さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

実習 10日目 隔絶された感情

2013年06月10日 17時26分21秒 | Web log
実習も残り一週間となりました。

6時には家を出ないと7時に始まる引継ぎに間に合わないので
4時半~5時には起きてお弁当をつくり、準備をして
出勤します。

6時間ちょいの睡眠時間は体にきますね~

先週の後半は、口内炎が出かかってひりひり痛かったのですが
週末たくさん寝たので、痛みも引けて快適です。

閉鎖病棟にKさんというかなり重度のうつ病の人がいます。
(アートセラピーで力強い絵を描いた患者さんです)

今朝病棟に行きましたが、どうもあまり状態がよくない感じ。

自傷の思いに取り憑かれていると言います。

先週の金曜日もそうでしたが.... 目が違うんですね。
目はしっかり開いていて、うつむいているわけでもないのですが
とにかく視線が合いません。こんな表現は大変失礼かと思いますが
死んだ魚の目という表現がしっくりきます。
目は開いている、けど視線が合わない。意思の動きのようなものが
まったく感じられないのです。

声は小さく、笑うことも、泣くことも、怒ることもない....

何を感じますか?何を考えていますか?
表現することはできますか?

と聞いても、答えることができません。

ただ、色んな思いが頭の中をぐるぐる回っているということ
そして、自傷の思いがあるということ。

それだけしか答えることができません。

感情や思考、思いが言語活動、表現活動からまったく切り離されています。

意識のレベルから葬られた思いや感情は、無意識の世界なのか
どうなのか良く分かりませんが、奥深くへと押し込められてしまい。
重く固い石で蓋をされ表面に出てくることができない、そんな感じです。

その重い蓋を取り除くことができるのは、一体誰なのでしょう。

その重い蓋を取り除きたいと果たして本人は思うのでしょうか?
奥深くへと押し込めたら感情や思いを表面化し、認識したいのでしょうか?

何よりも闇へと葬ったものを掘り出すことが彼女にとって果たして
いいことなのでしょうか?

向き合う以外に回復の方法はないと、第三者は簡単に思うかもしれない。
わたしも何とか彼女が思いや感情を表現してくれれば...と願いつつも
それは不可能かもしれない...とふと思うのです。

向き合うには辛すぎる。

だからこそ闇に葬ったのではないか....

彼女は今日もアートセラピーに参加しました。

大きな紙に大きく目を描き、そしてその目からは
一粒の大きな涙がこぼれていました。

それ以外、彼女は一体何を伝えることができるのでしょう。

そして彼女は.... 休むことなく自分の親指の皮をもう片方の手の爪で
ひっかき続けます。

痛くても、止めることができないのです。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>