2月25日で父が亡くなってから5年を迎える。
11年前のある冬の日、実家の母から泣きながら電話があった。
父が末期の肝臓がんで手術をすると言う。
がんが発見されたときはすでにステージ4だった。
入院先は浜松の実家から少し離れた清水の病院。その病院に肝臓がんの権威の先生がいるので、その病院で治療することになった。
手術は成功し、その後父は6年ほど元気に暮らすことになる。
末期がんだと聞いたときは、さすがに覚悟を決めたけど、最近の医学の進歩はすごい。
転移していれば治療は難しいが、転移がなかったのが幸いした。
入院中は所沢から清水まで何度か見舞いに行った。
入院期間中は暇なのか、父はよくメールをよこした。案外新しいことにもすぐに対応できる。
父は、頭はいいが、空気が読めないところがある。その割に友達は多く、僕が見舞いに行ったとき、父の友人が4人ほど来ていたことがあった。みんな、わざわざ遠くから来てくれていた。父には僕の知らないいいところがあるのかもしれない。
僕が高校生のとき、母がこんな話をしてくれた。
父と母が付き合っていた頃、二人でスーパーに行って買い物をした。
レジで清算をするとき、買い物をした金額に持ち合わせの金が少し足りなかったことがあったそうだ。
普通、どれか商品を返品するけど、何と、父はレジで料金交渉をしたらしい。
今では考えられないことだけど、店員はまけてくれた。
それを見て、母は父との結婚を決意したという。
このことを人に話すと、いい話だと言う人もいる。でも、この話を聞いた時、僕はあまりいい話だとは思わなかった。何となく、せこい話だと感じ、そんなことで結婚を決めた母に対しても、少し信じられないような気持ちを持った。
でも、今では、父らしいし、母らしいとも感じる。
父と電話で話をするときは、要件が終わるとすぐに切ってしまう。
「どうしてすぐに切ってしまうの?」
妻はそう言うけど、父と無駄話をする気にはなれなかった。とても父と会話を楽しむ気にはなれなかったからだ。
もしかしたら、僕が父に対して感じたことは息子も僕に対して感じているのかもしれない。
6年後に肝臓がんが再発し、市内の病院に入院した。
再発してからは癌の進行は早く、2か月ほどで父は亡くなった。
父が亡くなる1か月ほど前、病室で父と二人だけになる機会があった。いろいろ言いたいことはあったけど、「今までありがとう」とだけ伝えた。
父は特に表情を変えず「全部母さんがしたことだ。俺は何もしてない」そう答えた。
その時、僕は感謝の言葉を父に伝えたことを少し後悔した。あとは世間話や息子の話をした。
でも、あのときもっとちゃんと話しておけばよかったと今では思う。
それから何日か経ったある日、母から自宅に、見舞に来いと電話があった。
所沢から浜松の病院へ行くと、父は思ったより元気そうで、まだしばらくは大丈夫そうだとその時は感じた。
でも、次の日の朝、急に容体が変わり、家族に見守られながら父は息を引き取った。母は虫の知らせを感じたのだろうか? 母からの電話がなかったら僕は父の死に目には会えなかったところだ。
いつだったか、帰省中に「将棋やろう」という父の誘いを断ったことがあった。何となく気分ではなかったからだ。
テレビを観ているのに話しかけてくるので適当な返事をしたこともある。実家に帰るのはほぼ年に2回だから父は僕と話したかっただろうに…
「おいしい日本酒あるよ」そう言ってお酒を勧めてきたけど、その時はビールが飲みたくて断ったことがある。父はせっかく僕のために買っておいてくれたのに…
掃除を手伝っていた時、壁掛け時計を父の不注意で頭に落とされたことがあり、つい、怒鳴ってしまったことがあった。もちろん父はわざとじゃないし、大して痛くはなかったのにあの時どうして怒鳴ってしまったのだろう。
僕の就職が決まったとき、お祝いに連れて行ってくれた中華料理店は余りにもカジュアルな店だったので、大して嬉しそうな顔をしなかったことがある。でも、もう少し嬉しそうな顔をすればよかった。
あの時いっしょに将棋をしていれば… あの時テレビを少し中断してちゃんと返事をしていれば… あのとき父が買ってくれた日本酒を喜んで飲んでいれば… あのときあんなに怒らなければ… あのときカジュアルな中華料理でも、もう少し嬉しそうにしていれば…
もしかしたら何か変わっていただろうか?
当たり前だけど、父にはもう何も伝えられないし、何も答えてはくれない。
かつて、父に仲のいい友人がいた。よく一緒に飲みに行ったり、旅行に行ったりしていた。僕もその人とは何度か会ったことがある。
ところが父はいつからか、その友人とばったりと付き合いが無くなった。
それでも、その方は父の葬式には来てくれた。
父が亡くなってしばらくして、母と二人で話している時に、ふと、その父の友人と父がなぜつき合わなくなったのか訊いてみた。
「お父さん、何で◯◯さんとつき合わなくなったの?」
もう、ずいぶん前のことだが、母は憶えていた。
「〇〇さん、女性にだらしなくてね。お父さんをだしに使って女の人と会っていたのよ」
何と父は友人の浮気が許せなかったから付き合いをやめていた。もしかしたら友人の浮気より、自分がだしに使われたことが許せなかったのかもしれないが。
その父の友人は、父と麻雀に行く、父と飲みに行く、そう奥さんに言って実は愛人と会っていたのだ。
この話を聞いて父にそんなストイックなところがあったのかと少し意外な気がした。
昔、母になぜ父と結婚したのかと訊いたことがある。
「浮気しないから」
母は答えた。
母の人を見る目は案外確かだったのかもしれない。