未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




前回の記事では、敢えて触れなかったのだが、今日、劇場まで行ったのは、彼女がお目当てだ。

このブログでも良く取り上げていたのだが、ここ1年ほど、全く触れていなかった。

ドラマも、話題作が何本かあったし、それよりなにより、蜷川作品に出演しいる。

ネタは沢山あったのだが、「ハロー純一」のショックから抜け出せずにいた。


基本的に私のブログでは批判的な感想は書かないようにしているのだか、アレはつらかった。

満島も、全く満島である必要がない使われ方であった。

何か、弱みでも握られているのか?そう、思われても仕方ない。

他にもいろいろあったのだが、大雪で近隣全ての電車が止まり、舞台挨拶に行けなかったことが留目を刺した。

ファンドに振り回されて、なんかいろいろあって入手したチケットだったのでなおさらだ。


しばらく精神的な引き籠り状態に陥っていた。

TVや雑誌はチェックしていたが、とうとうハムレットには行かなかった。

そんな視点から見ていると、なんか、満島変わったなー。との印象が拭えない。

うまく言えないのだが、これからの演劇界(というか、映画やドラマ全てにおいて)を担って行く立場であることを、自覚した。

とでも言うのか。

顕著だったのはハムレットの舞台裏を取材したNHKの番組であった。

自覚というのは、違う。たぶん、中身は変わっていないのだが、「あなたは、これからの演劇界を担って行く人なのだから、もっとそれなりの声を発して行くべき」と、誰かにアドバイスされたのでは?

そんな、印象だ。


思い過ごしかもしれない。

今日の満島は、私の思う、いつも通りの満島であった。

戸田恵梨香を立て、控えめに振る舞い、笑顔を絶やさない。

そりゃ、初日舞台挨拶で、ファンに向かって話しているのだから、当たり前か。

今までは、現場での顔が、あまり紹介される機会がなかっただけなのかもしれない。

雑誌のインタビューの、突っ込み所がそれなりになって来ただけなのかもしれない。


常に、新しいものを吸収しよう、さらなる高みを目指そう。そういった姿勢は健在だった。

だが、今までのようなトキメキが感じられない。

満島の演技のレベルが閾値を超え、私にはもう、その成長ぶりが判別できなくなっているだけかもしれない。


大事なものが失われてしまった。

そんな喪失感の残る一日であった。


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また、朝9時から新宿の劇場に行って来た。

駆込み女と駆出し男

お目当ては初日舞台挨拶だ。

正直、映画にはあまり期待していなかった。

■「大泉洋」が苦手。

正確には、大泉洋の演技というか、大泉洋の演じているキャラクターというか。。。いや、彼の場合には同じことか。

■「戸田恵梨香」が苦手。

良く考えると、彼女のことは殆ど知らない。ちゃんと見たのは「LIAR GAME」ぐらいだ。

たぶん、ネットのニュースで見受けるサバサバした感じが苦手なのと、彼女の演じた書店員が苦手なタイプだけだったのかも知れない。

■「井上ひさし」?

あの、井上ひさしか?

