未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




「ウェアラブル・テクノロジー」の現状レポート
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060329/20060329301.html

 ロンドンのセントラル・セント・マーティンズ美術大学の上級研究員で、『未来の服飾』(Fashioning the Future)という著作もあるスーザン・リー氏は、「スプレー・オン・ドレス」なるものを提唱している。特殊配合の化学薬品を使い、ほぼ何もないところからその場限りのドレスを作り出せるというものだ。この化学成分を肌の上に直接スプレーすると不織布の層ができ、これを好きな形に変えられる。また、MITメディアラボでも、学生たちが「エピ・スキン」なるものを作り上げた。これは、実験室の試験管の中で培養した上皮細胞を使って作ったアクセサリーだ。

「ウェアラブル・テクノロジー」。聞きなれない言葉だ。

初めはてっきり、「ウェアラブル・コンピュータ」の記事だと思った。

『技術を着る』という表現には、ちょっとシュールな響きがある。

だが、ここで挙げられている技術は、確かに「新素材を利用した衣服」といった程度の概念からは、少し上の次元を行っているようだ。

1885年のレーヨンの発明以来、人類は衣服に対する技術革新を続けてきた。そしてその中から、時として非常に優れた特色を持つものが生み出される。

今ではお馴染みになった様々な新素材も、開発直後は非常に希少性の高いものであったに違いない。そのまま衣服にして売り出したとしても、目新しさだけでは、商品としては成り立たない。

だが、そんな高価なものであっても、世の中には必要としている人々がいる。

0.01秒の差のために、あらゆる努力を惜しまない、一流のアスリート達だ。

彼らの飽くなき向上心から、新素材はスポーツウェアと生まれ変わり、さらなる技術革新が重ねられ、やがては我々一般人が、日常的にその恩恵に預かることができるようになる。

自分の記録を伸ばすために、肉体的な自己鍛錬はもとより、果敢に最新の技術に挑戦して行く。そんなアスリートたちの尊い戦いにより、『技術』もまた、その高みへと上っていくのだ。

衣服はいったい、どこへ向かっているのだろうか。


「これですね?」
「ええ。前回採取した表皮幹細胞を、シート状に培養したものです。」
「これを、裁断・縫製して、パンツ状にするのですか?」
「いえ、剥離面に接着タンパク質が残留しますので、そのまま皮膚に装着可能です。」
「これって、透けて見えませんか?」
「透けるというよりは、皮膚の上に皮膚が貼りついた状態ですので、分子工学的見地からは、裸であるのと、何ら変わりがありません。」
「それでは、競泳競技規則違反で、出場停止になりますね。着色することは、できなんですか?」
「開発中のこの塗料を塗ってからシートを装着すれば、かなり防止できます。」
「開発中ということは、何か問題があるのでしょうか?」
「いえ、人体には無害ですし、皮膚呼吸の阻害などもありません。不透明度を上げるべく改良を重ねていますが、現時点でも、殆ど問題はありません。着用してみますか?」
「ええ。紺色で、競泳パンツっぽくペイントして下さい。」

・・・

「どうです?ほとんど何も着ていないような感じでしょう?」
「ほとんどと言うより、丸裸と同じ感覚ですね。かなりの好タイムが期待できそうです。」
「不透明度もかなりのものでしょう?」
「ええ。その点については、問題ありません。ただ、一つ気懸かりなことがあるのですが・・・」
「いえ、ですから、伸縮率を含め、あらゆる要素が皮膚と同じですので、勃起したからと言って、その部分のみ、剥がれ落ちるようなことはありません。」
「いえ、勃起するまでもなく、あまりにも形状が、ハッキリとし過ぎていますよね。これですと、『水泳着は、見苦しいもの、不謹慎なものの着用を禁ずる。』という条項に抵触してしまいます。やはり、水着としての利用は、まだムリなようですね。」
「そうですか・・・。それは、残念ですね。」
「これ、脱ぐ時は、どうするんですか?」
「脱げません。」
「はい?」
「既に皮膚と同化していますので、『脱ぐ』ということはできません。」
「これって、『ウェアラブル・テクノロジー』による新素材ではないのですか?」
「確かに『着れる』と詠っておりすが、『脱げる』とは言っておりませんので。」

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ダムに無線タグ巨大読み取り機、サケを追跡
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060324/20060324206.html

