さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

無事18日を超えて・・あとは待つばかり

2006年03月20日 14時10分09秒 | Web log
いまだ生まれておりません。
っていうか、予定日まで2週間はあるのでそれが普通であって、ただ、前回早かったのと、保険の適用の件でドキドキしていたのですが、18日を越えたのでもう大丈夫です。

心配してくれたみなさん、どうもありがとう。

こちらは朝晩涼しくなり、秋らしくなりましたが、まだ日中はちょっと暑いです。でも、トンボが飛んでる光景が見れたりしてそれは日本と同じ秋の光景のようです。

ところで昨日、教会へ行く途中のこと。

とぼとぼと歩くおじいさんを道端で発見。気の毒に・・と思いつつ、通りすぎるとおじいさんがこんな風に→親指を立ててヒッチハイクをしている様子。

わたしはヒッチハイカー以外の人がヒッチハイクをすることが頭の中で結びつかなくて、「ゆっくり歩いているから気をつけて通り過ぎてください」とでもサインを送っているのかなぁなんて思ったのですが、だんなが「助けを求めているようだ」というので、引き返して声をかけてみました。

すると、だんなが予想したとおり「バス停まで連れて行って欲しい」との申し出があり、乗せてあげました。

オーストラリアでは助け合いの光景がよく見られます。

助けを求めれば誰かが答えてくれるっていうのが当たり前のこととして意識の中にあるようです。

敢えて助けを求めなくても、助けが必要かも・・・と思われる人には、ためらうことなく周りの人が声をかけてくれます。わたしも何度か見知らぬ人に助けられました。

こういうおおらかさってとても素敵です。

日本でも助けてもらったことあるから、これはオーストラリアに限ったことではないのでしょうけれど・・・

日本では

助けが必要というときに「人に迷惑かけちゃいけない、申し訳ない」という思いがあって、なかなか素直に助けを求められなかったり・・・・

してもらった親切な行為にお金とか物でお返ししようと思ったり・・・・

お返しを期待して親切にしているわけでもないのに、ちょっとしたことに「お返し」の結果が伴って内心うんざりしたり・・・・

といういろんな思いが、いろんな場面で邪魔をします。

贈り物さえすればそこに気持ちがあろうとなかろうと「形式上」気持ちをあらわしたこととみなされるっていう習慣にどちらかというと反発していたほうで、あまり親しくもない人に冠婚葬祭だからといって何かするってことに抵抗していましたが、それでも「気持ち」を「物」で置き換えるという習慣がどっか染み着いているので、自分が受ける身になると「お返し」することを真っ先に考えてしまう、精神構造があるのは事実で・・・

常識のない人だと思われたくないとか・・・

もう、考えただけでもめんどくさい!!!!!!!!

そんな習慣が人間関係を窮屈にさせ、人を孤独にさせているような気がします。

自分も日本で生まれ育ったひとりとして、その一旦を担っているんですけれどね・・

出産を控えている今、いろんな人がいろいろと親切にしてくれて本当にうれしい限りで・・・食事を運んでくれたり、マイクが働いている日中、様子を見にきてくれたり、車をだしてくれたり、夜中に産気づいたらジョナサンの面倒を見てくれると申し出てくれる人がいたり・・・頼る身内がいないわたしにとっては、本当にありがたいのですが、逆に「迷惑をかけて申し訳ない」という思いもあって、元気になったら「お返しをしよう」なんて心のどこかで考えたりしているわたしなのでありました。相手はそんなこと求めていないってのはよくよくわかるのですが。

どうしようもない・・・っていうか、救いようがないですね

恩を感じるのは大切なことだと思うんだけれど、じゃ、どのように感謝の気持ちを表現するのが最善なのか・・・よくよく考えてみたいと思います。

署名

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