荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

最後の夏は如何お過ごしでしたか?

2016年07月25日 | 散文
いつもと変わらず佇んでいます。


夏にお参りするのは初めてのように思います。

殊の外笹の緑が濃い午後です。

皆さんとお揃いですね。


正岡常規又ノ名ハ虎之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹ノ里人伊予松山ニ生レ東京根岸ニ住ス父隼太松山藩御馬廻加番タリ

卒ス母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十○年○月○日没ス享年三十○月給四十円

もうすぐ御命日ですね。
貴兄最後の夏は如何お過ごしでしたか?
後ほどお家の方にもお邪魔致します。


夏の日差しが眩しい根岸の午後です。


赤い朝顔を見せて頂けますか?


小さな家ですから庭迄見通せます。

今日は誰も居ません。
縁側に座ってゆっくりお庭も拝見させて頂きます。

お邪魔致します。

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田端銀座を通って

2016年07月25日 | 散文
夏日の田端銀座の昼下がりです。


さすがに人通りは疎らですね。


尤も、このぐらいの時間帯にしか来ません。


これだけの商店が店を構えて生活している訳ですから、夕方は混雑していると思います。


それにしても暑いですね。


このようにいつも、田端銀座を通ってあなたのお墓に来ています。

正岡子規どの。
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ペン画の現場を訪ねて-3

2016年07月24日 | 散文
≪千駄木≫
・「菊見せんべい総本店」 

創業明治8年の超老舗です。


≪谷中≫
・「カヤバコーヒー」
 
2年間の休業の後再開されました。
コーヒーが苦手なので入った事はありません。

・「瑞松院」の塀 

小さな石仏に生花が絶えたことがありません。
哀しみを抱いて生きている人がいるのでしょうか、と先生に訊いた事があります。

「塀に立小便されるので、和尚がこのお地蔵さんを置いたのが始まり」とか。

・「谷中2丁目の民家」
 
この家はもうありません。
ヘーベルハウスの2世帯住宅に建て替えられてしまいました。

・「谷中5丁目の路地」 
この画集での先生のアングルです。


画集以外に、このアングルの絵もあります。

こちらのアングルが名所になっています。


≪上野公園≫
・「東京芸大奏楽堂」
ここならこの季節の、この時間の、このアングルだと思いますが、先生いかがでしょう?



≪日本堤≫
・天丼の「伊勢屋」
 
今まで食べた中で、一番美味い天丼だと思います。
ガラス戸の海老模様も老舗らしいです。


・「伊勢屋」の隣の桜鍋屋「中江」
 
馬好きの身では入り辛いです。


≪向島≫
・「上総屋」
 
言問橋の袂にあります。
店頭の飾り付けが特徴的です。


≪柴又≫
・「矢切りの渡し」
 
向こう岸は伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台です。

先生は「寅さん」が嫌いらしい・・・。
ここまで来ているのに、帝釈天周辺の絵がありません。

長くなりましたが画集の現場紹介ができました。
次回投稿のチャンスがあったら、カレンダーや絵葉書の現場も紹介したいです。
ちなみに、先生の作品は18~20万円/枚(先生談)(ご逝去後値上がりしました)です。
先生の生きているうちに1つは入手したいと考えています(現在1枚だけ我が家にあります。前掲のご自宅に上がり込んでお譲り頂いたもので、我が家のお宝になっています)。
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ぺん画の現場を訪ねてー2

2016年07月24日 | 散文
≪根津≫
・画集の表紙でもある、明治42年建造の串揚げ屋「はん亭」

もう東京でも珍しい木造3階建てです。
土日祭日の昼は3千5百円のランチセットのみです。

・創業明治28年の染物屋「丁字屋」 

この店舗は画集に描かれている建物を改築したものですが、いい雰囲気をそのまま再現しています。
(その後この店舗も改築されて、今は新しい店舗で営業しています。)

・間口5間の大店「吉野寿司」

廃業してしまいました。
祭りの日だけ人が賑わう集会所となっています。
(現在立て替わって、小物販売の店等数店舗になっています。)

・質店「サイタ」
 
暖簾をくぐると、先生が子供の頃からある井戸が今も使われています。

(ご主人の逝去と共に廃業・解体され、現在は大きな空き地です)

