荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

大使館を訪ねてー31(モザンビーク、ボツワナ)

2016年07月19日 | 散文
「モザンビーク共和国」
三田の第一京浜沿いです。
交通量の多い道路です。
それらしい建物が見当たらないのでビルを探したら、やっぱりありました。


6階を見上げると、国旗らしきもの(よく見えません)がありました。
アフリカ大陸南東部に位置する共和制国家です。

南に南アフリカ共和国、南西にスワジランド、西にジンバブエ、北西にザンビア、マラウイ、北にタンザニアと国境を接し、モザンビーク海峡を隔てて東にマダカスカルとコモロが存在します(知らない国が多いです)。

旧ポルトガル植民地であり、1964年からモザンビーク独立戦争を戦い、1975年に独立を達成しました。
独立後も、1977年から1992年までモザンビーク内戦が続きました。

内戦終結後は好調な経済成長を続ける反面、HIV/AIDの蔓延が問題になっています。

ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国です。

隣接国が全て英語圏の国家である為、1995年からイギリス連邦に加盟しているそうです(以上ウウィキペディアより)。


「ボツワナ共和国大使館」
第一京浜を芝へ移動しています。
印象的な建物がありました。
尖塔の先は、風見鶏ならぬ風見猫です。

さておき先に進みます。

この環境ですから、初めからビルを探しました。

ありました。
モザンビークと同様にビルの6階にありました。

ビルを見上げましたが、国旗はありません。

南部アフリカの内陸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国です。
南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をザンビアに囲まれた内陸国で、 首都はハボローネです。

国民の約9割はツワナ人で、ボツワナとは「ツワナ人の国」のことらしいです。
1885年にイギリス保護領となります。
1891年に駐南アフリカイギリス高等弁務官の管轄になり、1966年に独立した国らしいです。

隣りには、ビルの谷間」に埋もれそうな小さな八百屋さんがありました。
店頭で美味しそうに売られていたタンカンを買って帰りました。
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意気消沈中

2016年07月18日 | 散文
昨日蝉が泣き始めました。
例年ミンミンゼミやアブラゼミが鳴き始めるのと梅雨が明けるタイミングが一致しています。
もう梅雨明けすると思います。

さて、先日ブログを投稿しようとしたら写真がアップできなくなりました。
原因を調べるとGOOブログに「画像ホルダがいっぱいになりました」との文字がありました。
なるほど、じゃあ古い写真を削除すればいいや、とコツコツと古い写真を削除しました。
これで当分OKです。
そんなことがあって何かの拍子に古い投稿ブログを見てみると、投稿ブログから写真が消えていました。
愕然としました。
画像ホルダと投稿ブログの写真は連動していたのですね。

私のブログは、文章力が拙いのをカバーする為に写真を多用して、写真に語らせています。
従って、写真の無い、置き去りにされた文章は意味不明です。
この意味不明な状態で放置するのは大変恥ずかしい行為のように思い、写真の無いブログを削除することにしました。
およそ3年前の約1年分の記録です。
中には亡くなってしまった人との交流とか、もう壊されてしまった建物とか、自然災害の記録等々があります。
悲しくなって削除を中断しました。
泣いて解決するものなら泣きたいです。

幸いwordには多くの原稿が保存されています。
エクスプローラには多くの写真が残っています。
これらを使って新しく作成するか再生しようという想いはありますが、今は気力が湧きません・・・。
立ち直ることができなくて、ダラダラと過ごしています。



コメント (4)
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大使館を訪ねてー30(スリランカ、ウズベキスタン、クウェート)

2016年07月18日 | 散文
「スリランカ民主社会主義共和国大使館」
高輪台に入ります。
印象的な高輪消防署があります。


消防署前の日本榎通りを北に坂を下るとあります。


インド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家です。

首都はスリジャヤワルダナプラコッテです。

紀元前からシンハラ王朝として存在した国です。
ポルトガル人及びオランダ人の来航により海岸地帯が植民地となりました。
その後1802年のアンミン条約によりイギリスの植民地になり、 1948年イギリスから自治領のセイロンとして独立し、1978年に現在の国名に変更しました。

