まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

本屋での出来事

2010-04-26 18:32:21 | 社会問題
先日、本屋のレジでの出来事。
比較的大きな書店で、いくつかレジがあり、客はフォーク形に一例に並んでいた。僕も本を持って列の後ろに並ぶ。
そこへ70はとうに過ぎているであろう、お年寄りの男性が列に並ばず、空いたレジのカウンターに商品を差し出し、会計をしようとする。
「並んでますよ」
列の先頭にいた若い男性が声をかけるが、老人のレジまでは距離がある。
店員は「列の後ろにお並び下さい」と言うべきだったかもしれないが、その老人
の商品を受け取り、会計をしてしまった。
僕は年寄りと同居しているからよく判るけど、年寄りは状況判断が苦手だ。
レジがあるカウンターの横にみんなが並んでいることに気が付かなかったのだと思う。
店員としても、歩行速度がかなり遅い老人に対して、後ろに並べとは言いにくいという気持ちはあったと思う。
普通であれば、並んでいる客も大目にみることが多い場面である。
ところが、列の先頭の若い男性は店員に食ってかかったのである。
女性店員も平謝りを続けるが、男性の怒りはなかなか収まらない。
怒りの矛先を老人にも向けるが、老人は案の定細い声で「気がつかなかった」と答えた。
男性の執拗な抗議が続く。やがて女性店員の上司が出て来て対応を始める。
男性の気持ちも解らないではない。筋は通っているけど、明らかに行き過ぎである。
やがて僕の会計が終わり、店を後にするが、まだ男性の抗議は続いていた。
ルールを守ることは言うまでもなく大切である。でも、それ以上に老人を労る気持ちは大切である。
歳を取ると目も耳も衰え、歩くのも遅くなり、力も弱い。何より状況判断といった当たり前のことが困難になる。
でも、老人にも買い物をしたり社会生活を営む権利はあるはずだ。
みんながそのことを理解すれば老人にとって、もっと住みやすい世の中になると思う。


桜と花海棠

2010-04-21 23:12:23 | 写真
少し遅いですが、花の写真を・・・

花見に行くと、いつも思うことがある。
日本人はどうしてあんなに嬉しそうな顔をして桜を眺めるのだろう。
花を見るのもいいけど、そんな花見客の表情を見るのも楽しい。

写真は、桜と花海棠、花海棠も桜に負けないくらい綺麗だと思う。
どちらも薔薇科の植物です。
でも、桜のように嬉しそうな表情をして眺める人は少ない。
桜は、日本人にとって、特別な存在なのだと、改めて思う。

近所の公園に咲いていた桜




庭の花海棠




太陽を盗んだ男

2010-04-18 01:53:50 | 映画


1979年の邦画で、『太陽を盗んだ男』という作品がある。(沢田研二、菅原文太主演)
沢田研二扮する中学の理科教師が、鹿島原発からプルトニウムを盗み出し、アパートで核爆弾を製造する。身のまわりで用意できるものを駆使して水溶液のプルトニウムを爆発する大きさの金属プルトニウムへ仕上げていく。
完成した核爆弾で、政府を恐喝し、ローリング・ストーンズの日本公演を要求するといった内容。(当時はまだ、日本での公演はなかった)
邦画にしては、じめっとしたところのない当時としては珍しい傑作。映画そのものには賛否あると思うが、驚いたのは、核爆弾が驚くほど簡単にできるというところ。
映画の中で、「プルトニウムさえ手に入れば、大学生程度の専門知識があれば作る事は可能」と紹介されている。作る本人が被爆する危険はあるが。
原発はプルトニウム製造工場という側面もある。ウランを燃やし、プルトニウムができる。その過程で出る熱を利用して発電している。
日本では、そのプルトニウムを再処理して再び発電に使用することを考えている。いわゆる高速増殖炉だ。実験炉の『もんじゅ』が福井県にある。一時期は臨界点に達し、成功するかに思えたが、ナトリウム漏れ事故により長い間運転が停止していた。先日、再び運転を開始することが決定したという記事が出ていた。
プルトニウムを燃やせば、何故かプルトニウムは最初より増えてしまう。資源のない日本には夢のような話ではあるが、プルトニウムはウランの数万倍毒性が強い。
冷却に、通常の原発で使用する水ではなくナトリウムを使用する。この制御が極めて困難だという。開発を断念した国が多い中、日本では今でも高速増殖炉を推進している。
もしかしたら、原発のある国は核爆弾を作ることは、さほど難しい事ではないのではないのかもしれない。兵器として配備することは簡単ではないと思うが。
でも、当時のジュリー、かっこ良かったなあ。