・箒屋「榊原商店」とお茶屋
 
ちょっと見には分からない程地味。気付くのに数年掛りました。
(現在お茶屋は廃業して民家に建て替えられています。)

・「根津神社」 

先生お気に入りの場所のようです。
画集に3点の作品があり、それ以外にも多く描かれています。

時代劇の撮影によく使われるらしい。


・「根津教会」 

下町では目を引く洋風建築物です。

冬は刈り込まれますが、「蔦の絡まるチャペル」の全盛期も好いです。


・表具屋「武田」
 
ここ数年人が住んでいる気配がありません。

そのうちに取り壊されてしまうのでしょうか。


≪本郷≫
・樋口一葉も使った井戸と、奥の石段の両側に木造3階建てです。

下町風情の代表的場所です。

・「本郷4丁目の民家」
 
玄関からは2階建て、中に入ると3階建てに造られています。

今、人は住んでいないようです。

・樋口一葉が通った質店「伊勢屋」
 
住居部分は戦後に建て替えられましたが、土蔵は当時のままです。
(現在は大学の所有になっています。)

・木造3階建て下宿「本郷館」 
10数年来何度も何度も取り壊しの話が持ち上がって、とうとう解体が決まりました。

都条例で、もう木造3階建ての共同住宅は建てられないのに・・・。

・「東大 赤門」 
このアングルで表現した作品は先生以外見ていません。


次回に続きます。
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ペン画の現場を訪ねて-1

2016年07月24日 | 散文
消失したブログのリメイクです。

ママチャリで“谷根千”に通い始めた頃、一冊の画集に出逢いました。
そこにはほぼ毎週通っている街がモノクロの世界に再現されている事に感動して迷わず買い求めました。
しかも作家の杉山八郎先生(以下先生)は、根津に生まれて根津に住んでいるらしい・・・。
一気に親近感が湧きました。
以来地図と一緒にママチャリの買物カゴに入れて、ペン画の現場を探すのが週末の日課になりました。
しかし、現場に行っても多くの家が見つかりません。
123ページに及ぶ画集の1/3程度しか行き当りません。

数十年来、下町の変遷は著しく、一般の民家はもう取り壊されてしまっています。
建物の古さが集客の手段に成り得る、商家が比較的多く残っている。
やっと見つけた現場に到着すると、画集と見比べて「このアングルから描いたんだな」と確認し、「季節は冬で、日差しは夕方だろう」と推察し、「このアングルの方が良いんじゃないか」と幼稚な対抗心から思い上がった批評家になってます。
そして、先生と同じ世界を共有できた満足感に浸ります。
概して画家は眼前の対象をデフォルメし、対象物の配置を変えて、自分好みの作品に仕上げるのだが、先生は確かなデッサン力で驚くほど忠実に描いています。
実直な人柄を連想します。

やっぱり先生に会いたくなりました。
根津の裏町を探してみます。
すぐに見つけました(現在この家は取り壊されてマンションになっており、杉山家は1本隣の路地に引っ越しています)!
これ程分かりやすい家もありません。

以来、毎年カレンダーを買いに訪問するようになりました。
先生は町内会の会長を務めていて、よく公用で根津の路地を歩いています。
先生を見つけると必ず先回りして、偶然出逢った風を装い「あ、先生こんにちは」と挨拶します。
こうして強引に“数年来の知人”にしてしまいました。
先日は大きな梨を貰って恐縮し、一方で友人に自慢しました。

先生は人柄がにじみ出たいい顔をしています。
こんな年寄になりたいと思います(先生はもう故人におなりです)。


先生は町内会会長なので、「根津千駄木・下町祭り」と「根津神社の祭り」には必ず寄付をされます。




先生は商売熱心で、お祭りには必ず露天を出してカレンダー・絵葉書等を販売します。


先生は・・・、そろそろ画集の現場を紹介しないと、いつもの様に冗長な駄文になってしまいます。
それでは画集の1ページ目から。

≪神田須田町≫
・あんこう鍋屋「いせ源」

あんこうが苦手なので店に入ったことはありません。

・隣にある鳥すき屋「ぼたん」

いい感じの古さです。

・向いの甘味処「竹むら」

負けていません。

・「神田やぶそば」 
年越しそばの報道に必ず登場します(この店舗は火災で焼失しました。今は新しい店舗で復活しています)。


・蕎麦屋の「まつや」
 
神田祭の日に小粋なうちわを貰いました。


≪佃島≫
・「超高層マンションと舟溜まり」 

古い町並みと近代的な高層マンションの共存が好い場所です。

・「佃3丁目の雑貨屋」
 
高層マンションの向いで今日も老夫婦が店を守っています。「がんばれ!」
(この店舗はご主人がなくなられた後、取り壊されました。)