大使館訪問に際して調べるまで、社会主義国との認識がありませんでした。

道路の向かい側の森は、「高輪皇族邸」です。



「ウズベキスタン共和国大使館」
スリランカ大使館横野路地を入ったところにありました。

スリランカ大使館の真裏です。

中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国、首都はタシュケントです。
北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接しています。


紀元前4世紀にアレクサンドロス大王に制圧されます。
紀元前250年頃グレコ・パクトリア大国が成立します。
その後、アラブの侵入、モンゴル帝国の支配、ロシア帝国により植民地支配を経て、ソビエト社会主義共和国に一部となります。
1924年に中央アジアの民族・共和国境界策定により、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となります。
1990年に共和国主権を宣言し、1991年に独立してウズベキスタン共和国に国名を変更しました。

改めて思いますが、隣国と地面で接していない日本は、世界的にも珍しい国です。
この立地はトラブルが少なくて済みます。平和な国だと思います。


「クウェート大使館」
幽霊坂を左に見て、亀塚公園脇を走ります。


聖坂の途中にありました。


イラクがクウェートに侵攻したのを契機にアメリカ軍を中心とした多国籍軍がイラクを攻撃した「湾岸戦争」が記憶に新しいです。


紋章です。


立憲君主制で中東・西アジアの国家です。
代表的な産油国です。

首都はクウェート市です。1990年にイラクに一時占領されました。
北と西にイラク、南にサウジアラビア、東にペルシャ湾がある国です。

18世紀にアラビア半島の中央部から移住して北部族がこの国の基礎を造りました。
1899年にイギリスの保護国となります。

1938年に大油田が発見され、1961年に独立しています。
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カトリック神田教会

2016年07月17日 | 散文
西神田を走っていたら教会に行き当たりました。




逆光の園内を覗きます。


向こうの門に十字架が見えます。


物音ひとつしない夏の午後です。

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時も季節もセピア色

2016年07月17日 | 散文
この季節感の無い街角に来ると40数年をタイムスリップして学生時代に戻ります。


その気分を味わいたくて、時々そっとやって来ます。


足を踏み入れた途端、瞬時に時を越えます。


呼吸が早くなります。


あれから以降の来し方が夢のようで、想いはあの時代を駆け巡ります。


この街角は、時も季節もセピア色です。
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不忍池の蓮が見頃だと思う。

2016年07月16日 | 散文
昼下がりの不忍池です。
池がびっしりと蓮に覆われて、蓮の海です。

水と泥と花の匂いがします。
子供の頃嗅いだ夏の匂いです。

蓮の上には蕾がいっぱい出ています。


見に来れないけど、朝は満開になりますよね。

さぞかし綺麗でしょうね。


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大使館を訪ねてー29(エリトリア、エチオピア)

2016年07月16日 | 散文
「エリトリア大使館」
蕎麦屋で昼食後、目黒通りを探します。
白金台駅近くの東大医科学研究所付近にある筈ですが見当たりません。


こうなるとビルの中を探します。



このビルの4階にありました。

アフリカの角とよばれるアフリカの北東部にある国です。
西にスーダン、南にエチオピア、南東部にジブチと国境を接し、北は紅海に面し、紅海対岸側にはサウジアラビアとイエメンがあります。

イタリアの植民地からイギリスの保護領となり、1962年にエチオピアに併合されます。
1993年にエチオピアから独立しますが、1998年にエチオピアとの国境紛争が発生します。

2002年に国境委員会により、エチオピアとの国境が確定しています。

向かい側には白金台郵便局があります。


目黒通りから桑原坂を下って行きます。


左の緑地は八芳園です。

更に坂を下ります。

坂下の明治学園大学前交差点を右折して、国道1号線桜田通りを走るとすぐにあります。



「エチオピア連邦民主共和国」
ビルの2階にありました。

東アフリカに位置する連邦共和制国家です。
東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国です。
前出のエリトリアの隣国です。

