まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

卒業式に合う歌

2013-03-30 23:54:04 | 音楽

卒業式のシーズン、先日テレビで、『今聴きたいグッとくる旅立ち・応援ソング』という特集をやっていた。
10代から50代にアンケートをとり、1位から20位までを紹介していた。


20位 いきものがかり YELL
19位 斉藤由貴 卒業
18位 オフコース さよなら
17位 松田聖子 制服
16位 槇原敬之 遠く遠く
15位 ケツメイシ さくら
14位 SPEED my graduation
13位 Mr Children 旅立ちの唄
12位 尾崎豊 卒業
11位 Kiroro Best Friend
10位 福山雅治 桜坂
 9位 H2O 想い出がいっぱい
 8位 GReeeeN 遥か
 7位 ゆず 栄光の架橋
 6位 アンジェラ・アキ 手紙~拝啓十五の君へ~
 5位 コブクロ 桜
 4位 中島みゆき 時代
 3位 レミオロメン 3月9日
 2位 荒井由美 卒業写真
 1位 海援隊 贈る言葉


だいたい知っている曲ばかりで、順位はさておき、この時期の歌としては納得できるものばかりだと思う。
1位、2位などは、定番中の定番だし、幅広い世代に支持されていることがわかる。


僕が、卒業式ときいて頭に浮かぶ曲は「仰げば尊し」
でも、ランクインされていなかった。
今では、卒業式ではあまり歌われないという。
歌詞の内容が現在に全く合ってないからだろうか?
でも、やっぱり、卒業式といえば「仰げば尊し」が浮かんでしまう…


奇跡の一本松

2013-03-21 23:30:22 | 時事問題
陸前高田市高田町、かつてここには7万本もの松林が2キロわたり連なる景勝地だった。
東日本大震災で発生した津波により美しい松林は次々になぎ倒されてしまった。
だが、ただ一本だけがその場に踏みとどまり、奇跡の一本松としてマスコミによって報道された。
しかし、2011年10月、その最後の一本も枯死が確認される。
先週発行の週刊新潮に、その後の奇跡の一本松の事が記事にされていた。
何と、モニュメントとして復元されており、今も変わらぬ姿で同じ場所に立ち続けているのだ。
まず、幹の中心部をくりぬき、防腐剤によって処理をした後、炭素繊維製の芯棒を作成し、くり貫いた幹の中に通す。枝葉の部分については、伐採し、石膏で型取りして、それを元にガラス繊維強化プラスチックでレプリカを作製。それを接着剤とボルトで幹へ取り付けられた。
これほど大きな自然物の復元は恐らく世界的にも前例がないと言う。そのため、永久にもつかどうかはわからず、業者としては10年程度としている。
問題なのは、その費用。何と、1億5000万円!
臨時市議会により可決され、事業には公金は使わず、保存のために募った基金で賄うという。
週刊新潮は「奇跡の一本松、涙の復元は美談か茶番か!」というタイトルを付け、この事業には批判的な論調である。
週刊新潮は比較的良識のある記事が多く、決して事実をスキャンダリックにねじ曲げる事はない。だが、この記事はどうだろう?
戸羽市長の発言。
「確かにコストが高いという声が出ていますが、だからこそ税金を使わず、寄付を募った。賛同していない人に迷惑はかけていない」
同感である。
同誌には、陸前高田市の復興住宅の建設が進まず、順番か違うのではないかと書かれている。それは最もだが、住宅建設が進まないのは土地取得の問題や人手不足が原因である。
津波に負けなかった一本松に勇気付けられた人も多いはずで、その精神的な象徴として、賛同者の寄付によって、モニュメントとして残すことをとやかく言うべきではないと思う。


花粉症

2013-03-16 21:14:53 | コラム

ネットを見ていたら、最大級の悲劇に見舞われた消防士の話が出ていた。


悲劇は住民の勘違いが発端だった。
「山火事です」
山から、大量の煙が上っているとの通報により、5人の消防士が出動した。
だが、そこで彼らが見たものは、煙ではなく、風で舞い上がった大量の杉花粉だった。
何と、5人の消防士のうち、4人が花粉症だったそうである。
彼らのその後の惨状は想像に難しくない。花粉症の消防士にとって、炎より恐るべき相手であったと思う。


この世には2種類の人間しかいない。花粉症の人とそうでない人と。
花粉症の人にとっては、2月半ばから4月半ばまでおよそ2ヶ月、春を実感できるいい季節が台無しになることもある。