・佃島から見る「聖路加タワー」
 
こういった近代ビルは先生の作品には珍しいです。

・佃煮屋「田中屋」 

この一角に3軒の老舗佃煮屋があります。
先生はここが好みのようです(この店を主体にした絵が多い)。
私も影響を受けて、よくこの店で買います。

次回に続きます。
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今日の伊勢ケ濱部屋

2016年07月23日 | 散文
東京の街にもポケモンバスターか跋扈しています。
危なくって仕方がない・・・。

さて、日馬富士が優勝するのでしょうか?

玄関先のハコは何?
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しもふり商店街を往くと・・・-2

2016年07月23日 | 散文
「しもふり商店街」から続いている「そめい銀座」に居ます。
振り返ると「しもふり商店街」です。


商店街の中空にひまわりが飾られています。

多分文字だと思うのですが、何て書いてあるか分かりません。

「松坂肉」を扱っています。

手前にも「松坂肉」の店があったので、裕福な街だと思います。

昼下がりののんびりした商店街です。
「さくら」の文字が目に付きます。


商店街の角を曲がった所にあった介護施設の看板を見て気付きました。

あっ!
ここが「ソメイヨシノ」発祥の旧染井村だ!!
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しもふり商店街を往くと・・・-1

2016年07月23日 | 散文
旧古河庭園前の本郷通りの坂を南下した所に「霜降橋」の信号があります。


その横断歩道を渡った正面に「しもふり商店街」を見付けました。


好い感じの商店街です。


初めて来る商店街です。

自転車でフラフラと入って往きます。

本郷通りを振り返ります。

この商店街はちょっと異空間感があります。

商店街の奥へ進みます。


下町感溢れる商店街です。


ゆっくりと自転車を漕いで行きます。


あそこが「しもふり商店街」の終点のようです。


更に別の商店街が続いていて、ここからは「そめい銀座」になるようです。


次回に続きます。
私にとって、驚く発見がありました。
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藪下通りから須藤公園へ

2016年07月22日 | 散文
梅雨の合間の藪下通りを散策しています。
坂の途中にある石段を見上げます。


いつも日当りの良い崖上の道です。
根津神社方向に坂道を振り返ります。
石段下では測量をしていました。


森鴎外の旧住居「観潮楼跡」に来ました。




向かいには小さな公園があります。
大きな桜の木があって、天女のブロンズ像があります。
ちょっとエキゾチックな顔をした天女です。
崖下にある汐見小学校の校舎の一部が見えます。

同じ「しおみ」ですが、観潮楼は「潮」で小学校は「汐」です。

崖下のビルの隙間からはスカイツリーが見えます。

この崖下の道は千駄木駅に繫がります。

団子坂を下って千駄木の住宅街の路地に入りました。
ここには「講談社発祥の地」碑があります。


今は同社の社宅になっています。


路地を抜けると須藤公園に行き当たります。

今日も河童に遭えません・・・。

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押上と京島を行ったり来たり

2016年07月22日 | 散文
消失した記事のリメイクです。

墨田区に押上と京島が隣接している場所があります。
押上3丁目と京島2丁目ですが、その境界は東武亀戸線の線路です。
その区間の線路の距離はわずか500m程度ですが、その間に7つの踏切があります。
その踏切界隈に行ってみました。
「ふれあいの十間橋商店街」から入って行きます。

商店街なのに人通りが少ない・・・。

東武亀戸線です。

複線です。

振り返るとスカイツリーが見えます。


雑貨屋がありました。
元は履物屋だったようですが、店頭に履物は置いていません。


駄菓子屋があります。懐かしい。

やっぱり今も子供相手に商売しているのでしょうね。

路地に迷い込みました。


路地を抜けると分かれ道に出ました。

こういう場合は、必ず狭い方を選びます。

工場(こうばと読みたい)裏に旋盤屑が置いています。

子供の頃触って手を怪我した事を思い出しました。
いっぱい血が出た記憶があります。

京島南公園に行き当たりました。
子供たちが元気に遊んでいます。

いつの時代の子供も滑り台を逆行するのが好きなようで、ここでも歩いて登っています。

京島2丁目の踏切に行き当たります。


東武電車を見送って踏切を渡ると、


押上3丁目に出ました。
ビニール紐で縛っている住所表示板が好い!