エチオピア帝国を発祥とする歴史の古い国ですが、エリトリアと同様に、イタリアの植民地からイギリスの保護領となり、1962年にエチオピアに併合された歴史があります。
ビルを見上げますが、国旗等は見えません。


1階のコンビニ脇の入り口前に国旗掲揚用のポールがありました。

今日は日曜日だから掲揚していないのでしょうか?
一般の大使館は休日でも国旗を掲げていますが・・・。
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大使館を訪ねて-28(イラン、フランス)

2016年07月15日 | 散文
在庫写真の虫干しが続きます。

南麻布の坂を下りて行きます。


薬園坂の下に来ました。



「イランイスラム共和国大使館」
ここに大使館が在ります。






坂の途中から坂下までの敷地を持っています。


薬園坂の向かい側には大使公邸があります。



「フランス共和国大使館」
昨日、またISの関係らしきテロがありました。
フランスの保養地・観光地ニースです。
お陰で、隅田川の花火大会に警視庁の特別チームが配備されるとか。
迷惑な話です、

フランス大使館は明治通りから南麻布の坂を上る途中に佇んでいます。


ヴェルサイユ宮殿のような大使館を予想していましてが、美術館のような玄関口です。


意外とシンプルです。


フランスの紋章です。
西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家で、自由・平等・博愛を掲げる国です。
今動揺しているEUの主要国でもあります。

歴史と芸術と観光と諸々のヨーロッパ文化の象徴的存在です。

パリのテロがあった後なので警戒が厳重だろうと思っていましたが、ご覧のとおりです。

日本に対する信頼が厚いのだと思います。

坂を下って亀屋橋を渡ります。


渋谷川に架かる橋です


渡った先の白金商店街を通り抜けます。


蕎麦屋で昼食です。
13時過ぎでしたが混んでいました。
蕎麦は美味しかったです。

ワインを飲む客が居たりして、客単価が高い店だと思います。
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濃溝(のうみぞ)の滝へ行く

2016年07月15日 | 散文
猛暑日が続いた中、ほっと一息付けた雨の日です。
TVで知ってから行ってみたいと思っていた濃溝の滝へ行きました。
駐車場から傘を差して歩いて行きます。

篠突く雨の林道です。

すぐに河原に着きました。


「幸福の鐘」を叩きました。

鐘の向こうに滝が見えます。

河原へ降りて行きます。

しっとりと雨に濡れた青葉の向こうに滝が流れています。

青葉の向こうにトンネルが現れました。

その中に滝があります。

雨の風情も好いです。


ちょっと位置を変えて観ます。


好いですね。


ちょっと無理してガラケーでアップも・・・。


駐車場への帰りはこの道を行きます。

雨に濡れた木の歩道が好いです。

蛍が居るらしい。


来た帰り道を振り返ります。

また来たい所です。
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羽田空港へ遊びに行く

2016年07月14日 | 散文
随分長い間、羽田空港は通過する所でした。
まさか遊びに来るとは想定していませんでした。
第2ターミナルの最上階から見下ろします。


通過するだけの場所だったので、ここには初めて来ます。

みんな慌ただしく歩いています。

展望デッキへ行きます。
羽田空港の展望デッキは高校の修学旅行以来です。
勿論同じ建物ではありません。

夕方になると風が気持ち好いです。

ついつい我が家を探してしまいますが、勿論見える筈がありません。


そろそろ晩御飯にします。

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大使館を訪ねて-27(パキスタン、アルジェリア、フィンランド)

2016年07月14日 | 散文
「パキスタン・イスラム共和国大使館」
段取りが悪いのは生来の方向音痴のせいであり、地図が平面のせいです。
南部坂を再び上ってパキスタン大使館に来ました。


