どのようなすぐれたひとの話、またはすばらしい本を読むより、
あるいは、どの領域からのことばよりも、体感は饒舌だ。
体感にまさるものはない。
どのようなことば、どのような行為、どのような場所であれ、
すべては、ヒントにしかすぎない。
ここでのことも、読んで終わるだけのことだ。
だが、
会話を通じて、あなたへ流れ込むわたしとの対話は、
あなた自身を思い出す。
この思い出すことこそが、あなた自身への旅のはじまりと
終わりだ。
あとは、あなた自身の静寂を見出すのだ。
語りかけをきっかけに、光を体感する人がいる。
語りかけをきっかけに、閉ざした心が開く瞬間がある。
それを奇跡と呼ぼうとも、神秘と呼ぼうとも、
そのひとにとっては、帰還であり、帰宅なのだ。
自分自身を見失いたどる家路。
あたたかい声が出向かえる。
オカエリナサイ。
狭き門への旅は、まだ、はじまったばかり。
どなたさまも、ご無事で、たどり着けますように
門の入口におわす尊きお方が、今、この時も祈りをささげておられる。