押上側から京島を見ます。


京島側から踏切を覗くとスカイツリーが見えます。


京島のあちらこちらの路地からスカイツリーが見えます。


踏切を渡ります。


また踏切を渡ります。


ここにも踏切があります。


京島側の路地裏は押上側より古い家が多く、そして新旧の建築物が共存しています。

面白そうな街です。

京島側にあったユニークな車庫です。


その近くの家の壁に、掲示板と大きな腕時計が張り付けられていました。

ちゃんと正確な時刻を表示しています。

うろうろしていたら、猫に睨まれました。

けっして怪しい者ではありません。

こんな可愛い店もあります。

この界隈が気に入りました。
また遊びに来ようと思います。
今日はこの辺で・・・。

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世界遺産登録の周辺

2016年07月21日 | 散文
国立西洋美術館が世界文化遺産に登録されました。
上野公園の入口に提灯が掲げられました。

地元商店街が待ちに待った登録です。

上野公園には幟が出ています。


やっぱり平素より美術館の人出が多いです。


左の小父さんは、記念に山形から来たと話していました。


それにしてもこの美術館は、


世界遺産に登録されたその素晴らしい建物を、皆さんに納得して貰えるように撮り辛い・・・。
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王貞治球場

2016年07月21日 | 散文
向島は見番通りの少年野球場前信号を渡った所に野球場があります。
花街の外れです。
小さな野球場で、内野を超えたボールがすぐ金網に届くような、やっと1面確保したスペースです。
その入り口の門柱に「世界のホームラン王」王貞治のレリーフが飾られています。


昭和24年に荒地を整備して造られた、日本で最初の少年野球場らしいです。
記念碑に王さんが少年時代に野球をしていた場所である旨の説明がされています。

東京大空襲の日、この辺りは多くの人が焼死しました。
逃げ場を失った人達は、近くにある言問橋から隅田川に飛び込んで溺死しました。
浅草側からも多くの人が逃げて来て、言問橋の上で身動きが取れなかったのです。
犠牲者は10万人以上と云われています。
その4年後、焼け野原になった街外れに造られたこの野球場で、生き残った子供達が幸せを体中で表現しながら走り回った事でしょう。
それを見て大人達は仕事に励んだ事でしょう。

野球場の隣には名物「言問団子」があります。

おそらく皆と同じように貧しかったであろう王少年が、初めて言問団子を食べたのは幾つの時だろう。
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梅雨空け宣言を待つ根津

2016年07月20日 | 散文
蝉が鳴き始めました。
蝉は己が生きる最適の環境を知っていて地上に出て来ると思っています。
従って、蝉が鳴くと梅雨明けだと判断しています。
意気消沈ばかりしていないで、蝉の声に促されて、久し振りに外出します。

途中立ち寄った不忍池では蓮の花が咲いていました。




外出するとなったら先ず、根津です。
根津教会に来ました。
バイクと根津教会です。


全景を観ます。


長屋と教会。


窓の幾何。


やっぱり根津神社は外せません。


国宝を鑑賞します。








国宝の足元から国宝を望む景色です。


国宝じゃないけど、好きな景色です。



さて、いつもの蕎麦でも食べますか・・・。
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あしたのジョーを訪ねて

2016年07月20日 | 散文
3年前の記事の再生です。

随分昔から山谷の存在を知っています。
岡林信康が歌った「山谷ブルース」や、ちばてつやが描いた「あしたのジョー」の舞台です。
私の中の山谷のイメージは、・・・暗い。
最近、山谷の商店街が「あしたのジョー」を使って集客に奮闘していると聞きました。
山谷に行ってみます。
・・・で、泪橋に来ました。

記憶が正しければ、丹下段平がこの橋の下にボクシングジムを構えました。

泪橋に橋が無い!
従って川が無く、当然ジムがありません。


「神の愛の宣教師教会 山谷の家」と書いています。

「あしたのジョー」で見たような気が・・・。
中から讃美歌の合唱が聞こえます。

山谷でキリスト教関係者が篤実な活動をしていると聞いています。
そして、山谷に住み込んだ医師や、ホームレスを看取る人達が居る事を聞いています。


浅草警察署日本堤交番がありました。

矢吹丈が喧嘩してお世話になった交番でしょうか?