僕は20年来花粉症と付き合っている。
まだ花粉症という言葉が一般的でなかった頃に花粉症と診断された。
当時、血液検査はされなかった。あったのかもしれないが、僕が通っていた耳鼻科では、行われていなかった。
腕に針で10ヵ所ほど穴をあけて少し出血させる。その上に違う種類の薬液を一滴ずつたらしていき、薬液の色が変われば、アレルギー反応があると判断される。花粉とあと数種類のアレルギー反応が出た。
その後20年、毎年この時期になると症状が出る。重かったり軽かったり。去年は軽くて楽だったが、今年はかなりきつい。特に目の痒みがハンパではない。
毎年、市販の目薬で十分効果があるけど、今年はいつもの目薬が効かなくて、少し高いのに変えた。それでも効かなくて、眼医者へ行って、処方してもらった目薬をさしているけど、これも効かない。
マスクをしても鼻水は出る。
飲み薬は眠くなるので、漢方薬で何とか凌いでいる。


この時期、何ともない人もいる。
いいなあ~ といつも思う。
妻は平気だけど、息子は5歳のときから花粉症。不憫である。
来年の飛散量が少ないことを祈る。


全国の花粉症の人々に幸おおからんことを。


アーケード街

2013-03-10 16:22:38 | コラム

先日、清水へ行く機会があり、昼食を取ろうと思い、駅前にあるアーケード街に入った。
平日の昼間、真冬だけど、比較的暖かい晴天の日だ。
アーケード街には、歩く人がほとんどいない。シャッターを閉めた店も目立つ。
夕方以降はもう少し人が増えるのかもしれないが、あまりの人の少なさに驚きながら、それでも美味そうな店を探す。
マグロの専門店があり、外から貼り出してある献立を眺めていると、中から女性店員が顔を出し、どうぞお入りくださいと声をかけてくる。
半ば強引に店に入れられたが、昼食時なのに客は僕一人。
鉄火丼を注文した。味はなかなか。
でも、食べ終わって出ていく間、ついに他の客は入って来なかった。
清水では、港や幹線道路沿いはそれなりに賑やかだけど、駅前のアーケード街はこの有様である。
東京のアーケード街はそれなりに賑やかだが、地方都市では寂れているのだろうか?


僕が育った伊丹にはアーケード街があり、小さい頃、母に、毎日のように買い物に連れて行かれた。
考えてみれば、全天候型商店街は、何軒も買い物する場合は非常に合理的である。
どんなに便利な商店街も、雨が降れば不便極まりない。
アーケード街は関西に多い。
どこの駅かは忘れたが、大阪にはアーケード街の中に駅があった場所があったと記憶している。
関東には大きなアーケード街は少ない。
東京では浅草、赤羽、中延、中野、吉祥寺、蒲田くらいだろうか?
僕が住む所沢にはないし、埼玉県全体でも、大きなアーケード街はないのではないだろうか?
僕はアーケード街が好きである。ショッピングセンターよりはカジュアルで、多様な店を利用できる。しかも、雨に濡れることなく移動が可能である。
お洒落な商店街は少ないけど、歩いていて楽しい空間であると思う。


20年選手

2013-03-02 21:37:33 | 家電・道具


ちょうど20年目になった腕時計を初めてオーバーホールに出した。
数分止まることがたびたびあり、流石に手入れが必要だと思った。
当時は珍しかった軽い素材のチタンを使用した腕時計。腕につけると、しっくりと馴染んで、なかなか気に入った。
それ以来、20年、一度も故障することなく、ずっと時を刻んでくれた。
買い替えようかと思ったけど、とても愛着がある。
時計をオーバーホールに出すと、一か月ほど戻って来ない。別の時計を付けていると、どうしても腕を意識してしまう。それほど、20年付き合った時計は腕に馴染んでいたのだと思う。
オーバーホールから戻ってきた腕時計を付けると、もう体の一部になっているような感がある。
ところが、何日かすると、また数分遅れていることがあった。
治ってなかったのだろうか? それとも、もう寿命なのだろうか?
再び時計ショップに持ち込むと、店員から意外なことを言われた。
時計が磁気を帯びています。磁石などに近づけたことはありませんか? 
半年ほど前にバッグを買い替え、それには磁石がついている。かなり強力である。
電車で腰かけたとき、膝の上のバッグに手を置くと、ちょうど腕時計が磁石に接触する。
時計がときどき止まるようになったのは、このせいかもしれない。
店員の話だと、5センチ以上離すと影響は受けないとのこと。
注意するようにした。
まだまだ、この相棒には頑張ってもらおうと思う。



もう1つの20年選手、ソニーのポケットラジオ。
毎朝、通勤の電車の中ではラジオを聴く。
聴かない人は全く聴かないが、僕はラジオが好きである。朝はゆっくり新聞を読む時間がないので、ラジオは貴重な情報源である。
シーズン中は帰りの電車の中で野球中継を聴く。
古くなったので別の新しいラジオを買ったこともあるが、感度はこのラジオの方がよかった。
毎日使用したので、かなり年季が入っているが、今でも現役で活躍する。


いままでよく働いてくれたと思う。これからも頼むよ。
20年選手に感謝!