まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

狭山市と入間市

2021-10-24 22:18:51 | 雑学

何故入間基地は狭山市にあり、狭山茶の一番の産地が入間市なのか?
(狭山茶の産地は入間市がトップで所沢、狭山と続く)
因みに狭山丘陵、狭山湖は所沢市。
この辺りの地名の経緯はやや複雑である。

入間市は元々狭山村
狭山市は元入間川村

東京の瑞穂村(のち瑞穂町)の横田基地が拡張されることになった。
そのため瑞穂村は面積が少なくなる。

そこで東京都は瑞穂村に隣接する埼玉県の狭山村を

「よこせ」

と言ってきた。狭山村を瑞穂村にくっつけて、瑞穂村の面積を確保するためである。

何とも横暴な話ではある。

埼玉県としては狭山茶が有名なブランド名である狭山の名前が無くなることはまずいと考えた。そこで狭山村の隣りにある入間川村を狭山村(のち狭山市)と変更した。

結局瑞穂村に編入されたのは狭山村の1/3ほど、後に埼玉県に残された狭山村はすでに別の狭山市が誕生する予定だったため、狭山村を入間村(のち入間市)に変更したのです。


各家庭、地方、国による文化の違い

2019-03-30 20:56:11 | 雑学

ラジオで面白いネタを放送していたので紹介します。

・「え! すき焼きって豚肉じゃないの?」

・カルピスは水ではなく牛乳で割るものだと思っていた。

・ロンドンでは持っていても傘を差す人はほとんどなく、みんな濡れても平気。

・お墓に納骨する際、普通は骨壺ごと入れるが、新潟では骨壺の中の骨を出して納骨する。前の人と骨は混ざり合う。

・最近、小学校の学芸会の演劇で「オーケーグーグル」というシーンが出てきて驚いた。

・茨城では、一つ一つ包装された和菓子を中を出さないまま包装されたまま箸で取り分ける。

・北欧では、夜、お茶やお酒ではなくホットチョコレートを店に飲みに行く文化がある。

・飛行機が遅れたとき、日本では遅れたことを丁重に謝るだけだが、米国では、機長が「みんな急いで乗り込んでくれ」とアナウンスし、その後、「普通は1時間かかるが、今回は20分で搭乗が完了した。みんなありがとう!」などと話す。乗客は拍手喝采する。日本とは文化が違う。

・たいがい、海外では15分遅れ位がちょうどいい。時間通りに行くと一人ポツンと待つことになる。

・群馬県伊勢崎のある地区では、家を新築すると近所の人、主にお年寄りや子供たちに、最初にお風呂に入ってもらう習慣がある。

・上海では時間に厳密になってきていて、地下鉄も時間にぴったり。次の電車が来る残りの時間を秒単位で表示される。

・僕の実家では炒飯にソースをかけて食べていた。

・同じく僕の実家ではイチゴに塩をかけて食べていた。


百貨店仕様

2018-02-10 23:33:51 | 雑学

百貨店仕様という言葉を聞いたことがおありだろうか。
学生時代だから30年以上前、とあるデパートで短期のアルバイトをしたことがあり、その時に聞いた話。
百貨店は定価販売が原則である。他の量販店やスーパーへ行けば同じ製品でも安く買うことができるが、デパートは定価。当然、客はそれでは損だと考える。
ところが、デパートで売られているモノには同じ商品でも『百貨店仕様』という安売り店よりスペックを上げた商品が存在するのだ。
僕が説明されたのは洗濯用の洗剤、当時は粉の洗剤だったが、ギフト用などに売られている商品は量販店やスーパーより値段が高いが、汚れはよく落ちる。品質が全く違うのである。デパートで売っている洗剤は高い品質だが、量販店やスーパーで売られている商品は安く売るために品質を落し、原価を下げているのだという。
一番汚れが落ちるのがデパートで売られている『百貨店仕様』の商品、その次がスーパーなどで安く売られている商品、汚れ落ちが一番悪いのが新聞の拡張員などが無料で配る洗剤、増量剤を入れてコストを下げているそうである。
商品を詰めてデパートに納品されたダンボールにはちゃんと『百貨店仕様』と書かれてあった。
その時は他にどんな商品に『百貨店仕様』があるのかは聞かなかったが、定価で売られている商品にはそれなりの理由があるのだなと思った。
今でも『百貨店仕様』があるのかどうかは分からない。あるいは無くなったかもしれない。ネットで検索しても出てこない。
だが、デパートで買ったものは値段が高いが長持ちするという印象はある。


