天の意にそわぬものに 加護はない
これは、自分の言うとおりにしないものは守らない
と言うことではない。
天の意に介さないもの。
世界のことでもなんでも、起きている物事に対して、
自分には関係ない
と、無関心を決め込んでいる人は、それがそのひとの望みだから、
天の意も、無関心でいる。
ということだ。
この世界は、つながりあって、美しい調和の中に存在している。
けれども、時に不調和を奏でるものもいる。
気がきかないから、
気がまわらないから、
周囲に対して、無関心だから、
自分の音が外れていようと、リズムを崩していようと、
介さない。
好き勝手にふるまっている。好き勝手に、不協和音を
がなりたてている。
自分がそうしたいからと、不自然極まりない行動をしている。
自然とは、調和だ。美しい調和。
不自然な行動をしている時点で、不調和であり、
すでに、何かが、おかしくなっているのだが、
本人が無関心を決め込んでいるから、周囲のひとも、意に介さない。
そうして、つながりを断つ。つながりを拒む。
そうして、どんどん、孤独へとはいっていく。ひとりでいる世界。
それを望むひとに、おせっかいをしても、仕方ない。
ひとと関わりたくないというひとに、関わろうよと誘っても、
断られるだけだ。
だから、神さまは、おっしゃったのだ。
天の意それはあい。天ーあ 意ーい
愛は、調和にほかならない。
天意ー愛の在るところには、神さまのご加護が在る。