何の事はありません。
先程見た「ヨーロッパハウス」の隣りです。

罰ゲームのようです。

南アジアの国家で、インドとアフガニスタンの間にあります。
イギリス連邦加盟国です。

人口の増加が著しい国です。

首都はイスラマバードで最大の都市はカラチです。
面積は80万km²で日本 の約2倍程の国です。

国土の中央部にインダス川が流れる、古い文明の発祥の地です。


「アルジェリア民主人民共和国」
手前パキスタン大使館の隣りに白い建物があります。


北アフリカのマグリブに位置しています。
東にチュニジア、リビアと、南東にニジェールと、南西にマリ、モーリタニアと、西にモロッコ、サハラ・アラブ民主共和国と国境を接し、北は地中海に面しています。

首都はアルジェです。

国のイメージどおりの白い建物です。




1962年にフランスから独立しました。

従って国語、公用語はアラビア語ですが、国民の間で広くフランス語が用いられています。


「フィンランド共和国大使館」
アルジェリア大使館の向かい側に在ります。
アルジェリア大使館の玄関先から見ています。

北ヨーロッパに位置する国です。
首都はヘルシンキで、フィヨルドとオーロラの国です。
サンタクロースとトナカイとムーミンの国でもあります。

北欧諸国のひとつであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置しています。

その歴史は、通常は先史時代(~1155年)、スウェーデン時代(1155年~1809年)、ロシアによる大公国(フィンランド大公国)時代(1809年~1917年)、独立後の現代(フィンランド王国時代を含む、1917年~)の四つの区分に分かれ、大国に翻弄された小国でもあります。

この国は「スオミ」とも言います。
フィンランドはアジア系「フィン人の国」という意味で、スオミはフィン人の自称です。
「スオミ」の語源は、同じウラル系の「サーミ」や「サーミッド」(サモエード)と同源とする見方があります。
「フィン」についてはタキトゥスが残した「北方に住む貧しいフェンニ人」の記述が最古のものです。
「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市トゥルクを中心とする限られた地域を指す単語であったのが、後に国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名が後にフィンランド語の名称になりました。

トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ(Varsinais-Suomi)」と呼ばれています。(ウキィペディア参照)
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雲は湧き光溢れて・・・

2016年07月13日 | 散文
まだ雲湧かず光溢れないただ蒸し暑い梅雨空ですが、今年も高校野球甲子園大会地区予選が始まりました。


開催を待ちに待っていた人たちがバックネット裏に陣取っています。

目の前のどちらかのチームを応援する訳ではなく、純粋に高校野球が好きな、地区予選で朝から一日遊べる人たちです。

予選2回戦の段階では、実力差があってコールドゲームが多いし、応援団の体制も格段の差があります。
コールドで勝ったチームの応援。




負けたチームの応援。


そして今年も、グランド整備が始まるとビールタイムの始まりです。

それにしても、コールドがあっても、3試合観戦はしんどい・・・。
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大使館を訪ねてー26(ハンガリー、大韓民国)

2016年07月13日 | 散文
「ハンガリー大使館」
三田の丘を下って来ると、EU旗とともに、ハンガリー国旗がありました。


中央ヨーロッパの共和制国家です。
西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国です。


ローマ帝国の領地に、紀元4世紀アジア系のフン族が侵入し、7世紀末にはハンガリー民族が定着した国です。

西暦1000年にハンガリー王国が誕生しました。

その後蒙古の襲来、トルコによる占領を経て、ハプスブルグ家が統治しました。
政略結婚で嫁いできた王妃エリザベートは、ハンガリー語を身に着けハンガリー統治に尽力しました。
後にハンガリーの母と呼ばれ、ルドルフ王子を設けました。
華やかなハプスブルグ家の統治は、第一次世界大戦での敗戦で終わりを告げ、国土の3分の2を割譲されます。


