みずからを整えれば、そとはおのずと整う
トとのはぬは そとに整えを求めるからじゃ
自分という、内なる世界が整えられ、満ち足りたものであれば、
結果としての外の世界は、満ち足りたものとなる。
なぜ、外に求めてはいけないのか。
物事には、順番があり、内なる世界が入力場であり、
その結果としての外の世界が出力場となるのは
もちろんだが、それと、もう、ひとつ。
外をわるものとして、判断されかねないからだ。
結果が届かないのは、外の責任と、自分も思い、
これらを束ねる宇宙の広大なつながりが、そのように判断をし、
結果としての外の世界は、変わらないままなのだ。
まずは、自分を満ち足りたものとする。
静寂とは、満ち足りた思い。
しずけさの中に本来の自分を見出し、一致した在るべきものとなる。