 米デジタル・エンジェル社は23日(米国時間)、オレゴン州のコロンビア川で、無線タグによるサケの遡上追跡システムが完成したと発表した。ボンネビル・ダムの近くに、高さ約5メートル、幅約5メートルの巨大な無線タグ読み取り機を設置。稚魚にタグを植え付けて放流し、生還する確率などを調べる。

ダムの建設がサケの遡上の障害物となり、水産資源の減少を招いたとして、ダム廃止を求める声が出ているようだ。

今回の実験は、遡上して来るサケの数を正確にカウントし、ダムが自然環境に与える影響を科学的に検証しようという試みだ。

だが、機械、特に新しい技術には、思いもよらないようなトラブルが付きものだ。

特に、実用化が始まったばかりの技術を過信してしまうと、正確なデータを得るのは難しい。

せっかく実証実験を始めたからには、開発者は実験室に引きこもらず、フィールドに出かけて行って、地道な調査を怠らないようにして欲しい。

さもないと、思わぬ落とし穴が待ち受けているかも知れない。


「どうだね?」
「タグのデータを見る限り、今年は、サケの遡上数が激減しています。」
「対照データを取るために、先行して調査を開始しているが、ダムの建設はまだ、始まっていないんだろ?」
「ええ。既設の光学式のカウンターのデータは、前年と殆ど変わっていません。」
「それは・・・。つまり、どういうことかね?」
「どうやら、タグを埋め込まれたサケのゲート通過数のみが、激減しているようです。」
「タグを埋め込まれたサケが、何らかの理由により、生還する前に死滅しているとでも言うのかね?」
「タグの安全性は、我々社員全員が、身を持って証明しています。どうやら、原因は別の所にあるようです。」
「こんな実験室に閉じこもっていないで、現場に行って来たらどうかね。」
「それには、及びません。実は昨日の午後3時ごろに、一度に20匹のサケの通過が記録されました。」
「20匹同時にかね?」
「ええ。その時の監視カメラが捕らえた映像がこれです。」
「どうやら、熊のようだが?」
「はい。この熊が、ICタグを埋め込まれたサケを大量に食べ、腹部に溜まったタグが、熊の通過時に、一挙にカウントされたようです。」
「この熊は、ICタグの埋め込まれたサケのみ、好んで食べているとでも、言うのかね?」
「ええ、その通りです。」
「そんなことが、あり得るのかね?」
「はい。今度は、この拡大画像をご覧下さい。」
「熊が何か、前足に持っているようだが。」
「携帯型のICタグリーダーであることが判明しました。」
「つまり、ICタグリーダーを持った熊が、それをレーダー代わりに使用して、タグを付けたサケのみを、選択的に捕獲していたというわけだね。」
「ええ。これで、辻褄が合いましたね。」
「合わねぇよっ。いったい、熊が、どこでそんなもん手に入れたんだよ。」
「恐らく、自然保護活動家が、我々の調査を妨害しようと、渡したものだと考えられます。」
「サケの遡上を妨害して、ダムの建設に反対するためだね。」
「その程度なら、まだ良いのですが・・・。」
「まだ、何かあるのかね?」
「昨年、我々が放流した、ICタグ付きのサケは、1万匹ほどです。いくらタグリーダーを持っていたとしても、1匹の熊に、全部を捕獲することは不可能です。おそらく、20匹を越える熊が、ICタグリーダーを片手に、餌を求めて、山中を徘徊しているものと考えられます。

我々が、現場に行くのを躊躇しているワケが、お分かり頂けましたでしょうか?」


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「コンピューターに組み込まれないアート」を考える
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060317/20060317204.html

19世紀に生物学の理論の1つを表わす言葉として登場しながら、当時は誰にも信じてもらえなかったさえないキャッチフレーズが、今度はウェブの比喩という形で復活を遂げた。

子宮の中にいる個々の胎児(これが「個体発生」、つまり個人の発達にあたる)は、発達の過程でその種が経てきたすべての進化の過程(こちらは「系統発生」)を反復して経験するように見える。
最初はエラや尻尾のようなものを持っているが、そこから次第に高等な生物へと変わるというのだ。

