2月28日 パシフィコ横浜に『CP+2016』を見に行きました。
カメラの展示やセミナーもよかったけど、コンパニオンも見逃せません。
2月28日 パシフィコ横浜に『CP+2016』を見に行きました。
カメラの展示やセミナーもよかったけど、コンパニオンも見逃せません。
広告は商品のPRや求人、公示などの他にも社会的な意義がある。
新聞が近くにあれば二つに折ってみて下さい。
それをさらに折るとB5の大きさになります。
僕が取っている読売新聞の朝刊の頁数は32頁から40頁、夕刊は14頁から18頁ほど、仮に朝刊36頁、夕刊16頁とすると合計52頁。
二つに折ると104頁、さらにもう一度折ると208頁になる。
新聞は現在月額4000円と少し、1日の値段はおよそ130円。
B5の208頁が130円ということになる。
新聞の1日分のB5版208頁は書店で売られているB5版の単行本に大きさもページ数もほぼ匹敵する。字の大きさも同じくらいなので、情報量はほぼ変わらない。
しかし、新聞の値段は書店で売られているB5版の単行本のおよそ10分の1である。
何故、ほぼ同じ情報量の書物なのに価格が10倍も違うのか?
すでにおわかりだと思いますが、それは新聞には広告が入っているからである。
広告収入がなければ新聞の料金は数倍に跳ね上がる。130円出せば書店で売られている単行本とほぼ同じ情報量が得られるのは広告のおかげだと言える。
テレビも民放は無料で、誰もが見ることが出来る。これもスポンサーがCM料を支払っているからだし、パソコンでほとんどのコンテンツを無料で楽しめるのもネット広告の収入によってコンテンツが提供されているからである。
電車やバスの交通広告がなければ運賃は今より高くなるだろう。
スポンサーが広告を出した商品を買う人がいるので買わない人も恩恵を受けていることになる。
製品には広告料が含まれるので、わざわざ高い料金を払わされていると考える人もいるかもしれないが、それは少し違う。
広告によって大量消費されれば、製品を大量生産することができ、コストを下げることが可能になる。結果、広告によって消費者は安くて質のいい製品を得ることができるのである。
広告は社会的にも意義のあることなのだ。
芦ヶ久保の氷柱を見に行ってきた。
沢の水を撒き、斜面一面に人工的に作られたものである。
夜はライトアップされ、新たな観光名所となっている。
なかなか見応えがある…
…はずでした
でも、見頃は過ぎていた。
昨日の雨と今日の暖かさで氷柱は少しだけで、雪が普通に積もったような感じ。
来年はもっと真冬に来ようっと!
仕事から社へ戻る途中
小石川後楽園に梅を見に行きました。
早咲きの梅はもう終わりを迎え
遅咲きの梅はまだもう少し先
絶妙に残念なタイミングでした
アーティスト:さとうりさ
作品名:Fake(Kohachi infiorata)
制作年:2016年
素材:ミクストメディア
花の真偽。
愛の真偽。
「偽」という言葉に触れるとき、
こころのどこかで「真実」という言葉も同時に聞こえてきます。
また、その逆もおなじように。
それはどちらですか?
「こはち」の視線が問いかけています。
池袋の東京芸術劇場の地下に展示されている作品
ぬぼ~~~
そんな表情と少し似つかわしくないと思われる作品名だ。
中央の顔や周りの赤い花も造花で出来ている。
花は造花なので、いわゆるFake
Fakeだからこそ真実が隠れているのだろうか?
この表情はFakeで、違う表情が隠されているのだろうか…
偽物もずっと本物そっくりを続けていれば本物になりうるのだろうか?
そもそも自分の気持ちは本物だろうか?
偽物を本物と思い続けているだけかもしれない…