未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




※2021/8/29更新 動画を探している方は、こちらの記事をどうぞ

【それって!?実際どうなの課】 次回予告(2020年10月21日放送)


「ワイルドスピード森川」にハマっている。

オンエアのその日のうちに、風呂上りにもう一度観てから寝る。

その後も週に一度くらいは観直しているし、ちょいちょい過去の活躍も観直している。

その魅力を一言で言うなら、

「とんとん拍子に事が運ぶ爽快感」

だ。

長年続いている「何一つうまく行かない」という閉塞感からの『カタルシス』。

負の精神的な淀みから開放してくれる、ひと時の至福の時間。

最初の達人の技をたった3回目で成し遂げ、「あっきたー、やったー、いぇーい」と目をキラキラさせてはしゃぐ森川に、「成功が早すぎてスタッフの空気感を探る。しかし探るだけで空気は一切読まない」との、かつて聞いたことの無いナレーションが被さる。

用意されていた最後の「難易度ハイパーマックス」の技を、たった3回目で成し遂げてしまった時の、「出来ちゃったんですけどー。」と自慢げな、それでいて「さすがにこれはやりすぎ?」と周囲を探るような少し照れた顔、いつも以上に見開かれたキラキラの目からあふれ出す歓喜が、こり固まった心の片隅を解きほぐしてくれる。

「苦労の末に目標を達成する姿に感動を誘う」

そう言う番組は多い。

いや、そういう番組ばかりである。

それは否定しないし、それなりに私もちゃんと感動させてもらっている。

それは今苦労している人に、

苦労の末には、素晴らしいことが待っている。
今の苦労を、なんとか克服すれば、明るい未来が待っている。
諦めなければ、夢は必ず叶う。

との希望を与える。

本当にそうなか?

「やまない雨はない。」

励ますつもりで、そんなことを言う人がたまにいるが、そんな言葉は絶望の中に淀んでいる者にとっては、気休めにすらならない。

「果たしてその雨は、自分が生きている間にやむのであろうか?」

「雨が豪雨へと変わり、堤防が決壊し、土石流が発生し・・・」今の生活がもっと深い暗黒へと転落して行くことなど、いとも簡単に起こり得る。

完全に雨がやみ、すっきりと晴れるような状況を迎えることが、とても困難に、とても非現実的に思える時、

「ちょっとでいいから、たまには雲の切れ目から、光が射してくれないだろうか。」

そう望む者には、いつか来るかもしれない晴れの日の約束よりも、見上げた空を、束の間、照らしてくれる『光』が必要である。

ライトアップ・ザ・スカイ

The Prodigy - Light Up the Sky (Official Lyric Video)


BLACKPINK: LIGHT UP THE SKY | Official Trailer | Netflix


こちらもどうぞ。
『ワイルドスピード森川』 - 未来技術の光と影。
『ワイルドスピード森川』
『ワイルドスピード森川ジェットブレイク』
『ワイルドスピード森川マッハファイブ』
『ワイルドスピード森川ライトアップ・ザ・スカイ』
『ワイルドスピード森川プレイバック』
「ワイルドスピード森川」テイルアップ&ブレイク
『ワイルドスピード森川 ロビン・フッド』
『ワイルドスピード森川 レザレクションズ』

WILD SPEED MORIKAWA, a Japan's Got Talent.



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「SWITCH」2020年1月号
特集 佐内正史 [無限の写真家]

特集の企画の1つに、かつて見たことの無いこんな素敵なタイトルが躍っていた。

[飛べ!回文!]
写真:佐内正史
回文:満島ひかり

様々な分野で異彩を放つ満島に、新たな称号が与えられた。

【回文家】

満島ロス気味だ。

歌手として、そして雑誌の特集のモデルやインタビュー記事、CMなどでその姿を観ることはあるのだが、それ以外の映像作品でしばらく満島を観ていない。

そうなって来ると、街で見かける「生茶」や「一番搾り」の広告ですら、ありがたく思えて来る。

そんな満島の最新作が、上記の記事を受けての新企画

「GINZA」2020年11月号
満島ひかり×又吉直樹の新連載
「まさかさかさま」

満島ひかりと又吉直樹の連載「まさかさかさま」GINZAでスタート

しかし困った。どうやら連載らしい。

今回は初回ということもあり、満島と又吉の対談があるので購入したが、次回以降をどうするか。

満島の笑顔もない。

インタビューとも違う。

【回文】から満島の心情を「察する」ことでも出来れば良いのだか。


※以下の内容に一部不適切な部分があるかもしれませんが、全て、満島への配慮からです。
※あまり素晴らしいのを載せてしまうと、もし、万一、後の満島の作品とカブってしまった時に、ネット民から「盗作だ!」と、有らぬ非難を受けないように。との、配慮です。
※いや、だから、ホントだってば。