教場のふたり

2010-04-12 18:47:26 | 怪談

学生時代、僕は一人暮らしをしていた。
ある冬、授業が終わったあと、友人のアパートに寄って、少しおしゃべりをしていた。
気がつくと夜の8時を過ぎていたので、おしゃべりを切り上げて自分のアパートへの帰路につく。当時は大学から歩いてさほど時間がかからない場所にアパートを借りていた。途中、晩飯を買ってから戻ろうとしたが、ふと、財布がないのに気がついた。
大学の学食で昼を食べたときは確かにあった。仕送りまで日があるし、なくすと大変だ。
今日の最後の授業で友だちに頼まれて小銭を貸したあと、机の下に置き忘れたことを思い出す。
舌打ちをして、大学へと向かう。
大学ではまだ夜間の授業が行われているらしく、一部の校舎には明りがついている。
僕は、空腹と寒さを我慢しながら、最後の授業があった教場へと足を速める。目的の教場のある校舎では授業は行われていないらしく、教場の灯りは全て消えている。
薄暗い階段を昇り、廊下を歩く。突き当りが目的の教場だ。扉が少し開いているのが見える。
ゆっくりと近づいていくと教場から、話し声がかすかに聞こえてくる。
あれ、こんな暗がりで誰かいるのだろうか?
扉の隙間から中を覗いてみる。
教場の隅に寄り添うような、男女の影がふたつ。
廊下の灯りがふたりの横顔をうっすらと照らしている。
同じ学科の中山と女子の方は大森だった。
はは~ん、ふたりは前から付き合っていると噂のある男女だった。
入っていこうかどうか、扉の外で立ち止まって少し考える。二人の邪魔はしたくない。
それでも空腹には勝てず、扉を開けて教場へ入っていった。
「よう!」
そう、声をかけると二人はこちらを向いて、少し不思議そうな顔をした。
「うわさ、ほんとうだったんだね」
それには答えないで、中山は意外なことを言った。
「財布届いた?」
「え!?」
「財布この教場に忘れただろ?」
「うん、だから取りに来たんだけど・・・」
「授業が終ったあと、財布見つけたから、ふたりで届けに行ったんだよ」
「え? そうなの?」
「いなかったからドアの新聞入れに入れておいたんだけど、気付かなかった?」
「あ~、そうなんだ!アパートにはまだ戻ってないんだよ」
中に免許が入っていたから僕の財布だと判ったそうだ。
二人は、僕に笑顔を見せる。
僕は二人に礼を言って、アパートへと向かう。


アパートへ戻ると、玄関の前に友人の石井が立っている。
近づくと、表情が固く、ニコリともしない。
「どうした?」
「今、中山と大森が病院で死んだんだ・・・」
「…?」
石井の言ってる意味が理解できない。さっき、教場で二人に会ったばかりだ。
「さっき、学校にいたよ。あのふたりが付き合ってるのは本当だったんだな」
「冗談言うなって」
「ほんとだよ!俺さっき教場で二人がいるのを見たんだよ!」
石井の表情はますます固くなっている。
「夕方、この近所の交差点で二人とも車に跳ねられて、病院へ運ばれたんだよ。お前にも知らせておこうと思って」
「え?」
「病院に運ばれてから、すぐに二人は息を引き取ったそうだよ。中山の手帳に俺の連絡先が書いてあったから、警察から電話が来たんだ」
「でも、さっきまであの二人は教場に・・・」


鍵を取り出してドアを開け、新聞受けを確認すると、財布はそこに入れられてあった。
石井はそんな僕の行動を少し不思議に眺めながら言った。
「でも、どうしてあの二人、この近くまで来たんだろ?帰りと反対方向なのに」
僕は財布を手にして、石井に見せる。
「あの二人が、この財布を届けてくれたんだよ」


石井と、二人が事故に遭った交差点へ行ってみる。
二人が倒れていた場所にチョークで人の形が二つ描かれてあった。
すでに花が供えられてある。
僕が財布を忘れなければ、あの二人は死ななくてすんだのだと考えると涙がでてきて止まらない。
石井に無理を言って、再び財布を忘れた教場へ行ってみるが、二人の幽霊はもういなくなっていた。
無事に天国へ行けただろうか?


くも膜下出血

2010-04-08 19:39:52 | 日記
巨人の木村拓也コーチがくも膜下出血で亡くなった。
まだ37歳、心からお悔やみを申し上げます。
僕の知人でも、過去くも膜下出血でお亡くなりになった方がいる。
もう10年ほど前になる。
仕事で付き合いのあったY氏は当時40代前半だった。
Y氏はそのとき、たまたま虫歯の治療を受けていた。
酷い頭痛がしたが、歯の痛みだと思った。
歯医者へ行き、痛み止めの薬をもらい、それを飲んで眠った。
朝、奥さんが気がつくと、もう亡くなっていたそうです。くも膜下出血による死亡と診断された。
そのとき、もし、歯の治療を受けていなかったら、他の科を受診していたかもしれず、あるいは助かっていたかもしれないという話だった。
Y氏が亡くなる数日前にお会いしていたので、突然のことに驚き、そのとき初めて、くも膜下出血の恐ろしさを知った。
いままでに感じたことのない頭痛が襲ってきたら、医者で見てもらう方がいい。
くも膜下出血は年齢は関係ないと、そのときききました。
Y氏にとっても余りに不運なことだったと思う。
Y氏は生前宗教嫌いで、遺族の希望で無宗教の葬儀が行われた。
会場では、彼が好きだったシャンソンが流れ、参列者は手にした花を故人に一輪ずつ添えていく。
ひとりひとりが至近距離で最後のお別れができる葬儀でした。