まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

東京ラブストーリー

2016-01-30 23:49:14 | 書評

1989年にビッグコミックスピリッツで連載が始まった紫門ふみのコミックである。柴門ふみは好きな作家の一人だ。
当時スピリッツは毎週(もしかしたらこの頃はまだ隔週だったかもしれない)買って読んでいた。
主人公の永尾完治の同僚赤名リカの自由奔放さは今までのコミックで描かれたことのない新鮮なものだった。
当時としては驚くようなセリフ「カンチ、セックスしよう!」は今でも印象的だ。
1991年には織田裕二、鈴木保奈美でドラマ化された。いわゆるトレンディードラマの走りとなった作品である。

25年ぶりに読み切りの続編が掲載された。
ずいぶんと久しぶりにスピリッツを購入した。
改めて前作を読みたいと思ったが、当時購入した全3巻は処分してしまい、手元にはない。

スピリッツに25年前の『東京ラブストーリー』のストーリーが掲載されていたのでそのまま転載する。

愛媛から上京して市場調査会社に就職した永尾完治(カンチ)と、同僚となったアフリカ育ちの自由奔放な赤名リカ。
なぜかリカになつかれるカンチだが、高校時代の初恋の人で、幼稚園に勤める関口さとみと再会。
同じくさとみに惹かれる幼なじみの医大生・三上健一も加わり、20代前半の初々しくも、もどかしい恋愛模様が、きらびやかな東京を舞台に繰り広げられる。
そして最終的には、リカはある男性との子供を身ごもり、カンチは彼女と別れて、さとみとの人生を選ぶ。

そして25年後、カンチの娘が結婚したいと言い出した相手は赤名リカの息子だった。

物語の最後、リカの回想。
幼い息子を前に涙しながらつぶやく言葉が切ない…

 


オーガニックレストラン

2016-01-23 23:05:55 | 食べ物

以前に書いた食の駅所沢に併設されたオーガニックレストラン『彩の菜宴』
バイキングスタイルのレストランで、地元の旬の食材を使用している。
90分の時間制限はあるが、食べ放題が嬉しい。
新鮮野菜のサラダはもちろん野菜のお料理が充実している。

野菜のてんぷらに菜の花のお浸し、手作り豆腐…
パスタにグラタン、炒飯に焼売、春巻きも…
鳥の竜田揚げやレンコンのはさみ揚げ…
松茸ご飯に雑穀米、タコライスも。
和洋中がバランスよく食べられる。

とっても美味しかったです。


三回忌

2016-01-17 22:59:07 | 日記

二年目なのに何故三回忌というのか?
それは葬式を一回目と数えるから。最近知りました。
一年目が一周忌なので少し紛らわしい。
今日義母の命日がちょうど休日で三回忌の法事が行われたことは幸いだった。
去年の一周忌は前日でした。
今日午前中は陽が射して暖かかったけど、午後からは曇り空で寒くなる。
墓の前の読経で体が冷えて少し辛い。
墓には義母と義父が眠る。

義父は義母より21年前も前に病で他界した。義父は2月10日が命日である。
妻と結婚する前だ。
その後一年足らずで娘は結婚し、義母は一人ぼっちになってしまった。
義母が他界するまでの5年間は同居していたが、それまでの間寂しい思いをしたと思う。
今は義父とあの世で楽しく遊んでいるだろうか。

義母の命日は阪神大震災のあった日でもある。
6000人以上の犠牲者の命日でもある。

合掌


ある意味心に残るすごい名言

2016-01-09 23:20:12 | 映画

映画『バブルへGO』

泡洗濯機の開発中に偶然出来た洗濯機型タイムマシンに乗り、過去で行方不明になった母を探すために広末涼子演じる主人公が過去へタイムスリップするという大して内容のない痛快なだけの時間つぶしにはうってつけの作品である。
2006年のホイチョイプロ作品。バブルを知らない主人公がバブル絶頂期の1990年にタイムスリップしたときのカルチャーショックが笑える。
しかし、この映画の中には心に残って仕方がない秀逸な名言が登場する。
阿部寛演じる大蔵省の官僚がガールフレンドとのデートをすっぽかした時にガールフレンドにいい放つ言葉。

「約束はしたが、守るとは言ってない」

その後の人間関係を一切顧みない究極のその場しのぎの言い訳である。
想像を絶する発言に言い返す言葉が思い浮かばず、絶句以外のリアクションを無くしてしまう。言葉の意味すら根底から覆すような使用方法である。

もちろん、こんな名言を使う勇気はない。


母子草

2016-01-03 23:59:27 | 芸術

母子草

余生に出来る

ことを問う

帰省したとき実家に掛けてあった色紙に書かれた母の句である。
母子草はごぎょうとも呼ばれる春の七草にのひとつであり、茎葉の若いものを食用にする。
80を越えた母が母子草を見ながらふと考えたのだろう。
草木を見ながら、そんなことが頭をよぎることに年齢ゆえの感受性があるのかもしれないなと思う。
足腰も弱り、若い頃より記憶力も衰えているだろう。
残された時間も若い頃に比べると短く、できることは限られていると考えてしまう。
そんな中でも何かをしたい、残したい。
歳を重ねてもなお前向きに生きようとする気持ちが読み取れる。

でも、それは80を越えた年齢の人だけはでなく、50を過ぎた自分自身にも問いかけなければならない課題のように思う。
体力も記憶力も若い頃には及ばないが、今だからこそできることもあるのではないだろうか。
今の母の歳まで生きるとして残りの人生およそ30年
何かを成し遂げられるか成し遂げられないか。
若い頃も今も未熟者ではある。
未熟者であるという己を知ったのはあるいは年の功かもしれない。

余生に出来ること、出来ないこと。
それを考える作業は自分自身を見つめるということになるはずである。