百田尚樹著『海賊とよばれた男』を読んだ。
出光の創業者、出光佐三を描いたノンフィクションノベルである。作中では、出光興産を国岡商店、出光佐三を国岡鐡造としているが、登場人物は全て実在の人物である。
終戦を迎え、焼け野はらになった東京の国岡商店本社から、この物語は始まる。
石油販売を手掛ける国岡商店は、戦争により商売の術を全て失い、残ったのは借金だけ。戦前に手に入れたタンカーも軍に収用され、敵の攻撃を受けて沈没していた。
しかし、鐡造は社員の首を一人も切ることをしない。
自分の財産を売り払い、社員に給料を払い続ける。
会社を存続させるため、ラジオの修理やタンクの清掃など 、何でもやる。
小説のタイトルになった海賊と呼ばれる所以は、戦前、油の販売を海で行っていたからである。当時の油の販売は縄張りが決められており、縄張りと関係ない海に手漕ぎボートに一斗缶を積んで関門海峡や瀬戸内海で漁船などに油を売ったことが海賊と呼ばれた。
鐡造が独立する資金は、鐡造が学生時代、息子の家庭教師をしたことで知り合う資産家、日田重太郎という男が無償で出してくれる。
現在では考えられないようなことだが、戦前の資産家は、見込んだ男に何の見返りも要求しないで、援助するようなことがあった。
戦後、再び石油を扱うようになった鐡造は、日本の既得権を持つ大手石油会社や西欧のメジャーをも向こうに回して一歩も引かない戦いを挑む。
こんな男が日本にいたことは、驚きだし、日本の石油事業を西欧のメジャーから守り抜いたことが日本の繁栄を築くもとになったと言える。
日本は石油を求めて戦争を起こし、石油がないために戦争に負けた。
安定した石油の確保は、日本の平和と繁栄には不可欠のことである。
鐡造は、社員に儲けろとは一言も言わなかった。常に日本のためという信念が彼を動かしていたのである。
将来、日本にこんな実業家が現れるだろうかと思う。
昭和28年に起こった日章丸事件がこの物語のクライマックスである。
鐡造は、戦後建造した日本一のタンカー日章丸をイランに向かわせる。
イランの油田は、英国が不当に権益を主張する。
イランの石油を積みこんだイタリアのローズ・マリー号が英国によって拿捕されるという事件があった。
経済封鎖されたイランは困窮するが、イランの石油を扱うという国や企業はそれまで、どこにもなかった。
日章丸は英国の裏をかき、イランのアバダン港へ到着し、イラン国民に大歓迎される。
イランと日本の希望を託された石油を山積みした日章丸は、アバダンを出港し、英国の監視を巧みにすり抜けて川崎港へと帰還する。
英国は裁判を起こし、石油の権利を主張するが、のちに訴えを取り下げることになる。
もし、石油を山積みした日章丸が拿捕されていれば、出光興産は倒産していたかもしれない。
今では当たり前になっている中東との石油の直接取引だが、この日章丸事件以前はメジャーを通して石油を買っていたのである。
まさに日本のその後のエネルギーを防衛したある意味、戦争のような出来事だったと言える。
もし、鐡造がいなければ、日本の石油はメジャーの傘下におさめられ、日本のエネルギー防衛を困難なものにしていたかもしれない。
鐡造は日本のエネルギーの安定供給と独自供給を成し遂げたことになる。
鐡造はタイムカードも出勤簿もなく、常に社員を信用し、尊重した。
社員は家族であると鐡造は常々言っていた。
最後に昭和56年1月、80歳を過ぎた鐡造の最後の文章を紹介する。
『日本人は戦争に負けたのではない。あまりに日本人が道徳的に廃頽し日本の、民族性を失っておるから、なみたいていの事では目がさめないので、天が敗戦という鉄槌を加えられたのである。これは天の尊い大試練である。だから愚痴を言わず、三千年の歴史を見直し、直ちに再建にとりかかれ』
日本の平和な発展に間違いなく多大な貢献をした偉人の物語である。