第二次世界大戦後は社会主義国となりましたが、1956年に始まったハンガリー革命により、1989年に共和国に体制転換して、1999年にNATOに加盟、2004年にEUに加盟し現在に至ります。

首都は、ハプスブルグ家と社会主義国時代の面影を残すブダペストです。
丘の上のブダ地区と平地にペスト地区の間を流れるライン川の水はあまり綺麗ではありませんが、夜のクルージングは好いです。
パプリカを多用した料理は日本人の口に合いませんが、温泉とワインは高得点で、親日的で市場での買い物も楽しいです。
再訪したく、思い入れのある国です。

正面に慶應義塾大学を見る、三田四丁目の信号を


入ったところにあります。



「大韓民国大使館」
元麻布と南麻布の間にある仙台坂の途中にあります。


他の大使館によくある、国をイメージした建物ではありません。
近代的で、無機質な建物です。


現在、日本との間が円満とは言えません。
そのせいでしょう、周辺に配置された警備員の数が凄いです。


丘の上に元麻布ヒルズが見えます。
この建物の存在感は凄いです。
そう、向こうが元麻布、こちらが南麻布です。

この後南麻布へ向かいます。

南麻布の丘に来ました。
中国大使館別館です。

中国は大使館本館以外に、複数の関係施設を持っています。
マンションのようです。職員用の官舎でしょうか?

この後は南麻布の丘を上下してしまいます。

次回に続きます。
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東部/牛田・京成/関谷駅

2016年07月12日 | 散文
寂びれた商店街に横断歩道があります。

アビーロードではありません。
足立区の外れです。

右手からゾロゾロと人がやって来ます。


その半数位の人がそのまま横断歩道を渡って改札口に消えて行きます。


右手は京成関谷駅です。


左手が東部牛田駅です。


京成関谷の改札口から東部牛田の改札口を望みます。

双方の改札口間の距離は200mありません。

その間の道路に駅前商店街があります。


アド街風に・・・。











好い感じの街です。
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大使館を訪ねて-25(ユーロ、ドイツ)

2016年07月12日 | 散文
イギリスのEU離脱の波紋が広がっています。
写真の虫干しついでに、ヨーロッパ関係を少し。
季節の違和感は辛抱願います。

「ユーロ代表部」
南麻布の丘にユーロ旗が翻っています。


手持ちの地図にも「ヨーロッパハウス」と書いています。


建物にも「EU・日本」の文字が見えます。


なるほど。
EUは「国」なのです。

G-7首脳会議に8人の人が写真に写っていました。
8人目はEUの代表者でした。

坂の途中の崖を登って撮りました。
沢山の国旗が見えます。
「EU在日本大使館」みたいな権利と機能を持っているのでしょう。

この空地、高価だと思います。
いずれ、それなりの建物が現れるのでしょうね。


「ドイツ連邦共和国大使館」
長い南部坂です。


日本の裕福な民家のようですが、大使館公邸です。


日本庭園的な玄関を左に見ながら坂を下りて行きます。


長い坂に長い塀が続きます。

大使館と公邸の敷地です。

壁に自国のアピールをしています。
この手法は中国とインド大使館と一緒ですが、この3国以外に見た事はありません。
この辺は「ベルリンの壁」の説明部分です。


こんな絵もあって、中国と比べたら、お洒落ではあります。


ドイツ大使館の正門です。
ヨーロッパ中西部における議会制共和国です。
連邦制国家であるドイツ連邦共和国は限定的統治権を保有する16の州から成っています。

EUの中心国であり、実直剛健のイメージがあります。
遠い昔には「日・独・伊三国同盟」なんてのもあり、親交の深い国です。

隣りには麻布南部坂教会が在ります。




ドイツはEUの盟主国の1つです。
EU「大使館」の近くに在って、イギリス問題をどう決着させるのでしょうか?

この後、この長い南部坂を上る事になります。

自転車ではキツイです。

次回に続きます。





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