さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

何事も前向きに??

2010年02月16日 10時43分47秒 | Web log
新年度がはじまって、クラス名簿が発表されたときに
ジョナサンが複合クラス(一年生と二年生の混合)だと
わかってちょっとショックだったわたし。

というのは教室が一年生のブロックにあって、
二年生のブロックとは対角線上に全く反対の所に
位置しているので、他の2年生から孤立してしまうと
聞いたので。

校外活動もすべて一年生と一緒。

でも、まぁ、仕方がない。変えたければ校長に直談判。
でも、そこまでする意味があるとも思えない。
やってみなければ、時間がたってみなければ、それが
良いか悪いかは誰にも分からないしね。

で、先生はどうなんだろう・・・と思って年上の兄弟姉妹が
いるお母さんに話を聞くと、

Mrs○○ is very good. Very firm and has a good reputation
among parents.
(すごくいいのよ。しっかりしてて、親に評判がいいの。)

で、That class should be nice.

などというので、そうか・・と思っていたけど、実際どうかなぁ
と思っていたら、ジョナサン曰く「面白くもないし、勉強ばっかり
させるし、口うるさいし、厳しいし・・」ときた。

で、『いい先生だ』と言っていたお母さんに、先週ジョナサンが大泣きして
学校に行きたくないといったこと、先生のことが好きじゃないこと
などなど言ったら、「そうなのよねぇ、家の娘も大変だったのよ~」と言う。

時々思うのだけれど、こっちの人はとてもあまり否定的な意見を言わない。

例えば

「退屈なところ」→「静かで、ゆっくりのんびりしている」
「厳しい」→「しっかりしている、揺るがない」
「怠け者」→「こだわらない、ゆったりしている」

とまあ、こんな風に。

批判的にならないように言葉を選んでいるというのがわかる。

それはそれでいいことなんだと思う。

愚痴ってばかり、批判ばかりってのもなんだかなぁと思うから。

でも、ときどきその超前向きさ加減に辟易するときもある。
「それって建前なんでないの?」と思うときもある。

本心が伴わなっていないのが分かるときがあるから。

愚痴や批判は、度が過ぎれば聞いてて面白くもないけれど、
でも『この人本音で言ってるなぁ』というのが分かるし、
それなら聞いてあげようとも思う。

で、過ぎれば私の意見を言わせてもらう。

言っても通じないときもあるけれど。

ま、本心を言うのは限られた人で、親しくない人に本心を
見せるってのは弱みを見せるのと同じことなんでしょうから
わたしは本心を言う相手として選ばれていないだけの話なんだろう
とも思う。

で、残念だけれど、それはそれでいいと思うようにしている。
それは相手の領域だから、尊重しないとね。

それにネガティブな情報は伝播しやすいから、主観的な意見で
相手に悪影響を及ぼさないように、とまで考えて言ってくれている
のならば、逆にすごいことなのかもしれない。

でも、きれいごとで終わってしまうのって、最初っから相手に
されていないんだなって思うときがある。

距離を感じる。

その『距離感』は、こっちの人にとってはごく普通のことなのかもしれない。
だから卑屈になって距離を感じている必要もないのかもしれない。

距離のとり方が違うってだけだと思えばいいことなんだとも思う。

でも、違う文化からやってきたわたしのような人間にはどうもしっくり
こない感がある。

自分は・・・こてこてこってり日本人なんだなぁと思う瞬間なんである。

でも、同じくよそものであるマイクも同じ事を感じるらしい。
白人なのにね。「イギリスとは違うんだ・・・」という。

で、調子に乗ってあまり否定的なことを言わないように気をつけなければ
と思うんですけれど、昨日もパースはどう?って聞かれて
「退屈です」と言ってしまった。



あぁ、今日もくどく長いブログになってしまった。

反省。















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