まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

教習所

2015-01-25 22:28:21 | 日記

受験のない息子は、推薦も決まり、授業も少ない。部活もない。

学校から課題は出されているけど時間はたくさんあるので先週から教習所に通っている。

春休みになると、混雑が予想されるので、空いている今のうちに。

 

もう30年以上前、僕が教習所に通ったのは大学のとき。

春休みで帰省したとき、実家の浜松の教習所に通い始めた。

ところが、春休み中はゲキ混み。途中、旅行に行ったりもしたので、春休み中に教習を終えることができなかった。

試験は住民票のあった東京でしか受けられないので、免許は東京でしか取れなかったが、実技が全然進まなかった。教習時間をかなりオーバーしてしまったということもあるけど。

春休みが終わり大学の授業が始まるので、教習が終わらないまま東京へ戻らなければならない。教習が途中のまま夏休みまで待つのもどうかと思う。

仕方がなく、浜松の教習所から東京の教習所へ転校の手続きをとった。

あまり、教習所を転校した人はいないと思う。

 

教習所に通っていた頃、周りでいろんな話を聞いた。

教習中にウインカーを折って学校から2万円も取られた人

教習の最初の日、生徒は助手席に乗って教官が運転して場内を一周するとき、助手席にある補助ブレーキを踏んでしまい、車がガックンと停止させて教官に怒られた人

曲がるときに大回りして壁に教習所内で車を擦った人

何時間も教習をオーバーして、結局免許を断念した人

何故か毎回肘でロックをしてしまい、毎回教官に注意される人

 

75歳以上は高齢者講習を教習所で受けないと免許の更新ができなくなった。

少子化で教習生が減る一方の現在、このシステムは教習所にとっては天の恵みのような事なのだそうだ。


1月17日の命日

2015-01-17 18:53:13 | 日記

今日1月17日は義母の命日

この日は20年前、阪神大震災のあった日である。

震災で亡くなられた6000人以上の方々の命日でもある。

 

20年前、母方の伯父が神戸に住んでいた。伯父のマンションがあったのは長田区だったので、被害が大きかった地域である。

浜松に住む母は、朝から何度も伯父に電話をかけた。なかなか繋がらず、やっと連絡が取れたのは夕方の4時頃だった。

幸い伯父の家族に怪我はなかった。

でも、家具の被害はひどく、テレビなどは壊れてしまったそうである。

 

当時、スマホなどはなく、仕事中は当然テレビは観られない。僕が被害の大きさを知ったのは夕刊紙である。駅の売店にある新聞の写真で高速道路が倒れている写真が目に止まり、被害の尋常ならざることを知った。

驚天動地の出来事だった。

当時、親戚は神戸の他には川西市にもあったが、その親戚の家族にも怪我はなかった。

帰宅してテレビを付けると、番組は震災一色だ。

驚いたのは、出身の伊丹市の阪急伊丹駅近くの鉄道の高架橋が橋桁から外れて崩れてしまっていたことだ。

伊丹に住んでいた頃は何度となく利用した駅である。

実家に電話をすると、すでに母は伊丹の知り合いにも電話をしており、みんな被害はなかったということだった。

 

それまで大きな地震というと関東大震災が知識としてあるだけで、僕が生きている間に大震災が起こるなどとは考えなかった。

このあと、防災ということを身近に考えるようになった。

すぐに忘れてしまったけど…

 

それから19年後の同じ日に義母が息を引き取った。

明日は一周忌の法要を行う。


栄枯盛衰

2015-01-10 20:21:31 | コラム

ダイエーは親会社のイオンの完全子会社となり、昨年12月26日付けで上場廃止となった。

2018年頃には『ダイエー』の屋号も完全になくなるという。

かつて、ダイエーは小売業の頂上を極めたこともある。

1957年、中内功が神戸で創業した。一貫して価格破壊をスローガンとして拡大路線を進めてきた。1972年、三越を抜き、小売業のトップの座につく。一次期はグループ会社が300社もあった。

コンビニのローソンやビッグ・エーを展開し、リクルートも一時期ダイエーの傘下にあった。

南海ホークスを取得し、福岡にドーム球場を建設する。

スーパー内で初めてDPEを始めたのもダイエーである。プリントした写真を受け取りに再度来店することを狙ったと言われている。

スーパーでオリジナル雑誌オレンジページを創刊したのもダイエーである。ダイエーで売られている食材を使った料理を提案し、雑誌の売り上げと食材の売り上げの相乗効果を生み出した。

今では珍しくない元旦から営業を始めたのもダイエーである。

 

バブルの頃、出店のために土地を取得する際、わざわざ出店面積より広い土地を取得した。

やがてダイエーが出店することで周辺の土地が値上がりする。すかさず出店に必要な土地以外の周辺の土地を売り、次の出店のための土地購入の資金の一部とした。

自ら店舗を作ることで土地の値上がりを誘引し、その値上がり分でさらに店舗を増やす、まさにバブルの拡大方法だった。

やがてバブルが崩壊し、土地の値段が暴落し、拡大路線にほころびが見え始めることとなる。

丸紅の傘下をえて、ライバル会社のイオンの傘下に入る。

 

所沢にもダイエーがある。

所沢の繁華街では随一の店舗面積を誇る。

かつて、ダイエー所沢店は地元の球団であるライオンズを応援していた。南海ホークスがダイエーホークスとなってからもしばらく、ダイエー所沢店はライオンズを応援した。店内にあったライオンズグッズを売るコーナーもしばらくは続けられたそうである。

やがてライオンズコーナーは無くなり、恐らく本社の意向だと思われるが、ライオンズではなくホークスを応援するようになる。

ホークスがダイエーに取得されてから最も複雑だったのがダイエー所沢店だったと思う。

僕はこの店が好きである。所沢に住み始めてから、ずっと利用してきた。

店はなくならないのだろうが、ダイエーでなくなることは寂しいことである。

 

今、イオンの勢いは凄い。

車で少し行ったところに、かつてはサティやカルフールといった大きなスーパーがあったが、今では両方イオンになってしまった。次はダイエーもイオンになるのだろう。

どこへ行ってもイオンばかりでは面白くない。

もっと多様な店舗がしのぎを削ってほしいと思う。


新しい年

2015-01-04 16:41:36 | 日記

今年も何とか無事に新年を迎えることができた。

新しい年を迎えられた全てのことに感謝。

また、来年もこうして新年が迎えられれば、あまり多くは望まない。

 

去年の30日から久しぶりに家族3人で浜松に帰省し、年末年始は実家で迎えた。

ちょうど、そのタイミングで風邪をひいてしまい、少し具合が悪かったけど、食欲はちゃんとあったので、実家で振舞われるご馳走は堪能した。

喪中であるため、初詣は行かなかったが、上の妹家族も合流して賑やかな年末年始。

一番下の妹は年末も三賀日も仕事、ちょっと気の毒である。

職場は老人ホームで料理を担当している。盆も正月も人間食べることはやめられないので仕方がないことではあるが。

独身者はそういう時のシフトを頼まれることが多いという。

 

写真は年末に同じマンションの方からいただいた巨大柿と正月に上の妹夫婦からいただいた巨大梨