人間は何故恋に落ちるのか

2017-02-19 17:24:17 | 雑学

マサチューセッツ工科大学に利根川ラボという研究機関がある。ノーベル賞を受賞した利根川進が所長を務めている。そのラボの研究者の一人、奥山輝大は恋愛のメカニズムを解明する研究をしている。

男と女が互いに惹かれあう時、匂いというファクターが重要であることがわかっている。
免疫分子の一つである『MHC』のタイプが違う相手を人間は好きになる。すなわち遺伝的に遠い人を結婚相手としてふさわしいと判断する。その方が自分の免疫学的な欠点を補いあい丈夫な子孫を残すことが出来るためである。
異性と付き合う時、相手の匂いをかいで好きになるわけではない。当人同士は気が付いていないが実は人間はそれを感じることが出来るのではないかと言われている。恐らくその感覚は鼻で感じているのだろうけど、それを意識することはなく、それは我々がまだ解っていない感覚なのかもしれない。

恋愛のメカニズム研究が進むと究極の媚薬を作ることが可能になるかもいれない。その媚薬を使うと特定の相手に自分を好きにさせたり嫌いにさせたりすることも可能である。利根川ラボではすでにマウスを使った実験を成功させており論文も発表されている。
さらにラボでは記憶をコントロールする技術が使われており、人工的に記憶を書き変えたり思い出させたりするということが可能になっている。ある特定の人の記憶を刺激と共に思い出させ快楽や恐怖などと関連させることにより、特定の人を好きにさせたり嫌いにさせたりすることもできるという。倫理的な問題はあるが、人間の感情をコントロールすることが可能なのだ。


縄文時代はほんとうに貧富の差がなかったのか?

2016-11-12 23:43:41 | 雑学

縄文時代、すなわち狩猟で生活をしていた時代には貧富の差はなかったとよく言われる。
日がな一日、男は狩りをし、女は木の実などの採収を行って生計を立てる原始的な社会環境ではのんびりしていて、一見貧富の差はないように思われる。

人類が農業を始めた弥生時代に入ると、飢饉などで満足な収穫ができなかったエリアと十分な収穫のあったエリアで争いが起こるようになる。これが戦争の始まりで、他のエリアから農作物を奪取するために武器が発明され、進化していったと考えられている。
保存可能な農作物を得て、飢餓から劇的に開放されることと引き換えに、戦争が生まれたのである。そして保存可能な農作物の大小により貧富の差が広がっていったと考えられてきた。
しかし、財産とは保存可能なものだけだろうか? 縄文時代には財産のようなものは存在しなかったのだろうか?
狩猟生活の時代でも、個人による相対的な財産はあったと考えられる。狩猟可能なエリアを誰が多く支配するかということ、すなわち「縄張り」である。
当時は土地の所有という概念はなかったはずだが、力のあるもの、あるいは力のある集団が独占的に狩猟できるエリアを力によって確保していたというようなことはたやすく想像できる。現在のやくざの「シマ」のような概念である。
力のあるものが富を独占する。それは今も昔も変わらなかったのではないだろうか。

縄文時代だけが特別であったとする考えも一理あると思うが、広大な縄張りをもつ者と持たない者とでは貧富の差があったと考える方が自然である。
広い面積、あるいは狩猟に適した良質の縄張りをもつ者はたくさんの食物を得ることができ、余剰品を別の何かと交換することも可能だったはずである。
縄文時代、貝塚ができるほど豊富に貝が採れる海岸や石器の材料となる良質の石材が採れる鉱山は交易により栄えていたことが判っている。
また、碧玉や火山性ガラス、雲母、きれいな貝殻などの装飾品が縄文時代の遺跡から見つかっており、当時としての貴重品をわざわざ遠くから取り寄せることができる富を保持していた者がいたということになる。これらが縄文時代の全員にできたことだとは考えにくく、一部の特権階級が存在していたと考えるべきである。

縄文時代は、言われているほどに無邪気な社会ではなく、身分も貧富もあったのではないかと思う。