「上がって来ました。」
「そうか、今月も3本か?」
「はい。ギリギリでした。連載開始時は5本の中から又吉先生に選んで頂いていたんですよね。」
「連載を重ねるにつれ、段々とネタ切れして本数減らして来たけど、又吉先生からは『3本はご用意して頂きたい』と、切に頼まれているからな。で、今月はどんな作品なんだ。」
「まず1本目ですが、『またまた金玉、短気、たまたま。』です。」
「んー・・・。大分煮詰まっているようだな。それから?」
「『デカチンは過ごす、半地下で』です。」
「んー・・・」
「最後は『ちんこ、カチンカチン』ですね。」
「それは、そーとー重症だな。」
「そうですね。『ちんこ』とか、載せられないですよね。」
「『ちんこ』はそれほど問題じゃないだろ?」
「え゛っ?『ちんこ』は、大丈夫なんですか?」
「まぁ女性誌としてはどうかと思うけど、そもそも『回文』になってないだろ。」
「いや、自分的にはだいぶ『怪しい』と思いますけど。」
「・・・まさかと思うけど、『怪文』だと思ってないか?」
「え゛っ?違うんですか?『回文』って何です?」
「お前、それで2年も担当やってたのか?タイトルもそうだけど、上から読んでも下から読んでも同じ文章のことだよ。」
「いや、自分も最初はそうかと思ったんですけど、担当になった時に編集長に確認したら『”上から読んでもヤマモトヤマ”みたいなヤツだ。』って、言ってましたよね。それ、下から読んだら”マヤトモマヤ”になりませんか?」
「オレのせいかよ。」
「で、なんか良く解んないけど、『怪しい文』のことなんだな。と。」
「じゃ、オレが『念のため回文かどうか、ちゃんとチェックしとけ』『はい、大丈夫でした!』って、アレは何チェックしてたんだよ。」
「ですから、『怪しい』かどうかを、チェックしてたんです。」
「『はい、大丈夫、怪しかったです!』って、それ、判断基準が存在するのか?」
「いや、毎月悶々としてましたよ。パワハラかと思ってました。」
「解んないことあったら、納得するまでちゃんと聞くなり、調べるなりしろって言ってるだろ。そもそも今までの作品をちゃんと読んでりゃ解るだろ。」
「あんな長いのが ”まさかさかさかま” に読んでも同じになるなんて、思わなかったですよ。」
「てことはだな、お前、担当してる作品の価値とか、作家さんの苦労とか、全く解ってなかったのか?」
「あっ!!」
「なんだよ、急に。」
「ひょっとして又吉先生のショートショートも、『回文』になってたんですか?」
「流石にそれはないよ。」
「ちゃんと、確認されたことはあるんでしょうか。」
「いや、そもそも『回文』を又吉先生がショートショートで読み解くと言う企画なんだよ。」
「でも、もしかすると、又吉先生が頑張って、毎月『回文』でショートショート書いて下さっていたとしたら、その作品の価値とか苦労とかを、初代の担当である編集長が見落としていた。なんてこともあるんじゃないでしょうか?」
「残念ながら、ないんだよ、そーゆーことは。それより、ちょっと気になることがあるんで確認なんだが、」
「話、そらさないで下さい。」
「そらそうとしてるの、お前だろ。3番目のコレ、お前が書いたんじゃないか?」
「へ?」
「2本しか上がってなかったんで怒られると思って、お前が書き足したんだろ。」
「いや、そんなわけないじゃないで・・・」
「お前さ、『回文』になってないから良かったものの、もし又吉先生がコレ選んだら、どうするつもりだったんだよ。」
「いや、流石に又吉先生が『ちんこがカチンカチン』とか、何のひねりもない作品、選ぶはずないですよね。」
「お前、連載開始時の対談、読んでないのか。」
「連載は全部読みましたけど、対談までは読んでないですね。」
「対談で又吉先生は『まっすぐだけど、まっすぐ過ぎて、もはやまっすぐじゃない。』作品に惹かれる。そう、おっしゃってるんだよ。」
「申し訳ございません。ですがコレにかかり切りで、他のモノに一切関われずに苦悩している様子を見ていると、とてももう一本とは言えませんでした。」
「そうだな、残念だが、又吉先生ともご相談して、次回の100回で最後にしよう。」
「自分もそう言おうと思ってたんですが、あっさり認めて頂けるとは思ってませんでした。」
「本音を言えばオレはさ、『満島先生』の作品より、女優としての『満島ひかり』が、また観たいんだ。」


