督との印象があったので、二の足を踏ませていた。


だが、審査委員長の「安藤サクラの真似をしたと思ってください」との逸話は見知っていたし、実は凄く気になっていた。

最高の褒め言葉だ。普通ならこの言葉を胸に抱いて、もう一生生きて行けるぐらいの貴重な言葉だ。


以前から泣く演技に拘りというか、気になっていることがある。

涙を流しても、それを拭わない演技を良く見かける。これ、もの凄い違和感があるので、観ているドラマでこれをやられると、途端に見る気が失せる。

興覚めだ。

涙が流れて拭わない人はいない。

涙が流れて拭わないのは、主人公が泣いている姿を見せて、「ここは主人公が涙を流しているシーン、主人公が泣いているシーンなんですよ。皆さんも泣いて下さいね。」と、言われているような圧力を感じる。

ちゃんとしたドラマだと控えているのだが、そうでもないと必ずそうしなければいけない決まりでもあるがごとく、しょっちゅう見かける。

海外ドラマだと、ちょっとした端役の女優さんであっても、必ず涙は拭いている。

視聴者を馬鹿にしている、教えてあげないと解らない、泣いてくれない、感動してくれない。

涙を流しているのを見せれば、泣くところであるが解るので、感動してくれるので、視聴率が上がる。

そう、誰かが杓子定規に決めているとしか思えない。


安藤サクラのそのシーンは、先入観があって敷居が上がっていたにも関わらず、なるほど、とても素敵なシーンであった。

涙が流れる前から瞼を拭い初め、いつのまにか涙まみれになっている。

確かに、初めて見る泣き方だ。(一応断っておくと、理屈で泣いたわけではなく、振り返っての後付けだ。)


映画も、素敵な映画であった。樹木希林から子役の子までが万遍なく、凄く良く捉えれているし、そう言えば、『松岡茉優』も出ている。

ストーリーも、ちょっと変わった家族の日常を淡々と捉えているドキュメンタリー風の物かと思いきや、サスペンス風の展開というエンタテイメント的な要素もちゃんと含まれている。

『カンヌ映画祭』という意味を、改めて実感させられた。


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