まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

禁煙

2010-09-30 18:19:55 | コラム

10月1日から煙草が値上がりする。僕は煙草は吸わないが、会社で何人か、禁煙に挑戦している。さすがに百円以上の値上げは今まで禁煙を試みなかった人にも禁煙を決意させている。年内には止めようと思うという人や今買いだめしてある煙草を吸い終わったらやめるという人も。
館ひろしのCMを観て、医者から薬をもらって禁煙を試みようとしている人がいる。
薬は二週間分。
これを飲んで煙草を吸うと気持ちが悪くなるらしい。
やがて、ニコチンを必要としない体質に変えていくのだという。
ただ、薬には副作用がある。気持ちが悪くなることがあったり、下痢や吐き気をおこすこともあり、稀に鬱病になることもあるそうだ。
でも、せっかく決心したのだから成功を祈る。
僕が煙草をやめたのは17年前。
それまでは、一日30本は吸う、どちらかといえばヘビースモーカーだった。
ただ、ずっと禁煙はしたいなあ~と思っていた。
結婚を機に、タバコをやめることにした。
あ、別に妻から言われたわけではありません。自分の意思でやめようと思いました。ただ、きっかけがほしかっただけ。
妻はどうせ無理だと思っていたらしい。
一週間ごとに本数を減らしていった。
30本を最初の一週間は20本に、次の一週間は15本に・・・
その後は一週間に5本づつ減らし、いよいよ禁煙・・・
でも、禁煙したときより、何故か一日5本くらいのときの方がキツかったと記憶している。
絶対吸えないという状況より、お預け状態のほうがこたえるみたいだ。
タバコをやめて、もう17年も経つのに、いまだにタバコを吸っている夢をみる。


妻のいない一週間

2010-09-27 18:41:51 | 日記
三ヶ月ほど前、妻が盲腸で入院した。
ある日、夜中に激痛を訴えた。
救急車を呼ぶより自分の車で病院に連れて行った方が早いと判断し、119番に電話をして夜間診療が可能な病院を紹介してもらい、そこへ電話をしてみる。
息子が心配そうに横にいる。
「今、胃腸科の先生がいないので・・・」
ニュースでよく救急車の受け入れ拒否を耳にするが、こういう事なんだなと思う。
食い下がってみるが、向こうはうんと言わない。
「他に心当たりはありませんか?」
そう尋ねてみるとある病院を教えてくれた。
「その病院て、前に管理人さんが入院したとこだよね、お父さんお見舞いに行ったよね」
行ったことがあるくせに僕はすっかり病院名を忘れていました。マンションの理事数人で確かに管理人を見舞ったことがあった。少し距離があり、あまり縁がない病院なのですっかり名前を忘れていた。
息子は僕と妻との会話を聞いただけだと思うけど、よく病院名まで憶えていたと思う。
番号案内で連絡先をきいて病院に電話をすると、係の人はどうぞ連れて来て下さいとのこと。その間息子は地図を持ってきてくれた。
「お父さん、場所憶えてる?」
妻を病院に連れていくと、虫垂炎だと診断された。
最近は盲腸は切らないで薬で治すことが多いという。切ると何十年後かに癒着することがあるらしい。でも、治療中はモノが食べられないので、点滴をする必要があり、入院することになる。
幸い次の日は日曜日だったので、妻の身の周りのものを持っていくと、痛みはもう無くなっているとのことだった。
その日から一週間ほど、妻のいない生活が始まりました。
認知症の義母はできる家事は限られるので、僕と息子が分担することに。
昼間義母を一人にするのは心配ですが、管理人さんに事情を話して、何かあったら頼みますとお願いした。義母は一人で出掛けることはまずないし、もし、外出したとしても管理人室の前を必ず通るので一声かけておくとひとまず安心である。
義母にはくれぐれも火を使わないように注意して、義母の昼食はおにぎりなどを用意した。
さすがに息子の弁当は作れないので、学食でするようにとお金を渡した。
僕は帰りが遅いので、夕食は息子に頼む。
義母はそれでも、お米を炊くぐらいは出来るので、息子にはおかずの用意を担当してもらった。と言っても弁当屋かスーパーのお惣菜を買うだけだったけど。
でも、歯の弱い義母には別メニューを用意したり、それなりに考えていました。
洗濯は夜にして、ベランダに干す。取り込みを義母に頼むが、何と物干し竿に背が届かないのだという。
仕方がないので低い位置に全部移動しておくと、帰ってきたら洗濯物はちゃんと義母が取り込んでたたんでありました。
この一週間、義母も自覚して積極的に家事をしてくれたし、意外に息子がしっかりしているなと感じたけど、妻が退院すると、またグータラで我が儘な息子に逆戻りでした。

