「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」の童謡などで知られる作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)さんが12月3日、菌血症で死去した。94歳だった。
「サッちゃん」は恐らく日本人が最初に触れる別れの歌である。
歌詞は3番まであり、3番の歌詞は少し切ない。
① サッちゃんはね サチコっていうんだ ほんとはね だけど ちっちゃいから 自分のこと サッちゃんって呼ぶんだよおかしいな サッちゃん
② サッちゃんはね バナナが大好き ほんとだよ だけど ちっちゃいから バナナを 半分しか 食べられないの可哀相だね サッちゃん
③ サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって ほんとかな だけど ちっちゃいから ぼくのこと 忘れてしまうだろ寂しいな サッちゃん
このあと、続編を考えた。
④ サッちゃんがね 高校生になったんだ ほんとだよ だけどちっちゃいときの 僕のこと 憶えてないよね 悲しいな サッちゃん
⑤ サッちゃんにね 手紙を書いたんだ ほんとだよ だけど返事はないから 僕のこと 忘れてしまったんだね 切ないな サッちゃん
⑥ サッちゃんがね 大人になったんだ ほんとにね だけど 会いたいから 僕はサッちゃん探すんだ 待っててね サッちゃん
⑦ サッちゃんをね 遠くから見かけたんだ ほんとはね だけど勇気がないから 僕は声をかけられないんだ きれいだね サッちゃん
⑧ サッちゃんがね 結婚するってほんとかな だけど幸せだから 僕のこと頭にないんだろ さようなら サッちゃん
我輩はカップめんである。名前は『カップヌードル』多くの仲間と共に工場で誕生した。
その後トラックに揺られ、スーパーに並べられている我輩を手に取ってくれたのがこの家のご主人である。縁があってこの家庭にやって来た。台所の棚で静かに出番を待っていたが、やがてその時がやって来た。
そして、何の予告もなく熱湯をかけられる。熱湯をかけられてからの寿命はたった3分である。
最後に小さな花を咲かせ、役目を終える。役目を終えた後は満足してくれたかどうかは分からない。我輩はすでに胃の中である。それでもご主人の食後の満足顔を期待しながら短い一生を終える。
今度生まれ変わった時はこんなおっさんではなく、若い女性の口に入りたいと心底願うのであった。
9月26日から11月26日まで上野の東京国立博物館で開催されている『運慶展』を見てきた。
運慶は平安時代から鎌倉時代の激動期に活動した。現在運慶の作品は31体が残されているが、今回はそのうち22体が集結し、運慶の父や息子などの関連作合計80点余りが展示されている。
運慶の作品がこれほど多く集結するのは初めてである。
『トイストーリー』の世界観のように仏像たちが人がいなくなった館内で動きだし、おしゃべりをしていたとしたらどんな会話を交わすだろう。
ちょっと想像してみた
大日如来「えー わたくし大日如来は運慶の最初の作品と言われています。地元東京からやってきました。800年も人前では座ってます。ちょっと立ってみたいな。よっこらしょ…」
阿弥陀如来「わたしもずっと座りっぱなしです。初めまして、不動明や観音菩薩ら6人で神奈川から来ました。鎌倉があったところなので仲間が多いんですよ」
毘沙門天「このたび静岡から来ました。毘沙門天です」
餓鬼A「おい、毘沙門天、ずっとオレ踏まれてるけど、そろそろ足どけてくんねえかな」
毘沙門天「あ、これはすまない」
餓鬼B「オレたち何にも悪いことしてねえのに800年も踏まれっぱなしだよ」
毘沙門天「おたくはどちらから?」
聖観音菩薩「愛知から1人で来たでよ、仲間がいっぱいおって嬉しゅうてかんわ。それにしても向こうで騒いでる小さいのは何ですか?」
重源上人「あれは和歌山から来た6人の童子たちですがな」
聖観音菩薩「生意気そうな顔してますなあ」
重源上人「申し遅れました。奈良の東大寺から来ました。いっつも大仏にでかい顔されてますけど、しばらく顔合わせへんからせいせいしますわ」
仏頭「みんな胴体があってよろしいなあ」
重源上人「あら? 仏はん、首だけになってしもて、胴体どないしはりましたん?」
仏頭「江戸時代の火事で焼けてしもたんや」
重源上人「そら、災難やったなあ…」
仏頭「こっちにおる二人のお坊さんは同じ興福寺から来た無若と世親や」
無若「二人とも胴体があってよかったですわ」
世親「仏はんも顔だけやのうて胴体も残っとったら重要文化財やのうて国宝やったかもしれませんなあ」
仏頭「それを言わんといて」
な~んて話してるかも。(^_^;)