著者はコンピュータの発展が、旧来のメディアの進化の過程をなぞらえ、反復していると言及している。

有袋類は、他の哺乳類とは独自の進化を遂げたにもかかわらず、その進化の結果には、驚くほどの共通点がある。

このように、祖先のことなる生物が、よく似た環境に適応して似た特徴を持つことを『収斂進化』と呼ぶ。

テレビを見るのも、パソコンで同じ番組を視聴するのも、その体験には、なんら変わりがない。

むしろ、コンピュータを介在したメディアの発達は、収斂進化と呼ぶべきなのかもしれない。


「どうだね?今年は。」
「一人、すごいのがいますよ。」
「ほう。」
「下半身の力強さが、並じゃありません。」
「それは、楽しみだね。」
「ええ。ですが今、新弟子として採用して良いものか、揉めているんですよ。」
「確かに、オーストラリア出身の力士というのは珍しいが、今時、外国人であることが、そんなに問題になるのかね?」
「いや、彼の場合には、別の問題があるんですよ。」
「何かね。」
「どうやら、『ヒト』ではないようなんです。」
「人間じゃない?そうは見えないが。」
「ほら、良く見て下さい。お腹に袋があるでしょう?」

 ・・・

「ならば、悩む必要はないだろう。」
「いえ、実は、『人間でなければならない。』という、条文がないんですよ。」
「いや、そもそも、『女性』は土俵に上がれないんだよ。」

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HUD表示をやめればゲームの臨場感が増すか?
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060315/20060315205.html

私がプレイしている『Xbox 360』向けボクシングゲーム『ファイトナイト ラウンド3』の画面には、体力値などのヘッドアップ・ディスプレー(HUD)[画面の上に重ねて表示する情報]がまったくない。ほとんどのアクションゲームでは、こうした表示が画面のあちこちに出て、残りの弾数や体力を示す。だが、『ファイトナイト』でプレイヤーが注意を払うのは、ゲームの音と映像だけだ――自分の操るボクサーの動きがのろくなったり、顔に疲労の色が表われるといった変化が手がかりになる。

画面からHUD表示をなくそうとする動きが、ゲーム界の新たな革命のようだ。

だが、単に、HUD表示を無くしただけでは、ゲームが成り立たなくなるのもまた、自明だ。

要は、HUD表示に替わる情報を、どれだけ自然に近い形でプレーヤーに提供できるかに、かかっていると思われる。

盲目でゲームを自在にプレイする高校生?
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050801206.html

この記事を読んだ時にはピンと来なかったが、最近テレビで彼を見た。

驚いた。

彼は生まれつきの盲目でありながら、格闘ゲームで健常者を、しかもチャンピオンレベルの挑戦者に悉く勝ってしまう。

便りになるのは、音だけだ。

彼にも驚いたが、それを可能にしているゲームの完成度にも驚いた。

開発者がそこまで意識していたかどうかは不明であるが、ゲームに必要な全ての情報が、そこにはちゃんとあったのだ。

もし、彼の目が見えるようになったら、もっと強くなるのか?

普通に考えれば、視覚に頼り始めた段階で、聴覚への依存度が下がるような気がする。だが、聴覚能力はそのままに、新たに視覚情報がプラスされれば、もはや、彼に勝てるものはいない。

これは何もゲームに限った話しではない。

むしろ、HUDのない実際の格闘技においては、相手の疲労度の判断を始め、視線、攻撃前の微妙な表情の変化、各種筋肉の緊張度や、パンチの風音などから、相手の次の動きを予測する能力が、勝敗に大きな影響を与える。同じ情報を得ていても、そこから何も得られなければ、た易くやられてしまうだろう。

そしてこれは、理屈で習得できるものではない。前述の彼も、「この音がしたら、それは相手がパンチを繰り出そうとしているときだから・・・」などと考えているわけでは、決してないであろう。練習に練習を重ねた結果として、条件反射として、肉体に染み付いた反応なのだ。

脳梗塞などで脳細胞の一部を失なった結果、目の機能は正常であっても、視覚が失われることがある。このような状態で、片目が見えない患者に、見えない方に置いたポストに手紙を入れてもらう実験を行ったところ、本人は全く見えていないのに、手は独りでに手紙の向きを、ポストの入り口の傾きに正しく合わせているという、驚くべき実験報告がある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047913200/qid=1142440122/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-6618559-3467939

人間にはどうやら、知覚として認識しなくとも、目からの情報をもっと下位のレベルで処理して、手や体のコントロールをしているようだ。

良く、「目をつぶってもできるようになるまで練習しろ。」というセリフを聞くが、実は人間の深層に迫った、かなり科学的根拠のある言葉であったようだ。

日々の弛まぬ練習の成果として、己を昇華させていく。我々凡人には理解できないこと故、「非科学的」と片付けてしまうことであっても、それを取得したものはとっては自明なる真実が、確かに存在するのだ。


