まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

伊勢湾台風

2019-10-26 23:30:03 | 過去の出来事

今年は伊勢湾台風から60年目にあたるそうだ。
1959年、9月26日に潮岬に上陸した台風16号は。紀伊半島から東海地方に甚大な被害を及ぼした。伊勢湾沿岸の被害が特に大きかったため、『伊勢湾台風』と呼ばれている。犠牲者は5,098人(死者4,697人、行方不明者401人)にのぼったそうだ。

母が若い頃、伊勢湾台風の被害に遭っている。
当時、母が住んでいた名古屋の家の2階。窓ガラスを強風が叩きつけ、ガタガタと大きく動く。母は懸命に窓を押さえていたが、あまりにも風が強く、いつまでも押さえておけないと思い、窓から手を離した。次の瞬間、風で窓ガラスが割れて、後ろの壁に突き刺さったそうである。手を離してすぐに窓の近くから離れたのが幸いしたが、母は一歩間違えれば大けがを負っていたところである。


その後も母は台風を恐れる。台風が近づくと窓の雨戸を全部閉める。
以前、出窓のために雨戸がない窓を心配して、マットレスを立てかけると言い出した。
「今時の窓ガラスは簡単に割れないから」と言って、さすがにマットレスを窓に立てかけることはしなかったが、母にとって伊勢湾台風の記憶はあまりにも怖かったのだと思う。


避難所でのホームレスの対応について

2019-10-20 19:47:56 | 社会問題

台東区の避難所でホームレスを受け入れなかったことが問題視されている。

台風19号が接近中の12日夜、台東区の避難所が住所不定の男性2人に対し、受け入れを拒否したと伝えられている。このうちの一人の男性は避難所に到着した際、住所と名前を書くよう求められた。住所がないと男性が伝えると、「区民対象です」と受け入れを断られたという。男性は、「『北海道に住所がある』と説明したが、『都民のための避難所です』と断られた」と話している。
この男性はこの晩、建物の軒下でビニール傘を広げて過ごした。「風が強く雨も降っていた。受け入れてもらいたかった」と語っている。

安倍首相は15日午前の参議院予算委員会でこの件についての質問を受けた。
「避難所は、災害発生後に被災者の生命身体などを保護するために、被災者が一時的に生活を送るために、設置されたものであり、各避難所では避難したすべての被災者を適切に受け入れることが望ましい。関係自治体に事実関係を確認し、適切に対応していく」と述べた。
そう述べるのは世論の手前当然ではある。

ホームレスは体臭など、周辺の避難民に不快な思いをさせる可能性がある。イヤな思いを避難民にさせたくないという現場の判断は全く理解できないわけではない。
問題は、ホームレスが避難所に来た場合の対処法を予め決めておかなかった事だと思う。
上野公園には普段からホームレスも多く、当然災害の時はホームレスの人たちが避難所へ来ることは予想できたはずである。その対応を現場に任せたことが問題である。予め、受け入れを決めておけば、現場でも決定通りの対応をしたはずである。
受け入れなかった現場の職員が非難されているが、それは違うと思う。

今年1月の厚生労働省調査によると、日本全国には現在、4555人の住所不定者がいる。うち4253人が男性、171人が女性である。
災害などの際、こういった底辺の人たちのことをいかに行政が考えていないかということである。同じ避難場所ではなく、別の場所に誘導するなど、普段から考慮していれば、対策は立てられたはずである。


台風一過

2019-10-13 20:32:05 | 日記

台風19号は伊豆半島から上陸し、関東地方を直撃した。3連休の初日はどこへも出かけられず、自宅で一日中過ごした。
埼玉県に大雨特別警報が発令されたのは初めてだと言う。入間川の支流である越辺川が氾濫し、川越市にある特別養護老人ホームで高齢者などおよそ260人が取り残され、警察や消防がボートを使って救助活動が行われた。
長野の千曲川や東京では多摩川が氾濫し、東京の二子玉川が浸水した。
停電した世帯も多く、浸水した世帯も多数に登る。

被災した方々に心からお見舞い申し上げます。

我が家では被害はなかったが、マンションの裏の道は川のように水が流れていた。
ここはゲリラ豪雨でよく川のように水が流れるが、水位はそれほど上がらない。

心配したのは停電だが、それもなく、次の日は嘘のように晴れ上がった。
夜には月の輪がきれいに見られました。
何事もなく月を眺めることができたことに感謝です。


所沢市の人口

2019-10-06 00:22:24 | 社会問題

埼玉県所沢の人口は令和元年9月末時点で 344,331人。市のホームページによると統計を取り始めた昭和30年は56518人だったので64年の間におよそ7倍に増えたことになる。
昭和40年代の初めは1割近くも増加している。高度成長期、次々と住宅が建てられ、市に多くの人々が移り住んできた。所沢市にはいわゆるマンモス団地が多く、若い世代を中心に結婚後、家賃の高い都内から移り住んできたと思われる。住宅の一次取得も多かっただろう。
そこで子を産み、家族が増えることで、人口も増えてきた。年々増加してきたが、近年は微増であり、平成25年と26年、そして平成29年に前年を割り込んでいる。1世帯当たりの人口も昭和40~50年代は3人を超えていたが、その後3人を割り込み、平成30年には2.16人となっている。
20年の間に、市の中心部にはタワーマンションが次々と立ち、最近では所沢駅の駅ビルも近代的に改築されている。見た目では成長している都市のように映るだろう。
だが、所沢市は人口がほぼ増えない都市となってしまった。
日本は人口減少が続いているので、不思議はないのかもしれないが、埼玉県の人口はまだ増え続いている。
県内ではさいたま市、川口市に次いで3位の人口だった所沢市だが、川越と越谷に抜かれ、今では県内では5位の人口となっている。
何故、所沢は他の埼玉県の都市と比べ人口が増えないのだろう?
ひとつには、早くに人口が増えたため、子供が成長し、都内などの県外で暮らし始めたという事はあると思う。また、住宅の一次取得についても、都内にマンションが多く建ち、バブル崩壊以降、値段も手ごろになってきたので郊外で取得する必要がなくなった。
所沢に住む家族も、よりゆったりとした家を求め、さらに郊外へ引っ越す人も増えているだろう。
所沢市はかつて、都心までそれほど時間もかからないちょうどいい郊外の都市だったが、今では逆に中途半端な郊外の都市となってしまったのではないだろうか。
街はきれいだし、電車の便もよく、適度に都会で、自然に触れ合えるところにも近い。住んでみるとなかなかいい街なのだが…

今日は所沢市の市長選である。
魅力的な都市として再び住む人を増やすことができるのか、それともこれからはさびれていく一方の都市となるのか? 新市長の手腕に期待したい。