おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

農村秋景 並ぶ白

2015年10月16日 00時58分03秒 | 景観
写真1


写真2


写真3


写真4


人気ブログランキングへ ← Please click this green banner.
           ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。

 農村の秋
 近年、目に入る色は白
 円筒型の白
 行儀よく並ぶ白(注1)
 耕畜連携の白
 農政推奨の白

 注1 稲発酵粗飼料(Whole Crop Silage・ホールクロップサイレージ)を白色フィルムでぐるぐる巻きに密封
    水稲の完熟前の子実、茎、葉(写真3・写真4)をいっしょに収穫・細断し円筒型に梱包
    乳牛、和牛などの粗飼料
    水田有効利用、粗飼料自給率向上などの目的で推奨されている
    水稲経営と酪農・畜産経営の連携
 引用・参考文献等:弊ブログ2013年09月12日2015年10月01日03日09日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:写真1;2014年11月16日、写真2;2015年10月15日、写真3・写真4;2015年10月10日
 撮影地:栃木県下野市
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カスリーン台風水害後に造成のミツカ

2015年10月15日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 カスリーン台風洪水被災後に造成されたAさん宅のミツカ(土盛りと建屋)
     2015年10月11日。埼玉県久喜市栗橋地区。写真2・写真3・写真4も同じ
 


写真2 カスリーン台風洪水被災後に造成されたAさん宅のミツカ(土盛りと建屋)



写真3 ミツカ(写真1・写真2)を含むAさん宅の屋敷構え(一部)


写真4 ミツカ(写真1・写真2・写真3)を含むAさん宅の屋敷構え(一部)
     前菜畑は人生ベテラン女性Aさんがトラクターで耕耘し、自家用野菜をつくる



写真5 カスリーン台風豪雨による決壊状況
     「国土交通省 利根川上流工事事務所」が設置したカスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑の案内板(写真7)
     加須市柏戸地先・三国橋上流に立つ。2013年10月21日


写真6 カスリーン台風豪雨による被害。カスリーン台風による「決壊口跡」碑の案内板(写真5・写真7)



写真7 カスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑(左)と案内板(右:写真5・写真6を記載)
     渡良瀬遊水地第1調整池の堤防に立つ。堤防下は加須市柏戸等



写真8 カスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑。群馬県板倉町海老瀬地先の渡良瀬遊水地第1調整池の堤防に立つ

人気ブログランキングへ ← Please click this green banner.
           ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。

 68年前の9月15日、カスリーン台風豪雨で大洪水発生
 15日23時頃、北埼玉郡東村(現加須市)の利根川右岸堤防から越水
 1時間後、16日0時頃、340mにわたり破堤(注1・写真5)
 他にも各所で破堤、たとえば対岸の渡良瀬川遊水地、柏戸地先(写真5)
 洪水は21日午前1時頃に東京都葛西地域に到達し、東京湾に流れ込んだ(注1

 大洪水時に小学6年生の人生ベテラン女性(Aさん)が次の1~4のようにご教示
  Aさんの暮らす集落は利根川破堤箇所から数km、栗橋町(現久喜市)内
  JR宇都宮線の東方、稲荷木落(旧利根川の一つ)の左岸に立地
  栗橋町は破堤箇所に近い利根川右岸域に広がり、町内すべて泥海と化した
  被災状況は次のとおり(注1
   死者18名、牛馬斃死12頭、流失家屋242戸、全半壊家屋1,011戸
   床上浸水1,737戸、農作物収穫は皆無
 1.ミツカは大洪水後に造成
  9月の関東・東北豪雨による鬼怒川破堤洪水と同じような被害に遭った
  小学6年だったのでしっかり憶えている、昨日のことは忘れるけれど
  屋根に避難していると、土蔵をもつ家からキブネ・木舟で助けに来た
  避難中のキブネ・木舟から手が離れて死にはぐった
  死体、斃死牛馬、流失家屋など、ありとあらゆるものが流れていた
  この被災によって親たちはミツカを造った(写真1~写真4・注2
  ほとんどの家にミツカができた
  しかし、現在残っているのは僅か、必要ないと壊した
  自分ちのミツカも不要品の倉庫、鼠の別荘 、傾いている(写真1~写真4)
 2.オカイコさんを世話した
  小学生の頃、オカイコサンを年3回育てた
  ナルゴ(春蚕)、ナツゴ(夏蚕)、アキゴ(晩秋蚕)
  学校から帰宅すると、桑を籠いっぱい摘んで来るように命ぜられた
  春と秋は枝ごと伐った、夏は葉だけ摘んだ
  夏から秋は日数が少なく、枝が伸びないので
 3.棉繰りをした
  寒風吹き荒ぶなか、棉摘みをした、親からさせられた
  摘んだ棉を棉繰器で棉と種に分けた
  棉の丈は低かった、腰くらいまでの高さだった
 4.麦刈り、田植え、稲刈りで学校を休めた
  農繁期に農家の子は小学校を休めた、先生に申し出て
  非農家の子は休めなかった
  休むのは恥ずかしかった
 