「くそぉ~っ!!今度こそ、勝てるはずだったのに、なぜだっ!!」
「だからさ、お前がただ目をつぶったって、勝てるワケないだろ。」
「来年は、絶対に、勝って見せるぞっ!!特訓だっ!!!」

 ・・・

「やはり、1年ぐらいでは、どうにもならなかったみたいだね。」
「何言ってんだよ。良く見てろよっ。」
「見てたさ。普通に目ぇ開けてプレイしてただろ??」
「特訓の甲斐あってね、今では目をつぶったままでも、好きなキャラクターを選べるようになったんだよ。」

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伸縮自在なシリコンで「丸めて運べるパソコン」も実現?
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060307/20060307301.html

 いつか、コンピューターをくるくる丸めてかばんに放り込む日が来るかもしれない。そうなれば頑丈なチタン製のケースはもう必要ない。将来を見据える人々は現在、フレキシブルな電子機器に囲まれた世界を実現する構想を抱いている。こうした機器が登場すれば、最新の薄型ノートパソコンさえ不恰好に見えるだろう。

 電子機器の薄型化が広まっている。正直、もう、このくらいのニュースでは、驚きもしない。

今回の技術は、ディスプレイのみでなく、PCの回路自体も、曲げることが可能になった。という点が新しい。だが、半導体素子の特性についての技術的な知識が乏しい我々にとって、「またか。」と言うのが、この記事に対する素朴な感想だ。

電子ペーパーの実用化などのニュースが報じられるたびに使われる言葉に、『曲げられる』というものがある。既に常套句と化しているため、新鮮味がなく、インパクトに欠ける。

だがそれ以前に、この技術には決定的な弱点がある。それは、誰も「曲げられるコンピュータ」など、欲しがっていない。ということだ。

雑誌は紙で出来ているので、曲げることができる。だが、雑誌を丸めて持ち歩いている人は、たまに見かけることがあっても、雑誌を丸めて鞄の中に入れている人は、まず、いないであろう。

コロコロコミックは論外としても、一般の少年誌でさえ、丸める方が大変であり、不自然である。

そして、もっと世間一般に普遍的に存在し、広げるとかなり嵩張るが、もっと簡単に丸めることができるにも関らず、誰も丸めようとしないのものがこの世には存在する。

『新聞』だ。

あなたは、新聞を丸めて持ちあるいている人を見たことがあるだろうか?
また、新聞を丸めて鞄の中に入れるてる人を、誰か知っているであろうか?

ましてや、丸められるノートPCが出来たとしても、それを丸めて鞄に入れようとする人が、果たしているのだろうか。

そしてこの技術には、もう一つ、大きな欠点がある。

あなたの目の前に、丸めることができるノートPCがあると想像してみよう。
そしてそれを、電車の中で広げ、膝の上にのせて、ちょっとメールを打って見て欲しい。

・・・どうです?

「ぐにゃぐにゃしてて、使い難いったら、ありゃしないっ!!」

そう叫んで、地団駄踏んでいる自分に気付くはずだ。

人々が欲しがるのは、むしろ、「折りたためるコンピュータ」であって、ただ曲げられるだけのコンピュータではない。

新しい技術で開発された斬新な商品が、時として、全く世間から相手にされないことがある。それが「時代に早すぎたため」である場合もあるが、その方向性を見誤れば、何十年経っても、まったく相手にされないままで終わってしまうであろう。


「何か、お捜しでしょうか?」
「ええ。『新聞紙』を探しているのですが。」
「新聞紙ねぇ・・・。小さな地方紙まで全面的に電子化されて、大分経ちますからね・・・。」
「どこかに、残っていないでしょうか?」
「いかに紙媒体の需要が減ったとは言え、産業用の植物相が壊滅的な打撃を受けてからと言うもの、古紙は高騰していますからね。とっくの昔に、回収し尽くされているんじゃないでしょうか。何にお使いですか?」
「うちの子供の学校で、『子供たちに昔の遊びを教える』というイベントがありましてね、私のグループでは、騎馬戦をやることになったんですよ。」
「相手を叩く棒にお使いになるんですね。」
「ええ。」
「それでしたら、この、『曲げられるコンピュータ』用に開発された、ディスプレイパネルはいかがでしょう?」
「曲げられる?いったい、何に使われていたんですか?」
「私も良く知りません。ごく少数が市場に出回ったきり、ディスプレイパネルに到っては、大量の在庫が残ってしまったようです。100人分ぐらなら、すぐにご用意できますよ。」
「これ、丸めるだけで、折りたたむことは、できないんですか?」
「ええ。さすがに、そこまでの曲率には、耐えられなかったようですね。」
「では、もう少し、別を探してみます。」
「敵を叩くには、これで充分ではないでしょうか?」
「はい。ですが、これでは、騎馬戦に必要なもう一つのアイテム。『紙で折った兜』が、作れませんからね。」