■ポスターが、全く面白そうぢゃない。

多分、中央に居る大泉洋の顔の与える印象が、大きく影響していると思う。

ただ単に、大げさなコメディー。そんな、印象を受けてしまう。

特に、大泉洋が苦手な人は、ポスター見ただけでゲンナリしてしまうこと必至だ。


映画は、普通に面白かった。

2時間(もうちょっとあったか)の中に、いろいろとエピソードを盛り込んでいる。欲張り過ぎではないか?と、心配になるが、慌ただしさはない。

大泉洋の演技は抑えられている。大泉洋が苦手な人でも大丈夫だ。

ポスターの写真、もっと他の物にするべきではなかったのか。

そして、戸田恵梨香。ちゃんとした女優さんだったんだと、再認識した。

私が苦手と感じていた戸田恵梨香感は全くない。そこに居るのは「じょご」そのものだ。

そして、結構人数がいる登場人物がまた、皆それぞれ魅力的だ。


惜しいのはやはり、それぞれのエピソードで1本の映画が撮れてしまうような内容であることだ。

各話がじっくりと楽しめるように、パート2と言わず、連作にして欲しいぐらいだ。

映画に力があった時代であれば、それも叶ったのかもしれない。

人々が電車の中で、たかが数インチのディスプレイで、月額数百円でコンテンツを消費していく時代。

映画に限らず、大人が『劇場』と呼ばれる場所に足を運ばない国。

配信会社はコンテンツの未来など、全く気にかけていない。

しゃぶり尽くすだけしゃぶり尽くした後は、また別の金儲けの道を見つければ良い。

クールジャパンの呼び声も空しく、日本の未来に希望は、ない。


上映終了後の舞台挨拶。

最後に来場者からの質問を2つ受けた。

最初の人は監督への質問だった。

監督のファンが舞台挨拶を見に来る。と言うのが意外な気がしたが、確かに女優さん以上に、映画監督に合える機会は少ないかもしれない。

質問は映画の冒頭、大泉洋がしていた手ぬぐいの紋様についてだった。

監督が彼のサイトか何かで、それに触れていたようだ。

解らなかったので教えて下さい。とのことであったが、監督の答えはかなり専門的で興味深いものであった。

それだけで1時間くらいは話を聞いてみたい内容であり、映画監督といものの興味の範囲の広さに、改めて歓心させられた。

2つめの質問はあるシーンでの大泉洋の演技についてであった。

あれはいったい・・・?とのことであったが、あれは本来であればNG。

完全にセリフが飛んでいるのをフォローし切れずにいる。

だが、面白いので監督が採用した。との回答であった。

嘘か本当か出演していた山努が出来上がっものを見て、「あのシーン凄いね」と、関心していたらしい。

大人が観る映画が少ない。と、お嘆きの方は、是非!劇場に足を運んで欲しい。


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She

普通、もう最終回に近いところから見始めたりしないのだが、ちょっと観ることにした。

「あれ、森川葵だよな?」

意図せず、別の娘に目が行ってしまった。


渇き」を観ていて、気になった娘がいた。

絶対に何処かで見たことあるのだが、どこで見たのか?映画だったのかドラマだったのか?全く思い出せない。

検索してみた。

森川葵。

あぁ、「ごめんね青春」のあの娘だったのか。

解らないはずだ。

「ごめんね青春」では、純真無垢で、ただひたすら可愛い。という印象の役柄だった。

女子に人気の可愛い女子のポジション。恐らく、少女誌のモデルさんかなんかだろうと思っていた。

初めの方の回で、タンカを切るシーンがあるのだが、セリフは見事に言い切りながらも、表情や仕草には微妙な恥じらいを残す。というシーンを好演していた。

「可愛いのに結構上手いな。」と、その時には思った。

「渇き」では一転して、不良少女(?)の役だ。

誰だか解らなかったのは、髪を殆ど丸坊主にして脱色していたのもあるのだが、印象が全く異なる。

ショートの髪はパンクなのではなく、そうして社会を拒絶しながらも、粋がっていないと自分を見失ってしまいそうだから。

そして、そんな髪型ながらも、社会の隅に消えてしまいそうな儚さ。

ほとんどセリフもなく、ただ、橋本愛の隣に座っているだで、それだけの強烈な印象を残す存在。

そして、物語を離れ、それほど重要な役でもないのに、バッサリと髪を切ってしまう、その女優としての意気込みのようなものに惹かれた。


そして、She だ。

第4話。

松岡茉優と森川葵の会話のシーンが続く。

つっかえ、つっかえ話す森川だが、普通こーゆーのって単調になりがちで、だんだんとうっとーしくなってくるのだが、森川のそれは、リズムの崩し方が絶妙で、単調にならずに乗り切っている。

そして仕草がまた絶妙だ。

指で数える所は演技が入るので、多少ぎこちなくなるのだが、その他部分はほんのちょっとした腕の上げる速度や角度の端々までに、自信のなさというのか、役柄が行き届いている。

演技をする。と言う意識の部分は喋りに集中してるはずで、身体表現はもう、体が本能的に行なっているとしか思えない。

すごいな、これ。

どれだけ練習したのか、それとも本能的に出来てしまう天性のものがあるのか。

今後が楽しみだ。

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松岡茉優

最初に気になったのは「桐島、部活やめるってよ」だ。

嫌な女の役だ。その、嫌な女振りが尋常ではない。

ケータイ見ながら、てきとーに相手の話に相槌を打った後で、「あ、ごめん、今のちょっと解らない。」の下りは戦慄だ。

原作の妙もあるし、全体的な雰囲気を生かそうとする監督の演出もあるのかもしれない。

たがこれ、ちょっと思いつないし、思いついてもここまでは演じられない。

普通、そう言うのって、良くあるいくつかのパターンのどれかで済ませてしまう。

ステレオタイプな演出には「視聴者に登場人物の人物像を早めに理解させ、物語の進行をスムーズにするためのお約束」という言い訳があるのだが、そればかりやっていると、俳優なり女優なりは、ただただ、物語を進行させるためだけの駒になってしまう。