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『学術会議問題』で良く聞く言葉に、

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」

と言うものがある。

『総合的俯瞰的な観点』

「日本学術会議の在り方」が検討された報告書の中で記されている言葉であり、言って見れば「日本学術会議の設立目的」であると言っても良いであろう。

使っている者が解釈の範囲を広げ(つまりはどうとでも取れる。後でいくらでも言い訳が出来るように)、答弁をあやふやにするために使用していることもあり、その意味が捉えにくい。

「俯瞰」

辞書を引くと「高い所から見おろすこと。」とある。

リアル迷路で迷った時、高い所に登って会場を一望すれば、自分が今迷路全体のどこにいて、どちらに向かえば良いのかが解る。

密林などで迷った時も、ドローンで高所から一帯を「俯瞰」すれば、自分がどこに居て、どちらへ向かうべきかが解る。

政治が膠着し政策が混迷して、今どこに居るのか、どちらへ向かうべきなのか、その行く末が危ぶまれている時、全体を「俯瞰」して、今どこに居るのか、どちらへ進むべきなのか、それを教えてくれる者が必要となる。

正しい判断をするためには、「今どこにいるのか?」を知ることが、真っ先に必要である。

政策が右や左に偏っていないか?

上流階級や下層階級に偏っていないか?

様々なファクターに対してどこか特定の場所に偏ることなく、政治が今どこに居て、どこに進むべきなのか。

それを提言するのが「日本学術会議」の役割である。

今回の事の発端は、政府が自分達に都合の悪い者を、排除しようとしているのではないか?との疑念だ。

自分が中心から外れている時に、その位置を中心に向かって修正することをせずに、自分の反対側の領域を排除することにより、あたかも自分が中心であるがごとく装う。

疑念どころか、解り過ぎるほどはっきりとしているのだが、その行為の行く末に待っているものは「独裁国家」である。

それがいかに危険なものであるかは、尊い数多の人命の犠牲の上に、人類がこの100年余りの間に学んで来たはずではなかったのか。

今、問題にして問うべきは、「選任から外した6人は、自分達に都合の悪い者を外したのではないのか?」という疑問をはっきりさせることだ。

その一点のみに集中して、問い詰めなければならない。

「解釈が変わったのか。」

そんなことは、今、どーでもいい。

「丁寧に説明すべきだ。」
「推薦どおりに任命すべき義務」の有無
「法解釈を示す文書」の有無

そんなことは、今、どーでもいい。

「学問の自由」「表現の自由」「思想信条の自由」・・・今回の問題から、そこに行き付くには、何段階かの論理の積み重ねが必要であり、問題の対象を大きくすることでそれは焦点を失い、重要性が希薄になり、人々に訴える力も失われ、答弁があやふやになることを許すばかりである。

今は、そんな主張をしている時ではない。

「今回、候補6人を外したのは『自分達の政権に批判的であったから外した。』と言う、それなりの根拠のある疑いがかかっている。重大な疑惑であるので、それを決定した者の責任として全力を挙げて釈明して欲しい。出来ないのであれば、6名を再任命して、例え本意ではなかったとしても国民からそのように受け止められるような行為をしてしまったことに対する反省の意を表明しなくてはならない。それがなされないのであれば、日本政府は独裁国家へと進むことを厭わずとの意思表示であると見做す。」

今回の不祥事を、自分たちの主義主張のために利用しようとするのではなく、「何が問題なのか?」「今、阻止しなければ、死守しなければならないことは何なのか?」それを忘れずに、今はそこを突かなければならない。

自分達の反論や主張は、ちゃんと今回の問題の本質に向かってなされているのか。

ただ、自分の影響の及ぶ辺境の一部に対して、なされているに過ぎないのか。

「俯瞰的な観点」が、今、問われている。

2020/10/14 追記
こちら↓の記事の『読み』の方が、当たっているように思われる。
「菅首相が学術会議人事で大ナタをふるった本当の理由」

2020/10/15 追記
冒頭無料部分しか読んでいないが、「確かに」と思わせる。
橋下徹「これが学術会議『任命拒否』問題の本質だ」

要は、誰がそれを振るうのか?であろう。

橋本氏であれば、大歓迎だ。
今までの自民党であれば、無条件で反対していた。
菅首相については「今までとは、ちょっと違うな。」と、感じている。今後に注目したい。

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システム開発を生業としいてる者として、常日頃感じている感想を。

