まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

陰と陽

2013-01-28 17:27:27 | コラム

人間の陰の部分と陽の部分、これの収支はプラスマイナスがほぼゼロになるのではないかと思う。


一見明るい人は、その奥に深い陰の部分を秘めていることが多い。
一人でいると悪い方向に考えてしまうので表明上は明るく振る舞う。
明るく振る舞うことで人を引き寄せ、淋しさを紛らわせている。
そうしなければ、陰に押し潰されてしまう。


見かけは少し暗い。
でも、内面は楽天家で、まあ、どうにかなるさと考えている。
周りに少し暗い人がいても、特に気にならない。


見かけと本質が違う人の何と多いことか。
そうやって陰と陽のバランスを知らないうちにとっているのではないだろうか。


海賊とよばれた男

2013-01-20 21:20:46 | 書評

百田尚樹著『海賊とよばれた男』を読んだ。
出光の創業者、出光佐三を描いたノンフィクションノベルである。作中では、出光興産を国岡商店、出光佐三を国岡鐡造としているが、登場人物は全て実在の人物である。
終戦を迎え、焼け野はらになった東京の国岡商店本社から、この物語は始まる。
石油販売を手掛ける国岡商店は、戦争により商売の術を全て失い、残ったのは借金だけ。戦前に手に入れたタンカーも軍に収用され、敵の攻撃を受けて沈没していた。
しかし、鐡造は社員の首を一人も切ることをしない。
自分の財産を売り払い、社員に給料を払い続ける。
会社を存続させるため、ラジオの修理やタンクの清掃など 、何でもやる。


小説のタイトルになった海賊と呼ばれる所以は、戦前、油の販売を海で行っていたからである。当時の油の販売は縄張りが決められており、縄張りと関係ない海に手漕ぎボートに一斗缶を積んで関門海峡や瀬戸内海で漁船などに油を売ったことが海賊と呼ばれた。


鐡造が独立する資金は、鐡造が学生時代、息子の家庭教師をしたことで知り合う資産家、日田重太郎という男が無償で出してくれる。
現在では考えられないようなことだが、戦前の資産家は、見込んだ男に何の見返りも要求しないで、援助するようなことがあった。


戦後、再び石油を扱うようになった鐡造は、日本の既得権を持つ大手石油会社や西欧のメジャーをも向こうに回して一歩も引かない戦いを挑む。
こんな男が日本にいたことは、驚きだし、日本の石油事業を西欧のメジャーから守り抜いたことが日本の繁栄を築くもとになったと言える。
日本は石油を求めて戦争を起こし、石油がないために戦争に負けた。
安定した石油の確保は、日本の平和と繁栄には不可欠のことである。
鐡造は、社員に儲けろとは一言も言わなかった。常に日本のためという信念が彼を動かしていたのである。


将来、日本にこんな実業家が現れるだろうかと思う。
昭和28年に起こった日章丸事件がこの物語のクライマックスである。
鐡造は、戦後建造した日本一のタンカー日章丸をイランに向かわせる。
イランの油田は、英国が不当に権益を主張する。
イランの石油を積みこんだイタリアのローズ・マリー号が英国によって拿捕されるという事件があった。
経済封鎖されたイランは困窮するが、イランの石油を扱うという国や企業はそれまで、どこにもなかった。
日章丸は英国の裏をかき、イランのアバダン港へ到着し、イラン国民に大歓迎される。
イランと日本の希望を託された石油を山積みした日章丸は、アバダンを出港し、英国の監視を巧みにすり抜けて川崎港へと帰還する。
英国は裁判を起こし、石油の権利を主張するが、のちに訴えを取り下げることになる。
もし、石油を山積みした日章丸が拿捕されていれば、出光興産は倒産していたかもしれない。


今では当たり前になっている中東との石油の直接取引だが、この日章丸事件以前はメジャーを通して石油を買っていたのである。
まさに日本のその後のエネルギーを防衛したある意味、戦争のような出来事だったと言える。
もし、鐡造がいなければ、日本の石油はメジャーの傘下におさめられ、日本のエネルギー防衛を困難なものにしていたかもしれない。
鐡造は日本のエネルギーの安定供給と独自供給を成し遂げたことになる。