デフレの正体

2010-09-17 19:14:00 | 書評
現役の銀行員、藻谷浩介氏が書いた『デフレの正体』を読んだ。
日本経済の本質を人口の波で説明した目からウロコが出るような著書である。景気が悪いのは「景気循環」では説明することは出来ない。本質的なことは「日本人の加齢に伴う生産人口減少」であると。
今までの日本経済の波は生産人口(15-64歳)の波で説明がつく。例えば、バブル経済は団塊の世代がマイホーム購入の適齢期を迎え、大量に不動産を購入した結果であり、団塊の世代がマイホームを購入し終えた時点でバブル景気は終焉を迎える。
この生産人口は96年をピークに減少を続けており、それと同時に小売販売額の総額も縮小に転じている。
作者はこの「内需の縮小」の犯人は「地域間格差」ではないことを数字をあげて証明している。そして驚いたことに輸出が伸びても国内の景気には必ずしも結び付かないと結論付けている。事実、バブルのときに41兆円だった輸出は07年には80兆円にも上っている。だが、景気がいいと実感している人は少ない。国際経済競争の勝者である日本にこれほどの不景気をもたらせた犯人こそ、「人口の波」なのである。貿易で得た利益は一部の株主などを潤すだけである。
本書で触れているが、日本の相続の平均年齢は何と67歳。もう消費意欲はほとんどない年齢である。そして二十数年経つと、また高齢者が大金を相続する。日本の個人預金1400兆円のかなりの部分をもつ高齢者の上の方でぐるぐる回っているだけで、下の世代に降りてこない。
若い世代の所得をもっと増やさないと景気は良くならない。
本書は、生産年齢人口を増やすためにもっと主婦が仕事に就くべきであるとも書いている。
少なくとも移民による生産年齢人口の増加はコストがかかるため、望ましくない。


おさかなセンター

2010-09-09 23:31:17 | プチ観光名所

焼津にある『おさかなセンター』
数多くの海産物を扱う店が軒を連ねる。
何度かここを訪れている父の案内で息子を連れて初めて行って来た。
大きな商店街が丸々魚を扱う。干物を中心に鮮魚や加工食品まで、それぞれの店が値段と品質を競っている。通りがかると店員の売り込みがすごい!
そのなかを縫うように目的の店へと向かう。
店には中年に差し掛かった真っ黒に日焼けした兄さんが威勢よく声を掛けてくれた。
料金交渉も可能だ。
遠隔地からの客の対策に保冷剤や保冷パックのサービスもしてくれる。
買ったのはウニ、桜エビ、しらす干し、イカの塩辛とエビの塩辛。
さすがにどれも味は一級品だった!



ラッパ保存会記録ビデオ

2010-09-01 23:30:36 | 映画
大学時代の友人が撮影したビデオ作品の上映会があり、原宿へ出掛けた。
池袋で共通の友達と待ち合わせて二人で会場へ。
30人ほどが収容できる小さなシアターだ。作品名は『ラッパ保存会記録ビデオ』1993年から5年にわたり保存会を記録したドキュメンタリーである。
昭和54年に軍隊ラッパの楽曲保存、及び戦没者の慰霊を目的に結成された。それ以来毎月、靖国神社と千鳥ヶ淵で吹奏を続ける。
ご高齢なこともあり、以前はきちんと鳴らせた高音がなかなか鳴らせなくなるようなことが描かれている。
軍隊ラッパは口から出す息の調整だけで音階を表現する。特に高音は難しく、訓練が必要だった。
軍隊時代から使っているラッパはピカピカに磨かれてあり、彼らは自分達であつらえた制服を着て、誇らしげに靖国神社を行進して行く。
自分達が一生懸命に身につけた技術を少しでも長い時間残しておきたい。そんな気持ちが伝わって来る。特に思想などとは関係なく、純粋にラッパを愛しているのだ。
軍隊を経験した人は高齢化が進み、彼らを記録するのはぎりぎりのタイミングである。
この上映会があった時点で出演してくれた会員のほとんどの方は他界されたと撮影した友人は寂しそうに話していた。