さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

5日目 サピ島でシュノーケリング

2014年01月22日 22時50分45秒 | Web log
5日目...朝から空はどんよりと曇っていました。

んー、これじゃサピ島でのシュノーケリングは期待したほど楽しめないかも
しれないなぁと思いつつも、これ以上先延ばしにしても天気が良くなる保障もないので
とにかく行くことに。

ほぼ毎日、マイクやわたしが子どもたちにホテルのプールでシュノーケルの使い方を
教え、万全に備えました。

当日、ジェッセルトンジェッティに行くと、結構、混んでいてびっくり。
平日だから人が少ないのかと思ったら、マレーシアの祝日ということで
地元民も結構いたようです。

KKの沖合いにはガヤ島、サピ島、マヌカン島、マムティク島とあるのですが、
私が一度行ったことがあるからということで、サピ島に決定。

どれだけ魚が見えるかなぁと思いながら、11時半ごろ送迎ボートに乗り込みました。


島につくと、Jetty(桟橋)の下にうようよ魚が見えて、海が好きなジョナサンは
とても喜んでいました...が、実際は

とりあえず更衣室で着替え。そこも人が沢山で、わたしは早々に諦めて
マイクに手伝ってもらってタオルを巻いて外で着替え。
イスラム教が国教なので、不謹慎なのかもしれませんが、待ってられない。
待ってたら日が暮れる...

で、早速シュノーケリング開始!と思いきや。

ジョナサン、シュノーケリング拒否。

一度オーストラリアでくらげで酷い目にあってからくらげ恐怖症のように
なったのですが、「くらげに注意」の看板をみて「くらげがいるなら入らない」と
言い張りました。

どんなに言っても、頑なに拒否。

マイク、激怒。

それを見たベンジャミン、自分も拒否すると雷が落ちると思ったのか、ほぼ初めてにも
関わらず、シュノーケリングマスクをつけてマイクとともに深いところへ。

徐々に慣らしていけばいいものを...

で、かなり深いところまで行きまして、だいじょうぶかぁ????と思いながら
しばらくして必死になって帰ってきて、それからは「もう僕の義務は果たしたもんね!」
という表情で、海で泳ぐのはいいけど、シュノーケリングはしない、と一言。



一方、頑なに拒んでいたジョナサンに「気持ちが落ち着くまでとにかく、浜にいなさい。
本人が「やろう」という気持ちにならなければ、誰も無理強いはできないからね。」
と言ってほっといて、わたしとマイクはそれぞれにシュノーケリング。

でも、子どもたちをほったらかしにするわけにもいかず。

最初にシュノーケリングしたところは、思いのほか魚が見えなかったので、これじゃ、
ジョナサンをおびき寄せるにはちょっとインパクトが足りないなと思いまして
他のところに移動することを提案。

そこには沢山の魚が浜辺の近くですらうようよと泳いでいました。

なんで??と思ったら、中国人の観光客が餌付けしてました。

で、ベンジャミンを誘って、魚を見せましたが、生きた魚に囲まれるのが変な感じなのか、
気持ち悪いと言って砂場で遊んでました。

ジョナサンは、浜の近くで沢山の魚を見て好奇心がふくらんできたのか、しばらくして
マイクと一緒にシュノーケリングし始めました。(戦略勝ち)

ベンジャミンにはおとなしく浜で遊んでてもらって、しばらくマイク、ジョナサン、私で
珊瑚を目安に魚を探して泳ぎまわりました。太陽の光に助けられて、ちょっと日が差してきた時間は
比較的見えましたけど....天気に左右されますね。

詳しい魚の名前は分かりませんが、クラウンフィッシュ、エンゼルフィッシュ、スナッパー
虹色の魚などなど、本当に沢山の魚がいました。珊瑚の辺りには、やっぱり魚がいますね。
でもかなり破壊されていましたね。泳ぎに来た人が踏み潰しちゃったのでしょう。