鐡造はタイムカードも出勤簿もなく、常に社員を信用し、尊重した。
社員は家族であると鐡造は常々言っていた。
最後に昭和56年1月、80歳を過ぎた鐡造の最後の文章を紹介する。
『日本人は戦争に負けたのではない。あまりに日本人が道徳的に廃頽し日本の、民族性を失っておるから、なみたいていの事では目がさめないので、天が敗戦という鉄槌を加えられたのである。これは天の尊い大試練である。だから愚痴を言わず、三千年の歴史を見直し、直ちに再建にとりかかれ』


日本の平和な発展に間違いなく多大な貢献をした偉人の物語である。


大島渚

2013-01-17 23:08:20 | 映画

巨星大島渚監督逝く
心からご冥福をお祈りします。
大島渚監督作品はそれほど観たわけではないが、最初に観たのは名画座で観た『愛のコリーダ』
阿部定事件をモチーフにした作品
日本では猥褻にあたるとして論議された作品である。
僕が映画館で観たこの映画の印象は
やたらぼかしが多い
ということだった。
ぼかしが多いため、かえって猥褻感が増し、作者の意図した主題が伝わらなかったのではないかと思う。
少なくとも、日本では、ノーカットで観る機会はあまりないと思う。
本当のよさはわからないのかもしれない。


同じく学生時代に観た映画が『戦場のメリークリスマス』
男の友情や、友情以上の感情を戦場という極限状況の中で描いた異色作。
主な登場人物は全て男性
敵と味方という関係でも、友情やそれ以上の感情が芽生えるのか?
想像もできない状況下での感情を丁寧に描いている。
坂本龍一やビートたけし、デビッド・ボウイなど、それまで演技とは無縁なキャスティングも話題になった。
でも、この映画で一番印象に残ったのは坂本龍一のテーマミュージックである。


何の番組かは忘れたけど、あるトーク番組で大島渚と野坂昭如が取っ組み合いのけんかをしたことを記憶している。
何にでも一生懸命になる人だったのだなと思う。


安らかに眠ってください。


成人の日

2013-01-14 17:10:27 | 過去の出来事

今日は成人の日
僕が二十歳だったときから、もう30年…


今日は関東地方は大雪
せっかくの成人式なのに、ちょっと残念な天気。
マンションの前でも振袖を来た人が雪の中記念写真を撮っていた。


僕が成人になったのは大学生のとき。
だけど、成人式には行かなかった。
大学は東京だったけど、住民票はまだ実家の浜松にあり、そのためにわざわざ帰省するのは面倒だった。
選挙が地元に帰らないとできないので、その後すぐに住民票を移したけど。


成人の日、何をしていたのかは憶えてない。
試験前だったので、あるいは勉強してたかもしれないし、友達と遊んでいたかもしれない。


あの頃の自分に何かメッセージを伝えるとしたら、どんなことを伝えるだろうか…
そんなことを考えてみた。
だけど、息子に普段言ってることとあまり変わらない…


今日、成人式を迎えた新成人のみんな、おめでとう!


1993年

2013-01-06 15:30:41 | 過去の出来事

2013年がスタートした。とりあえず無事に年を越せたことに感謝。
50代の最初の正月は、例年通り実家の浜松で迎えた。
当たり前のように変わらない正月を迎えるのも、あと何年あるだろう。


ふと、20年前のことを思い出す。
20年前は1993年
この年はJリーグが始まった年。
自民党がひっくり返り、細川内閣が発足した年でもある。
異常な冷夏で、米が不作となり、タイなどから緊急輸入したのもこの年だ。
北海道南西沖地震により奥尻島が津波の被害に遭った。
映画『ジュラシックパーク』が上映され、音楽ではTHE虎舞竜の『ロード』がヒットした。
ドラマでは『振り返れば奴がいる』や『高校教師』が高視聴率をマーク。
ナタデ・ココがブームになり、ジュリアナ現象が起きたのもこの年である。


この年の秋、僕は結婚した。
結婚するにあたり、当時直属の上司に仲人をお願いした。
その上司は、その日、僕を飲みに誘い、実は離婚したので仲人は引きうけられないと打ち明けてくれた。
当時は仲人を立てるのが当たり前だったが、仲人を探すのは大変だった。
結局、父が友人に頼んでくれた。


披露宴は東京駅近くのホテル。
親戚のほとんどが東海道新幹線を使うため、東京駅の近くが便利だと考えた。
そのホテルは、いまでは百貨店になっている。