あらぬ方向へ「とばっちり」の苦情があっても本末転倒なので予めお断りしておくが、私は今回のシステムや関連会社などに、一切関連がない。

当事者は、何一つ弁明することが出来ないであろうから、代わりと言っては何だが、今回の事件のニュースにチャチャを入れてみたい。

言いたいことがある人は、この投稿のコメント覧へどうぞ。

「東証システム障害、復旧の見通し立たず売買停止続く札幌、名古屋、福岡も」
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/mainichi/business/mainichi-20201001k0000m020082000c

昼のNHKのニュースでは、街頭インタビューを流していた。

(一見)通りがかりの一般人(にしか見えない)者が、「許されることではない。」と、息巻いていた。

「誰が、誰を、許す/許さない。」の話をしているのか。

「あなか」が、今回の不祥事を「許さない」と、言っているのか。
直接被害がなかったのであれば、「あなた」にそんなことを言う権利は、微塵もない。

「世の中」が、今回の不祥事を「許さない」と、主張しているのか。
「世の中」のどの位の人に、どの程度の被害があったのか?それを知らないのであれば、そんなことを言う根拠は微塵も存在しない。

「一般の人々がこうやって声を上げるからこそ、生半可な気持ちで仕事を熟している者に猛省を促し、世の中が良くなるんだ。」

どこまで本気でそう思っているのか解らないが(多分、その手の者には、そう信じている者が多いように思われるのだが)、そんな事は現場で原因究明&復旧に奔走している者、ただ報告が上がってくるのをじっと待つしかない管理者/ユーザー。皆が胃どころか腹にスッポリと穴が開くほどの緊張に晒されている中、そんな傍観者からの言葉など、届きもしない、届いたしても何の効力を持たない。

ここ最近私が話題にしている「叩いて良い(と世間から思われている)者」に対しては、無条件に、平然とバッシングを行う。そして「自分は正義である」と、そう主張している人々のようにしか見えない。

一応お断りしておくが、たまたまテレビに映ったその一人のみを責めているのではない。
実際に被害を被った当事者が言っているのは仕方ないのだが、そうではないのに同様のことを考えた人全てに対して、自省を促している。

「個人投資家「何もやることがない」と困惑東証システム障害」
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/mainichi/business/mainichi-20201001k0000m020105000c

この記事では、個人投資家が今回の障害で、どれだけの不利益を得ているか?を、訴えたいようだが、この記事の内容に限って言えば、「そんなに騒ぐことなのか?」と思ってしまう。

「コロナ禍」で生業に多大な影響を被っている人から見れば、システムが1日止まったことによる被害など、微々たるものしか感じられないであろう。

「証券会社も混乱 問い合わせ殺到」とあるが、障害が発生してるのを承知しながら、ここぞとばかりに「オレは多大な被害を被っているんだ。どーしてくれるんだ。」と文句を言いたいがために、わざわざ電話をしている者が大半であるとしか思えない。

「東証システム障害、機器故障原因か初の終日売買停止に」
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/asahi/business/ASNB13T3CNB1ULFA00B

「午前9時の取引開始から全銘柄の売買を停止し、終日の売買停止を発表した。」
正確な発表時間が解らないので、いささか遅い気もするが、早期に「終日売買停止」を決断して発表する。との世情は評価に値する。

「もしかすると、早期に収束出来るかもしれない。」と、決断を先延ばしにしがちな日本社会であるが、昨今の台風に備えた「計画運休」などにも見られるように、早めに「出来ない」ことを決断することは、重要なことである。

「東証システム障害、取引は終日停止復旧の見通し立たず」
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/mainichi/business/mainichi-20201001k0000m020107000c

「企業や投資家の経済活動への広範な影響は必至だ。」とある。

株をやらない私には、ピンと来ない。

確かに「新規上場」した企業には大きな痛手かもしれないが、普段であれば新規上場程度ではニュースにならないような企業が「TVでニュース放映」してくれたことは、プラスに働くのでは?いやいや、そんな不運に見舞われた会社の株は、敬遠されるのでは?いやいや、「だからこそ投資して応援してあげよう。」との気概は存在しないのか。

「日銀短観」発表の重大な日だ。との報道もあるが、普段日経新聞とか読まない私にとって、「そんなの、別に極秘情報ではなく、普段の新聞などの記事を読み解けている者であれば、予想の付くものなんじゃないの?そんなのしか頼りに出来ない投資家であれば、今回の障害による影響など、たかが知れているだろ。」としか思わない。

