師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

荒いフィルター 細かいフィルター

2010年08月21日 | 天意の実践

現在、三本のブログを運営しているが、ホームページとして新たに

立ち上げた『師匠の不思議な日常の仕事場へようこそ』で

更新している記事で、現在、

師匠が過去に書いた『フィルターレベル考』を少しずつ、

加筆して掲載し始めた。

数年前のものなので、現段階にあうように加筆している。

そうして、改めて”フィルターの精度”について考えている。

かつて、”みわさん”が、ご指導の神さまにお聞きした、

「才能とはなんですか?」

の問いに

「才能とは、すなおなこと」

とおっしゃられたそうだ。

その話を聞いて、師匠が”みわさん”に

「才能の”才”という文字(漢字)の元は、”神の器”

という意なのですよ。」

と、話していた。

”神の器”なればこそ、神さまから、師匠は、

巫女は純真無垢

と、伝えられている。

三次元的にはどのようなことがおきても、身辺には神の現れが

度々おこる。

そして、どのような状態でも、降神はおこる。

神託は告げられる。

すなおとは、物事の道理をわきまえ、礼節を重んじ、

宇宙の法則をちゃんと理解できていることだと

感じている。

かつて、スピリチュアルカウンセラーの方からのご依頼に

応じたとき、

その方から、師匠の対応は、仕事でお会いしたカウンセラー

の方たちとは全然違う、と驚かれたことがある。

なんら、驚くには及ばない。

神さまからお伝えされることは、とても、現実的で、

節度をわきまえて調和に根ざしているのだ。

師匠は品性の高さもまた、フィルターレベルを決定している、

という。

人間として、上品(じょうぼん)であることはとても、大事だと。

それこそが、謙虚である佇まいそのものだ。

相手がどうであれ、あたまを下げてお願いすべき時には、

相手にあたまを下げて、こころから、お願いをする。

それが、できるか否かは、人間の品格として、とても大きい。

逆にまだ、自分がの「我」が先走っているひとは、

フィルターレベルも、品性も連動して、低い。

フィルターレベルが低いということは、

フィルターの網(め)がとても荒いのだ。

だから、さまざまな障りが存在して、網を塞いでいる。

うまくいかないと、もがき苦しんでいる。

その障りを根気強くひとつ、ひとつ取り除く作業をしていかなければ、

苦しみは減らない。物事がうまくいくことさえ、危うい。

よりよい自分への道は、はるかに遠いのだ。

今のレベルはその程度だと、あきらめれば、そこどまりだ。

それすらも、自分で決めている。

生命には終わりはなく、旅はまだ、果てしなく遠い。

今、細かいフィルターレベルのひとたちも、かつては、そうだった。

そうして、こつこつと、積み重ねて、障りを取り除き、

自分の精度をあげるべく、淡々と歩んでこられたのだ。

これは、訓練だ。毎日はトレーニングなのだ。

そう、意識して過ごせば、明るい未来が、今の中に在る。

意識しないのは、自分を大事に取り扱えないということを

認識した方がいい。

自分を大事にできないと、周囲のひとからもそれが反映して、

大事にしてはもらえない。

自分が、自ら、自分が大事な存在だと気がつく。

これがレベルを上げるための、最初の一歩だ。

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