先日、ラッド首相が「忘れられたオーストラリア人」と
呼ばれる50万人に上る移民孤児に正式に謝罪した。
忘れられたオーストラリア人とは、1930~70年代にかけて、
国内、英国の養護施設、孤児院から連れてこられた子供たちで、
これは、オーストラリア移民を増やそうとするイギリスの『国策』
の一つであった。そして親に捨てられるという不遇な運命を背負わされた
彼らをオーストラリアで待ち受けていたものは、更なる仕打ち
(強制労働、肉体的、精神的、性的虐待)だったのである。
1970年代なんて、つい最近のこと。
アメリカでは、1865年に南北戦争の終わりと共に
リンカーンの奴隷開放宣言により、奴隷制度は廃止された
けれども、1970年まで、大半の黒人にとって、
選挙権はあるが投票権はない状態だったようだし、
1950年~1960年代に起こった公民権運動やキング
牧師が行った有名な演説 I have a dream だって
1963年、わたしが生まれるわずか5年前の話だ。
はるか昔の歴史上の出来事と思っていたことも、
実際は、わずか40~50年前の出来事だと思うと、
愕然とする。
普通では信じられないこういうことが社会的に認められ、
平然とやっていた人がいたのだ、しかも多数。
そして今も。
「差別はどこにでもある」と、友人が言った。
例えば、中国に中華思想という言葉があるように、
漢民族が世界で一番優秀で世界の中心だと言っていた
(言っている?)。
そうだからか、中国系の人は国際結婚に対して否定的で
あることが多い。
ジョナサンの友達のお母さん(わたしより若い)も、娘の
結婚相手に白人は考えられないと言っている。
その人に限らず、アジア人から白人に対するネガティブな
コメントをよく聞く。
白人の優越思想、優越主義は、言うに及ばない。
日本にだって、ある。
わたしの中にも。
例えば、マイクと同じ性格、似たような顔、形の
有色系の男性(日本人を含め)がいたとする。
で、イギリス出身でコーカソイドに属するマイク。
この2人から求婚されて、どちらを選ぶか。
・・・・白人のマイクだろうな。
見かけで選んだわけではないと言いたいところだけれど、
結果、選択・判断の基準として、肌の色とか、髪、眼の色、
職業、家柄、学歴、社会的地位などの外的条件にある程度
左右されたりするわけでして。
程度の差こそあれ、差別は現存するし、残念だけれども
きっと無くならない。
残念ながら。
そんな社会を憂う、自分にも多かれ少なかれ、そういう
外的条件で相手を自分より上と思うようなコンプレックス
があったり、劣っているかのように思ったり、決めつけたり
する部分があるということを認めざるを得ない。
呼ばれる50万人に上る移民孤児に正式に謝罪した。
忘れられたオーストラリア人とは、1930~70年代にかけて、
国内、英国の養護施設、孤児院から連れてこられた子供たちで、
これは、オーストラリア移民を増やそうとするイギリスの『国策』
の一つであった。そして親に捨てられるという不遇な運命を背負わされた
彼らをオーストラリアで待ち受けていたものは、更なる仕打ち
(強制労働、肉体的、精神的、性的虐待)だったのである。
1970年代なんて、つい最近のこと。
アメリカでは、1865年に南北戦争の終わりと共に
リンカーンの奴隷開放宣言により、奴隷制度は廃止された
けれども、1970年まで、大半の黒人にとって、
選挙権はあるが投票権はない状態だったようだし、
1950年~1960年代に起こった公民権運動やキング
牧師が行った有名な演説 I have a dream だって
1963年、わたしが生まれるわずか5年前の話だ。
はるか昔の歴史上の出来事と思っていたことも、
実際は、わずか40~50年前の出来事だと思うと、
愕然とする。
普通では信じられないこういうことが社会的に認められ、
平然とやっていた人がいたのだ、しかも多数。
そして今も。
「差別はどこにでもある」と、友人が言った。
例えば、中国に中華思想という言葉があるように、
漢民族が世界で一番優秀で世界の中心だと言っていた
(言っている?)。
そうだからか、中国系の人は国際結婚に対して否定的で
あることが多い。
ジョナサンの友達のお母さん(わたしより若い)も、娘の
結婚相手に白人は考えられないと言っている。
その人に限らず、アジア人から白人に対するネガティブな
コメントをよく聞く。
白人の優越思想、優越主義は、言うに及ばない。
日本にだって、ある。
わたしの中にも。
例えば、マイクと同じ性格、似たような顔、形の
有色系の男性(日本人を含め)がいたとする。
で、イギリス出身でコーカソイドに属するマイク。
この2人から求婚されて、どちらを選ぶか。
・・・・白人のマイクだろうな。
見かけで選んだわけではないと言いたいところだけれど、
結果、選択・判断の基準として、肌の色とか、髪、眼の色、
職業、家柄、学歴、社会的地位などの外的条件にある程度
左右されたりするわけでして。
程度の差こそあれ、差別は現存するし、残念だけれども
きっと無くならない。
残念ながら。
そんな社会を憂う、自分にも多かれ少なかれ、そういう
外的条件で相手を自分より上と思うようなコンプレックス
があったり、劣っているかのように思ったり、決めつけたり
する部分があるということを認めざるを得ない。