さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

移り変わりいく時に 人生を重ね合わせる

2012年02月03日 09時49分14秒 | Web log
水曜日から学校が始まりました。

先週末から月曜日にかけて、Busseltonに出かけていて、火曜日にあたふたと新学期の準備をしました。

とくに感慨深いのはベンジャミンが小学校1年生になったこと。

日本だったら年長なんですが、こちらでは 1年生。

日本では 幼稚園の卒業式と小学校の入学式は 親にとっての大イベントだと思うんですよ。
感慨深い節目のような。でもって、そういう演出にもっていくでしょうから、
多くの親は 号泣 でしょう。わたしも日本にいたら、きっとそうだったに違いない。

でも、オーストラリアには、そういうのが全くないので ちょっと拍子抜けしちゃいます。

さて

日本には 時の流れとか、季節の移り変わりのようなものを無機質なこととしてやり過ごしてしまうのではなく
情緒的に受け取るような、そんな傾向があるような気がします。

人生と自然の事象を重ね合わせているような。

例を挙げれるとすれば、花見。

満開の桜を楽しみ、そして散り行く桜に美しさと哀切をまた感じ、楽しむ。

そこに 生き死にという誰にでも訪れる人生のサイクルをどこかで重ね合わせているような。


3月、4月に卒業式、入学式があるのも とってもシンボリックです。


自然や時の移り変わりであれ、人生の節目であれ、人の生き死にであれ、

全ての事象は 『 始まり そして いつか終わる 』という事実を

無意識かあるいは意識的にかは 人それぞれでしょうが 

愛おしく、そして切なく 受け止める。

自分も同じサイクルの中で生き、そして終わりを迎えることを重ね合わせながら。

そして 始まりと終わりを「儀式」のなかで再確認する。

そんな気がするんだなぁ。

ま、私の勝手な妄想でしかないですけどね。

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