「いやいや、実際の経済状態を「どう日銀が判断して、どう発表するか」が大事なんだ。」と言われても、やはり、その程度の投資家に対する感想は変わらない。

その程度のことで収益に大きく影響が出るようであれば、投資「家」などとは、とても呼べない。

「東証のシステム障害、解消は「明日以降」「バックアップへの切り替え」で異常」
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/itmedia_business/trend/itmedia_business-20201001_120

「東証によると、ハードウェアの障害に加え、障害が発生した機器からバックアップへの切り替わりが正常に行われなかった」

一般に、システム開発において、2つの障害が同時に起こることまでは想定しない。

正直、「バックアップへの切り替えが正常に行われなかった」レベルの障害が発生してしまったのはどうかとは思うが、コンピュータは機械であるので、故障するのは当たり前だ。

だが、一部が壊れても全体がダウンしないような技術は、10年前に比べて大幅に進歩しており、稼働率=99.999% などが謳われている。

だが、「万が一」ならず「10万分の一」の確立であったしても、10万のシステムが稼働していれば、1日に1回はどこかのシステムが停止していることになる。今回は「たまたま」誰にでもその影響がはっきりとするようなシステムであっただけのことである。

「重要インフラレベルのシステムでありながら、お金をケチって、複数リージョンによる2重化をしていなかった」とかならともかく、それほどの落ち度があったようにも(今の所)見えない。

100%の稼働は不可能である。

基本的には100%の稼働を謳い、無暗に多重なバックアップ体制を構築しようとしても、ネックとなる部分が増え、逆に脆弱化して行くばかりである。

「システムはダウンすることがある。」ことを前提にして、業務全体を考えなければならない。

システムがダウンした場合の業務マニュアルを作成し、定期的にトレーニングを実施している企業もある。

今回の様にダウンした場合に代替が効かないようなシステムの場合、「それはいつか起こる」可能性があり、システム担当者は「どうか、自分のシステムでは起きませんように。」と、神様の機嫌を損ねないように、戦々恐々とした面持ちで清楚な日々に努めている。(ほとんど本当の(マジな)話)

東証障害に「1分でも早く再開を」日商会頭
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/business/20201001-567-OYT1T50199

日本商工会議所の会頭が「1時間でも、1分でも早く再開されることを強く望む」と語ったそうだ。

良くこの手の談話で「1円でも多く」とか言う人もいるが、それが誠意を示していると思っているのか。

私には「うわべ」を取り繕っているようにしか聞こえない。

1円多く賠償させるために、さらに費やされる時間と見合うのか。

1分早く復旧させるよりは、最後にもう1分、何か見落としが無いか?を熟慮するべきである。

菅義偉政権がデジタル化を強調する中で、「民間は政府の遅れを批判しているが、民間でもこういった大きなトラブルを起こしている。社会全体がデジタル化で脆弱(ぜいじゃく)であることを示しているのではないか」と、民間も含めデジタル化の対応を急ぐべきとの考えを示した。

いやいや、たった1件を引き合いに出して、政府の遅れを正当化しようとするのは、あまりにも乱暴である。

万が一にも本当にそう思っているならば、あなたの政権で目指している「デジタル化」とは、一体どの程度のモノを想定しているのか。

東証社長が謝罪会見「多大なご迷惑をお掛けし、深くお詫びする」…2日以降の取引再開へ対応
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/industry/sankei-ecn2010010040

システムを再起動すれば再開できる可能性もあったが、投資家らに大きな混乱が生じることが想定されたため、正午前に売買を終日停止することを決めた。再起動すると証券会社から受けた注文データが全て失われてしまい、円滑に取引を再開するのが難しいと判断した。

正しい判断だ。と、皆で称えなければならない。

今回この投稿を書こうと思ったのは、常々思っていた「システムは24時間365日、正常に動いて当たり前」と思っている者の、なんと多いことか。

たまにシステムが止まった時に関係のない者までも含めて、総攻撃して来ることに、違和感を覚える。

システムがほぼ無停止でちゃんと動いている陰には、それまでの数多の技術者による創意工夫の蓄積があり、そのシステムを構築した担当者、運営担当者の、夜も安らかに眠れないような日々の上に成り立っている。

システムが止まって攻撃されることはあっても、システムが正常に稼働していて、褒められることはない。

褒めて欲しい。と言うのとは、少し違う。

その辺りの事情を知っていれば、「システム障害」→「攻撃して良い」との単純な図式が誤っていることが解るだろうし、その他何でも、もっと人が生きやすい社会になるのではないか。

そう、常々感じている。

電車が止まれば、ここぞとばかりに駅員に食ってかかり、
病院で待たされれば苦情をいい、
教師に不備があれば、皆を巻き込んで追及しようとする。

やれ、やれ。

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