強い雨がフロントガラスに音を立てて落ちている。雨は前に停車している車のテールライトによって赤い色に染められていた。
落ちてきた大量の雨水をワイパーが左右に振り分けている。
そろそろ息子が塾から帰る電車の時間だが、駅へ続く道路は渋滞中である。
反対側の歩道を傘をさして家路を急ぐ人が街灯に照らされている。この先道路は右へのカーブとなり、右手に駅がある。
こんな雨の日は、決まって姉のことを思い出す。
小学生のとき、2つ上の姉は事故で亡くなった。
僕が4年生、姉が6年生の夏休み前のことだった。
ひき逃げだった。
姉が塾から帰る途中、ものすごい夕立に見舞われた。
雨の中、傘もないまま帰宅する途中に姉は車にはねられた。
倒れているところを通行人が見つけ、救急車で病院に搬送されたが、間もなく息を引き取った。
見通しのいい通りだったが人通りは少なく、目撃者もいなかったため、犯人はその後も見つからなかったと聞いている。
警察の話では大雨でドライバーの視界が悪くなったことが事故の原因の一つだろうということだった。
しっかり者で優しい姉だった。
悲しくて、その年の夏休みは何をする気にもなれず、ずっと泣きながら過ごしたのを覚えている。
「傘は持って出てるけど、強く降ってきたから、車で迎えに行ってあげて」
夕食のあと妻からそう言われ、小学生の息子を迎えに車で駅へ向かった。雨あしは段々と強くなっていく。
渋滞はしばらく解消されそうになかった。同じように駅に迎えに行く車が多いのだろう。
時計を見て舌打ちをした。
電車の時間は過ぎてしまっている。
車はやっとノロノロと動き出し、駅の近くのカーブに差し掛かっていた。
ふと、反対側の歩道に、傘をさして息子が歩いて来るのが見えた。
ドアウィンドーを開けた。雨が降りこんできたがかまわずに、息子の名前を大声で叫んだ。
息子は声に気がつき、左右を見て、道路を横断し始めた。
その時、反対車線のカーブを曲がって来る車。かなりのスピードだ。
「危ない!」
車が息子に迫る。
車は急ブレーキをかけるが、間に合わない!
次の瞬間、少女が飛び出してきて息子を突き飛ばした。
車は、大きな追突音とともに少女をはね飛ばしていた。
少女をはねたあと、車は停止した。少女に突き飛ばされた息子は間一髪車にはねられるところを逃れていた。
僕はあわててドアを開け、事故があった車線に飛び出していた。
少女をはねた車のドライバーも車から出てきていた。
はねられた少女の姿は僕からは見えない。ドライバーが少女を探すように辺りを見回している。
僕は倒れている息子のところに駆け寄った。
「大丈夫か?」
抱き起こすと、息子は顔を強ばらせていたが「うん」と小さな声で答えた。幸い怪我はなさそうだ。
「怪我はありませんか?」
降りてきたドライバーが話しかけてくる。
「息子は大丈夫のようです、女の子はどうです?」
「それが、どこにも見当たらないんです」
辺りを見回したが、少女の姿は見えない。
体が隠れる場所はないし、それほど遠くにはね飛ばされるようなことはないはずである。
ドライバーの言う通り、少女の姿は消えていた。
だが、少女がはねられるのを見たし、追突音も聞いた。少女をはねた車の前は凹んでいるのだ。
間違いなく事故はあったはずである。
ドライバーも僕も、訳が解らないままその場に立っていた。
現場を先頭に反対車線でも渋滞が始まってきていた。
「おとうさん」
息子が、道路の上を指差した。
そこには、小さなひも付きのくまのぬいぐるみが雨に濡れていた。
ひもをつまんでヘッドライトに照らしてみる。
「車にあるのと同じだよ」
そのぬいぐるみは僕が小学生のとき、母が僕と姉にお守り代わりに作ってくれたお揃いのものだった。
なぜ、それがここに!
僕のぬいぐるみは今でも車の中に吊るしてある。
あの少女が落としたものだろうか?
もしかしたらこれは、事故のあと見つからなかった姉のぬいぐるみでは。
ということは、さっきの消えた少女は・・・
姉は時を越えて僕の息子の身代わりになってくれたのだろうか。