荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

根津で、「ご自由にお持ちください」

2020年07月18日 | 散文

根津の路地にこんなものが出ていました。

 

家の前の鉢やプランターです。不要になったようです。

 

この家は、私が知ってからずっと毎年、20年くらい花を咲かせていました。特に、桜草を見事に咲かせて路地裏散歩人の目だけでなく、そろそろかな、とワクワク心も楽しませてくれていました。

そういうことですか・・・、奥様が手入れされていました。

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異人坂の説明板の末尾より、

2020年07月18日 | 散文

前回、ベルツ博士の処で終わった説明文ですが、続きがあります。「異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の産みの親である。 文京区教育委員会」 

探してみます。

何のことはない、本当に坂を下りきった角に「2丁目13」がありました。

 

 

この建物です。レンズを製作しているようには見えません。

 

現在はマンションです。ここの住人は「高林レンズ工業」のことを知っているのでしょうか? 異人坂の説明板のすぐ近くだから皆知っていますよね。

 

玄関前から振り返ります。路の奥の朱色が異人坂です。

乾き切っていない梅雨時の路地です。

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梅雨時の異人坂と、あの人

2020年07月18日 | 散文

弥生の坂を下ったら、「段差あり右折危険」の標識があります。

 

やって来た坂の下に、超鋭角で繋がった朱い坂があります。

 

昭和6年に、浅野候爵家が建設したと記されています。

 

坂道を下って行きます。

 

弥生は坂の街です。日当たりが良いので弥生人が住んで弥生式土器を作った丘です。

 

苔の壁です。今年の長雨でも発色が悪いです。この急勾配のコンクリートの壁面では保水性が悪いです。よく生えているものだと感心します。

 

坂を下ります。

 

説明板がありました。「坂の上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通り、不忍池や上野公園を散策した。当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうことなく、外国人が多く上り下りした坂なので、異人坂と呼ぶようになった。 外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。 云々

 

この坂を下ったら根津の街です。当時坂の上に住んでいた外国人達は不忍通りを上野方面へ散歩していたのでしょう。

 

坂を振り返ります。時々人が通る坂です。

 

朱い色はここまでです。この間だけ朱く色を変えている理由は分かりません。

説明板を読みながら思い当たりました。記載されているベルツ(ドイツ人)って、この人ですね。

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