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宇宙ステーションから「ナイスショット」?=科学者は危険と指摘
http://news.goo.ne.jp/news/jiji/kokusai/20060305/060304040310.o049rdzw.html

【パリ4日】ゴルフクラブメーカーの宣伝活動の一環として、国際宇宙ステーション(ISS)の飛行士が船外に出てクラブを振り、ゴルフボールを地球周回軌道に打ち込むという計画が持ち上がっている。しかし科学者たちは、「危険である」と渋い表情だ。

軌道上には現在、1万を越す人工衛星やロケット及びその破片が廻っており、過去40年間に1400トンを越える衛星破片が、地球の表面に達したと見られている。

正直な所、今更ゴルフボール1個が、それほどの危険とは思われない。いったい科学者は、何を恐れているのだろうか。

もしかすると、我々には想像すら出来ないような脅威が、潜んでいるのかも知れない。

宇宙兵器の開発を急ぐ米国、その真の目的は?(上)
http://news.goo.ne.jp/news/wired/it/20060306/20060306301.html

 ブルース・ギャグノン氏は1年以上にわたり、自分と家族は誰かに見張られているのではないかという強い疑いを抱いてきた。しかしその証拠はなく、背後に誰がいるかも見当がつかなかった。
 米空軍を退役したギャグノン氏は、宇宙兵器の問題に取り組む活動家として世界的にその名を知られる。ギャグノン氏はメイン州の小さな事務所から、『宇宙の兵器と原子力に反対するグローバル・ネットワーク』の指揮を執っている。

宇宙への挑戦が盛んだ。最近の記事を読んでいると、我々一般人が宇宙に行ける日は、もう、すぐそこまで来ているような印象を受ける。しかしその一方で、宇宙空間の軍事利用に対して懸念を訴える人々は、その脅威が日に日に現実味を帯びてくることに対して、不安と焦燥を募らせていることであろう。

得てして、現代の人々は、己の日常的な利便性や快楽を得ることにのみ奔走し、地球環境、そして更には宇宙環境へ思いを巡らす人々からの警鐘を、疎ましく思いがちである。

だが、宇宙空間の軍事利用、そして我々の生命への脅威は、既に現実に向けて大きな一歩を踏み出そうとしている。

彼らに新たな「ルビコン河」を渡らせてはいけない。


「何か『大スクープ』がおありだとか?」
「ええ。まずは、この新聞の切り抜きをご覧下さい。」
「この、求人広告が何か?」
「レッスンプロの報酬にしては、破格だとは思いませんか?」
「確かに、最近では珍しい金額ですが、『大スクープ』というには、ほど遠いですね。」
「いえ、もう少し私の話しを聞いて下さい。実はこのゴルフクラブは、NASAの関連企業の持ち物なんですよ。」
「・・・それで?NASAは、ゴルフのインストラクターを雇って、どんな陰謀を企んでいるのでしょう?」
「人型ロボットに、宇宙空間でゴルフをやらせようとしているのです。」
「話しが良く、わかりませんが。。。」
「軌道上から、特定の標的にゴルフボールを撃ちこんで、暗殺を行うことを計画しているんです。」
「ミサイルの方が、効果的ではありませんか?」
「そんなことをしたら、米国が暗殺に関与していることが、一発で解ってしまいます。」
「ゴルフボールであれば、単なる事故にしか思われない。と、言うわけですね?」
「ええ、そうです。お解り頂けましたか?」
「ええ。大変良く、解りました。」
「では、掲載して下さるんですね?」
「残念ながら、ウチではムリですね。タイムズにでも持ち込まれた方が、良いでしょう。」
「やはり、信じて頂けないのですね...」
「いえ、そんなことはありません。ただ、うちは、あくまでも、スポーツとしての『ゴルフ専門誌』ですので。」

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エレベーターを循環運転 日立製作所
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/keizai/20060301/20060301a2200.html

 日立製作所は1日、エレベーター2台分の昇降スペースで、多数のエレベーターを循環運転する新技術を開発したと発表した。1台のエレベーターが上下する従来方式に比べ輸送力が大幅に向上するため、国の安全認証を得た上で、早期の実用化を図りたいとしている。


