私は、学生時代バレーボールをやってきて、その都度、いろいろなことを教えてもったのかもしれないがあまり教えられたという記憶にない。というよりも怒られて、怒鳴られて鍛えられたようにも思う。ただ、手首の使い方を教えてもらったことはよく覚えている。それから、トレーニング的なこともあまりせず、とにかく日々の練習メニューをやっていたように思う。練習にはあまり積極的ではなかった。しかし、うまくなりたいとずっと思っていた。そこで、いろいろな試合を見ながら、うまい人に注目して、その人の真似をしようとしたことは覚えている。だから、自分の感覚で身につけていったように思う。そのため、スポーツはある意味では感覚が大切だと思い込んでいた。今から思えばとんでもない思い込みだった。だから、指導も適当だったように思う。
それが、自然体バレーに出会ってからは、その考えを180度転換したつもりである。(まだ未熟な部分があるので)それからは、経験からくるものを排除して一からバレーボールを考えるようになったし、子どもの成長や発達、人体のメカニズムなど、科学的に考えるようになった。そして、一人でも多くの子どもがバレーボーを好きになってほしいと思っている。
先日の情熱大陸というテレビ番組で、楽天の田中将大投手が出ていた。取材の中で、野球の神様はいるかの問いにいると答えている。それは、野球以外の私生活でも神様は見ていると思うので、目の前にゴミが落ちていたら拾うと言っていた。また、具体的な目標はおかず、自分を超えることだと言っている。野村監督は「マー君、神の子、不思議な子」と呼んでいた。彼が投げると味方が点を取って勝ってしまうからだ。
草野塾頭は、著書の中で徳性を磨くことを書いている。日常生活の小さな善意が徳を積むことになる。田中投手のすごさは、こういった徳性を磨いていることにも関係しているような気がする。私も小さな善意を積みながら、子ども達に徳性について、人間性について伝えていきたいと思っている。日々努力、日々自分磨き。
それが、自然体バレーに出会ってからは、その考えを180度転換したつもりである。(まだ未熟な部分があるので)それからは、経験からくるものを排除して一からバレーボールを考えるようになったし、子どもの成長や発達、人体のメカニズムなど、科学的に考えるようになった。そして、一人でも多くの子どもがバレーボーを好きになってほしいと思っている。
先日の情熱大陸というテレビ番組で、楽天の田中将大投手が出ていた。取材の中で、野球の神様はいるかの問いにいると答えている。それは、野球以外の私生活でも神様は見ていると思うので、目の前にゴミが落ちていたら拾うと言っていた。また、具体的な目標はおかず、自分を超えることだと言っている。野村監督は「マー君、神の子、不思議な子」と呼んでいた。彼が投げると味方が点を取って勝ってしまうからだ。
草野塾頭は、著書の中で徳性を磨くことを書いている。日常生活の小さな善意が徳を積むことになる。田中投手のすごさは、こういった徳性を磨いていることにも関係しているような気がする。私も小さな善意を積みながら、子ども達に徳性について、人間性について伝えていきたいと思っている。日々努力、日々自分磨き。