では、そんなに凝った演技は本当に不要なのか?逆に視聴者を混乱させるのか?と、言えば、先ほどのそのワンシーンで、彼女の嫌さ加減が、ミリ単位で伝わった来る。

大声で人を威嚇するようなタイプでもないし、別にサイコなわけでもない。

ふつーにその辺りにいるけど、その中でも特に嫌なやつ。という人物像のさじ加減が、ひしひしと伝わって来る。

普通のステレオタイプな演出では、「あー、この娘は敵役なんだな。」ぐらいしか伝わらない。


次に驚いたのは、たまたま深夜に観たNHKの時代劇

「これって、あの娘だよな。普通に、すごく可愛い。こんなに、可愛いかったか?可愛いし、今回のは芯から生まれも育ちも良い子。と、言った印象だ。たぶん、こちらが地に近く、あの嫌な女は演技だったのか。そりゃ、そーなんだけど、やはり、あの嫌な女は尋常じゃなかった。」と。

改めて、あの嫌な女っ振りが、蘇って来た。


そして、決定的だったのは、やはりたまたまテレビで観た「うつけもん」でのMCだ。

完全に女優さんだと思っていたので、女優さんがMCと言っても、番組に花を添えるためだけの、実質アシスタント程度のものだろうとタカを括った。

だが、彼女は違った。メインMCのおぎやはぎを相手にして、負けていない。

バラエティとは言え、いや、バラエティだからこそ、普通の女優さんには、あそこまで出来ない。女優さんに限らず。かも、しれない。

それも普通のバラエティではない。

ディープな芸人さんのディープな芸に対して、的確なコメントで、表情豊かに、テキパキと受け答えしている。

「この娘、すげー喋れるんだ。」と、惹かれた。

Wikiで調べたら、おはガール出身のようだ。

山ちゃん(山寺宏一)というとてつもない才能の持ち主を初め、多才な人々に囲まれ、子供向け番組にも関わらず、いや、子供向け番組であればこそ、皆が真摯に番組制作に打ち込む。そんな中で、そんな環境を当たり前のものとして育てられたからこそ、今の彼女が生まれたのであろう。


最近また、「オサレもん」で彼女を観た。

健在だ。

番組の合間に彼女の主演しているドラマの予告が流れていたので、ちょっと観ることにした。

She

普通、もう最終回に近いところから見始めたりしないのだが、とにかく、彼女の演技にまた、驚かされてみたかった。

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本来なら、タイトルを『シドニアの騎士』とするべきかもしれない。

最近よく、「シドニアの騎士」を評価する声を良く聞く。
原作の世界観(読んではいない)が力強いし、アニメ化もそれを損なっていないように感じる。
だが、「トゥーンレンダリング」と言うのか、3DCGをアニメ風に処理した人物がなじめず、自分的には「イマイチだな」と、言い聞かせていたのだが、戦闘シーンには前から心を奪われていた。

そして、第二期第四話。

参りました。素晴らしいです。

そして、「豊崎愛生

以前より、声優に興味がある。

気になりだしたのは「ER」の「ジョージ・クルーニー=小山力也」あたりからだ。

声優よりは俳優や女優の方が上。との風潮があるが、こと演技力に関しては声優さんの方が遥かに上回っている。
勿論、突出した人は女優さんにもいるが、アイドルタレントは論外としても、人気女優と言われている人の中にも、顔だけでチヤホヤされてるとしか思えない人も多い。

豊崎愛生。

素顔で出ている時には、可愛い顔でアニメ声でしゃべるので、正直「この娘、ちょっとバカなんじゃないの?」と、思っていた。
いわゆるアイドル声優だと思っていたので、あまり気にしていなかったのだが、たまにクレジットで名前を見かけると、
「あれ、出てたっけ?」と、思うことが何度かあった。

そして「シドニアの騎士」だ。

やはりクレジットで名前を見かけ、「あれ?そんな、キャピキャピした娘が出てたっけ?」と、思い、ポーズして確かめてみた。

「科戸瀬イザナ」

ピンと来ない。が、最後に救援を呼んでいた子だったはずだ。

どの作品でもすぐにそれと分かる娘もいるが、彼女はどちらかというと演技派のようだ。

侮っていた。

素晴らしい。

こういう娘が、女優さんなみの評価を得ていないのが、なんか悔しい。

他にも沢山いるんだろうな。

いや、女優さんにも。だな。

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