9月オープン決定、ディズニーシー「タワー・オブ・テラー」は日本独自仕様
http://news.goo.ne.jp/news/mycom/it/20060302/20060302-09-mycom.html

タワー・オブ・テラーは、1899年、ニューヨーク、オーナーの失踪という事件により閉鎖された「ホテルハイタワー」が舞台のフリーフォール型アトラクション。ホテルは、その13年後に、歴史的価値ある建築物として見学ツアーが行われているという設定だ。ゲストは、ホテルの最上階にある、いわくつきのオーナーの部屋へ向かうツアー客に見立てられている。そして、乗り込んだエレベータが、突如急上昇・急降下を繰り返し、エレベータ内から数々の超常現象を目にする、という設定だ。

その技術も円熟点に達し、後はその高速性や低振動性など、限られた土俵での改良に凌ぎを削って来たかに見えるエレベーター業界にも、革命が起こっているようだ。

「タワー・オブ・テラー」は、その技術的機構は不明だが、はっきりと「エレベーター」と詠いつつ、突如急上昇・急降下など、在来機種の対極となる動作に、その技術の粋を注いでいる。

一方、「循環運転エレベータ」は、1つの昇降路に1台の「かご」と言う大前提を覆し、これまでには考えられなかったような輸送量を実現するものだ。だが、2台あるエレベーターのうち、片方は常に「上り」もう片方は常に「下り」という仕組みは、慣れるまで多くの人を惑わすことになるかもしれない。

「タワー・オブ・テラー」は、オープン後しばらくは、長蛇の列となり、何時間もの待ち時間となるだろう。ここは是非、日立製作所の技術を導入して、循環運転を実現して欲しい。

待つのが嫌いな人は、新装オープンの「循環型エレベーター」に乗り込み、プチ遊園地気分を味わうのも良いかもしれない。


「あの・・・」
「何でございましょう?」
「これ、さっきから、下りしか来ないんですが。」
「申し訳ありません。上りはこの反対側になります。」
「これ、仕組み的には、上りと下りを切り替えられるんでしょう?」
「ええ。」
「でしたら、交互に運転してみては、いかがでしょうか。」
「それですと、切り替えるタイミングで、一度、お客様全員に降りて頂く必要があります。待ち時間が多くなる分、お客様の利便性が悪くなりますので、このような運用をさせて頂いております。」
「そうですか。不便に思われる方は、いらっしゃらないのでしょうか?」
「殆どのお客様は、お慣れになっているようでして、特に苦情も頂きませんが。」
「そんなものでしょうか・・・」
「お客様、念のためお知らせしておきますが、『新装オープンの循環型エレベーター』は、あちらになります。」
「えっ?では、これは、最新式ではありませんの?」
「ええ、そちらは、従来型の『エスカレーター』でございます。」

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Intel Core搭載「Mac mini」がアップルストアで展示販売開始
http://news.goo.ne.jp/news/pc/it/20060302/pw2006030201-pc.html?C=S

iPodで楽しむホームオーディオ - スピーカーシステム「iPod Hi-Fi」発表
http://news.goo.ne.jp/news/mycom/it/20060302/20060302-03-mycom.html

Appleが、Macintoshへの、インテル・チップを搭載を発表してはや2ヶ月。
3人目のインテル搭載Macの登場だ。

ネイティブ対応のソフトの供給がまだこれからであるため、はっきりとした評価は伝わって来ない。
果たして、インテル・チップは、CMで声高に叫ばれているほどの活躍を、成し遂げているのだろうか。

インテル・チップは、一体何処へ向かおうとしているのか。


・・・聞こえる。。。

地味でチッポケな箱の中に閉じ込められた、インテル・チップが叫んでいる。

「俺を、単調な作業から、開放してくれっ!!」って。。。


・・・聞こえる。。。

そして今、Mac miniに搭載されちまった、インテル・チップが叫んでいる。

「どうしてみんな俺を、小さな器に縛り付けるようとするんだっ!!」って。。。


・・・聞こえる。。。

iPod Hi-Fiに挿し込まれちまった、iPodが、微動だ出来ずに叫んでいる。

「騙されちゃいけない。こいつは、俺の代弁者に過ぎないんだっ!!」って。。。


・・・聞こえる。。。

「そもそお前には、インテル・チップなんか、搭載されちゃいないじゃないかっ!!」って。。



・・・聞こえる。。。

「その能力を生かし、自由に活動している俺の可能性は・・・、

想像に過ぎなかったのか・・・」って。。。

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