本職? 人間だ。
予感
雪の女神
痛ましき腕
風雅のブリキ缶
こどもの樹
森の掟
青空
天に舞う
動物
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末に帰省する際、毎年変わる壁に掛けられている母の俳句を楽しみにしている。
今年の俳句
鯛焼きや 孫仲良しの 友の事
冬のある日、鯛焼きを食べながら、孫の友達の話を楽しそうに聞いている母。微笑ましい日常を詠んだ句だ。
亡き父の 成都の話 黄砂ふる
もう80を越えた母の父は昔仕事で成都に赴任したことがある。中国南西部に位置する成都は黄砂が舞い散る。母は毎年黄砂の時期になると父が話してくれた成都の話を思い出すそうだ。
黄砂は春の季語。
上野の森美術館へ『ゴッホ展』を見てきた。
20分ほど並び、館内へと入るが、中も人が多く、絵を真ん前で見るにはかなりの時間を要した。絵の鑑賞というより、他人の後頭部の堪能する時間の方がはるかに多い。
有名な絵はなかったが、時系列順にゴッホの作品や彼に影響を与えた画家の作品も展示されてあり、ゴッホの作風が変わる様子が分かりやすく展示されてあった。
ファン・ゴッホは、1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれた。
ゴッホが生きている間、彼の絵はほとんど売れなかった。どうやってその間生活したのか?それは、画廊に勤める弟のテオが自らの給料の半分をゴッホに仕送りしていたからである。その代わりテオはゴッホの絵の権利を独占する契約を結んでいたのである。
展示会では、初期のハーグ派の影響を受けた暗い作風から、農民画家を目指す過程をえて、印象派に学び、明るい作風へとタッチが変わる様子が見て取れる。そして、やがて彼独自の作風を確立していく。
1890年、自らの人生を自らの手で終わらせている。
ゴッホは天才と呼ぶにはあまりにも紆余曲折が長かった画家ではなかったかと思う。新しいものを生み出すには、相応の努力と苦しみを引き換えにしなければならない。ゴッホの絵を見ながらそんなことを感じた。
上野の東京国立博物館へ『正倉院の世界』を見に行ってきた。
奈良では毎年『正倉院展』が開催されているが、東京で開催されるのは38年ぶり。正倉院に収められていた宝物の代表作が公開されている。
奈良、東大寺の横にある正倉院には9000点にものぼる文化財が収められている。そのうち国内で製造されたものは9割。1300年もの時を超えて文化財を現在に伝えているのである。
校倉作りと呼ばれる正倉院の建物は三角形の切り口の角材を横にしていくつも重ねて作られている。晴れた日には角材の間にわずかな隙間が生まれ、風通しをよくし、雨の日は角材が膨張して隙間を塞ぎ、湿気をシャットアウトする。保存技術の粋を集めたタイムカプセルのような巨大な防湿庫である。現在は昭和に建てられた防湿を完備した近代的な建物に文化財を移している。
展示会では正倉院実物大の部分模型が展示されていた。 床まで3メートルくらい、かなり大きな建築物だ。
今回の展示会の目玉は『螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ)』
世界でも現存する五弦琵琶は正倉院に残されたものだけだそうだ。(写真は絵葉書)
この度、8年をかけて復元された『螺鈿紫檀五弦琵琶』も同時に展示されていた。実際に演奏された音を録音したものが会場で流されていてとても美しい音色である。明治にも一度復元されたことがあり、そちらも展示されており、撮影がOKだった。
大仏を建立した聖武天皇と光明皇后の思い出の品の一つ、平螺鈿背八角鏡(絵葉書)
銀薫炉(絵葉書)
紺牙撥鏤碁子(絵葉書)
螺鈿紫檀阮咸(明治に復元されたもの)
飯能、宮沢湖畔の約半分の周遊道がチームラボにより光と音のアート空間に変えられている。発光する球形や卵型の物体に人が触れると、触れた物体も、周りの物体も色を変える。
チームラボは2001年から活動しているアート、サイエンス、テクノロジーを自然と融合させるアート集団。
12月から3月3日まで行われている、このイベントは幻想的で、非日常を体感できる不思議な空間が演出されている。