3時間という約束でタクシーの運転手さんをJettyに待たせておいたので、2時には離島。
泳いでいると結構時間が経つのはあっという間です。

もっと長くいたかった....と思いながらも、ちょうと雲行きが怪しくなってきたので
タイミング的にはよかったのかもしれません。ジョナサンは、最後になって
「 もうちょっと泳ぎたい 」と言ってましたが、またの機会ということで。

Jettyからは、20分間隔くらいでボートがでるのですが、運転手さんが他の島からきた
ボートと競争し始めて、スピードを上げ始めました。波が結構あったので、大きな波の
後にドスンと落ちるんですね。で、何度も「ドスン、ドスン」と落とされるので、
おしりがかなり痛くなりました。

ボートのおじさん、ニヤニヤしてましたけれど....笑い事じゃ、ないよ。

4日目 ガイドさんのお話

2014年01月22日 09時00分34秒 | Web log
バードウォッチングの続きです。

バードウォッチングをしながら同行者のイギリス人エリザベスと
ガイドのエドさんとおしゃべり。

わたしはどちらかというとお話を聞くのが好きなのでお二人のお話に
耳を傾けました。

ガイドのEdさんはキナバル山麓出身のドゥスン族
11人兄弟で4年前にお父さんを亡くし、月に数回帰っては小さい弟妹たちの
父親代わりとして面倒を見ているとか。貧しい家庭に育ち、12歳のときから
ポーターとしてキナバル山にくる外国人相手の荷物運びの仕事をしていたらしいです。
そこで沢山の外国人に出会い、耳で英語を覚え習得。加えて山で育ったので野山の
動植物の知識が豊富。そして運よくシャングリラでの仕事をみつけ、働くように
なったとか。

小さい弟妹たちに一生懸命勉強してもらって、いい仕事につけるように助けたい。
亡くなった父親に代わって、お母さんを助けたい。
お母さんには一生懸命働くこと、どんなに貧しくても人に物乞いするようなことを
してはいけないと育った。小さいときからココナツの木に登って毎週日曜日
教会帰りの人たちにココナツの実を売って家計を助けていた。ココナツの実を
とるのも大変だけれど、重くて運ぶのも大変だったけれど、それがポーターの
仕事に役立ったとか。

ポーターの仕事をしていたときは、毎日決まった場所に行って、登山客がいれば
その荷物を運ぶ仕事をする。とにかく毎日行って、自分の名前が呼ばれるのを待つ
だけだった。仕事があるかどうかは、保障されていない。ただ行って待つ。
仕事がもらえればラッキーという日々だったと。本当に苦労したんですね。

でもニコニコと愛嬌よく前向きに生きる姿はとても好感が持てます。

勤勉な28歳。一度もボルネオ島を出たことはないけれど、一生懸命働いて、
お金を貯めて、飛行機に乗って外国に行くのが夢だそうです。

ボルネオの中心地はかなりにぎやかで開発も進んでおりますが、富と貧しさが
混在しているようなところです。

水上集落にすみ漁業を営むバジャウ族はお家も粗末で、見るからに貧しそうですし、
子どもには義務教育をうけさせず、親が漁師としてのスキルを子どもたちに教えて、
それで十分という人が多いそうで、漁師としての古くからの生活スタイル、方法を
頑なに守り、変化を拒む人が多いとか。

水上集落は環境汚染にも繋がるということで、政府は陸上の集落を無償提供して移動を
促進するように働きかけているようですけど。一部の若い人の中には新しい生活様式に
溶け込もうとしている人たちもいるらしいですけれど。

キナバル山麓は低地に比べると涼しく作物が育ちやすいということで農民が多いらしい
ですが、ドゥスン族の人たちもEdさんがそうしたように、山から降りてよりよい仕事を
求めて都市部で生活する人も増えていくのではないかと思うわけです。

これから大きく変化していくことでしょう。

10年後、20年後 コタキナバルがどのように変わっていくのか、人々の生活は
どのようになっていくのか....興味深いところです。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>