多かれ少なかれ、誰でも目にしたり耳にした情報を
選択している。
このやってくる情報というものは好む、好まざるに関わらず、
やってくる。
時に蝕む。
ひととの会話であれ、テレビやラジオ、インターネットからでも
一方的にそれは、やってくる。
それを好んで受け取るひとにはよくても、
受け取りたくないものには、時に、ひどい痛みをもたらす。
かつては、さとりをひらくには、山の修業より町の修業
と、思っていたが、
今の状況は、あまりにひどい。
感受性の高いものには、耐えられないこともある。
だからこそ、さらに自分の身は、自分で守る。
選択の結果、ありのままにして、流す。
とらわれずに流す。
それに対して、どう見られるだろうか、すら流す。
そうして、実は、今までの思考とは
いいわけだったと気がつく。
誰のためのー。
何のためのー。
ひととは関わるな そんな時間はない
と言われ続けた意味が、徐々に明らかになっていく。