その斜め前の焼鳥屋で、昼前から酒盛りしているぞ!

・・・この人達は酒盛りできるほど裕福な人達だと後で分りました。

玉姫公園があります。
段平とジョーがトレーニングした場所です。
・・・よく見ると、誰か寝ています。


ここにも寝ている人が居ます。


東京に転勤して来た時、先輩から「あそこは当り屋がいるから車の運転には気を付けろ」と注意された地域です。


いやいや、それより今日の目的は商店街です。
ほう、「いろは会ショップメイト」というのですか。
モダンなネーミングではありませんか!
ほらほら、「あしたのジョーのふるさと」と書いているではないですか。

・・・ん、入り口に座り込んでいる人が居ます。
寝ている人も居ます。

入口の右手にあるのが日本キリスト教団日本堤伝道センターです。

以前、炊き出しをしているのを見た事があります。
日本で一番労働環境が厳しい伝道所かも知れません。
立小便するのでしょう、教会の周辺が臭い・・・。

よく見ると、お巡りさんが住人(?)と話をしています。

暫く様子を見てみます。
但し、何だか雰囲気が怖いので、ママチャリで周辺を走っては、さりげなく戻って来る事にしました。

パトカーが来て止まった!
この人達は随分小ザッパリしています。
ひょっとしたら、この人達が仕事斡旋の手配師かも・・・。

前出の交番が私のすぐ後ろにありながら、警察官がいつも巡回しています。
ここはそんな街なんだ・・・。

いやいや、今日の目的は商店街です。
ほら、入り口でジョーが迎えてくれます。


段平も居るぞ!


白木葉子も迎えてくれます。
ここまで街を廻ってみて、こんな綺麗な恰好をした人は居ません。

ボクシングを題材にして、ちばてつやが描きたかったものが分ったような気がします。
当時の日本は大半の人が貧しかったが、健康的な貧乏でした。
今は違います。
当時よりもっと格差が広がって、明日の希望がありません。

アーケードの軒下にも白木葉子が居ます。


・・・が、買い物客が居ません。


ここにも白木葉子が居ますが、お金持ちのお嬢様は、ガムテープで貼られるのはプライドが許すのでしょうか?
無造作に自転車を留められて・・・。


アーケードを見上げると、ジョーとライバル達が居ます。
力石徹が居て、カルロス・リベラやホセ・メンドーサも居ます。

固有名詞がすんなり出て来る自分に驚いています。
普段は顔が浮かんでも名前が出て来ないのに・・・。
子供の頃の記憶はしっかり残っているんですねえ。

次の角で、ドヤ街を背にしたジョーが空を見上げています。


その視線を追いかけると、スカイツリーがありました。


この山谷で、ジョーと段平とマンモス西と、そして日本人は、上を、明日を、チャンピョンを目指して努力しました。

そんな努力が報われる魅力が、この時代の日本にはありました。

商店街を抜けた所に兄ちゃんが立っていました。

矢吹丈を三次元化したらこうなる?
・・・イメージと違う。
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ふいち

2016年07月19日 | 散文
墨田区の墨東病院の前に古い商店があります。
周りはスナックやラブホテルが集まった錦糸町の歓楽街で、その端にひっそりと商売を営んでいました。


街の端だから遊興店に呑み込まれないで、商店として生き残っていたのでしょう。
店名を「ふいち」と書いてあります。

麩を商っていたのでしょう。
作っていたのかも知れません。

店頭にある「ふや町通り」の石碑があるところを見ると、周辺は麩に関係した店が集まっていたんでしょう。
老舗らしい雰囲気があります。

格別麩が好きな訳でもないので、店に入る事もなく時々外から覗いていました。
沢山の客が入っている様子が無く、頑張って商売を続けて貰いたいと思っていたら、店仕舞いしてしまいました。
私は偶々その場面を見てしまいました。
玄関に鍵をして子供を含む家族3人が去って行くところを(さすがに写真は撮れません)・・・。
別の街へ行って同じ商売を続ける旅立ちには見えませんでした。
とても残念です。
もう、麩の専門店を見る事は無いと思います。
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