 上記の話は、筆者が写真のミツカを見撮していたとき、ミツカ所有者のAさんが買い物のためにケイドから自転車で出て来られて立ち話
 写真のミツカ、母屋、屋敷はAさんの生家、いわゆる婿取りさん
 
 注1 『鷲宮町史 通史 下巻』532-537頁
    同史典拠資料の一つは『昭和二十二年九月埼玉県水害誌』
 注2 カスリン台風大洪水後のミツカ造成は、渡良瀬川右岸破堤洪水の被災集落でも実施。弊ブログ2015年04月02日
 注3 ミツカや舟については次の弊ブログもご参照ください
    2011年04月25日26日05月10日27日2014年09月06日
    2015年02月10日03月11日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2015年10月11日 撮影地:埼玉県久喜市




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイ・藍の花  初見撮

2015年10月14日 00時00分00秒 | 植物

写真1 アイ・藍の花穂・花序。穂状に小さい花(萼)と蕾が密生。果実(種)が落ちても花がつくので花穂は維持される
     Kさんの菜園。2015年10月12日。埼玉県久喜市


写真2 写真3

写真2・写真3 開いた花(矢印)。花弁はなく、萼が花弁にみえる。写真1のKさんの菜園


写真4 アイ・藍と同科・同属のシロバナイヌタデ(白の花穂)とイヌタデ(赤紫の花穂)
     花は似ている。2008年09月23日。栃木県上三川町


人気ブログランキングへ ← Please click this green banner.
           ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。

 2015年07月に生葉染めを体験したアイ・藍(弊ブログ2015年07月18日

 10月11日、アイ・藍の花が咲いていますよ、とKさん
 えっ! どこに、と筆者
 私の畑に、菜園に、とKさん
 筆者は想像してなかった、頭にあったのは染料だけ
 確かに、アイ・藍は植物、開花するのは至極当然
 
 さっそく、翌12日に見撮
 花の形状、つき方はイヌタデに似る
 これは当然、同じタデ科イヌタデ属

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「とちおとめ」畝のマルチシート被覆

2015年10月13日 00時00分00秒 | 農業

写真1 黒色マルチシートをイチゴ畝の中央部に引っ張り置く。イチゴ用マルチ穴あけ機・「マルチスリッター」を利用


写真2 畝に被さるマルチシートの穴から、「とちおとめ」の苗を出す


写真3 マルチシートつなぎ。マルチシートの一巻の長さは200m。巻末と巻初をテープでつなぐ
    温室・ハウスの裾などを開けた際入る風上を上に重ねつなぐ。当地では北風が多いので、写真の左を上に重ねる


人気ブログランキングへ ← Please click this green banner.
           ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。

 栃木県下野市の石嶋農園は2015年09月04日にイチゴ・とちおとめを定植(注1)
 その後、関東・東北豪雨の影響をうけた(注2)
 したがって、イチゴ畝の黒色マルチシート被覆は遅れ、2015年09月29日に実施(写真1~写真3)

 注1:弊ブログ2015年09月05日 注2:弊ブログ2015年09月21日10月08日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大輪神社のダイジャサマ  絆・心・技を伝承

2015年10月12日 01時49分10秒 | 民俗
写真1 大輪神社のダイジャサマ。10月15日の秋祭りに奉納。2015月10月11日。埼玉県久喜市(旧鷲宮町)東大輪


写真2 東大輪区に暮らす大輪神社の氏子さんたちが境内でダイジャサマを手造り。2015年10月10日


写真3 ダイジャサマの眼となる柿、歯や爪となる赤唐辛子。ともに、東大輪区の氏子さんの畑から調達。2015年10月10日

人気ブログランキングへ ← Please click this green banner.
           ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。

 2015年10月10日、大輪神社のダイジャサマが造られ、鳥居に取り付けられた
 10月15日の秋祭りに奉納
 江戸の昔から氏子さんたちが手づくり
 材料-稲わら・柿・赤唐辛子-は氏子さんの田や畑から調達
 環境変化のなか、絆と心が、技が伝承された、伝承されるダイジャサマと秋祭り

 引用・参考文献等:弊ブログ2011年10月18日2012年10月18日11月13日2013年10月09日28日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする