週刊新潮の6月6日号で「コロナ」闇の奥と題した特集が組まれている。
小池都知事批判の一連の特集記事の中で、『以前の自粛で事足りた』という小見出しを付けた一節がある。日本の心臓たる首都の、経済という血流を止めてまで、感染対策は徹底するべきものだったのか。京大大学院医学研究科非常勤講師の村中璃子医師は、
「基本再生産数を2.5として3月の初めに提示された当初の流行予測モデルでは接触8割を達成できなければ、日本もニューヨークのように流行爆発すると言われていました。しかし、4月22日の発表では、平日の都市部では6割台の減少しか達成できていなかったのに、そうはなりませんでした。3月14日時点で2.6だった東京の実効再生産数は4月10日の時点ですでに0.5。最初の流行予測モデルが間違っていたことになります」
京大ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授も、こう説く。
「専門家会議の資料を見ると、緊急事態宣言が出される前の3月27日に、流行がピークアウトしていたことがわかる。緊急事態宣言は過度な対策で、それ以前の自粛で事足りていたことになります。また、広がるのは接触感染か飛沫感染で、人が吐いた息や飛沫からの感染は、一定以上の量を浴びたり、相当長時間密閉された換気の悪い室内にいたりしない限り起こらないと考えられます。感染経路不明の感染者が大勢いる、という反論が出るかもしれませんが、本人に心当たりがあっても、たとえばそれが風俗などなら正直に調査するでしょうか…」
また、口うるさく問われるソーシャルディスタンスも俎上に載せる。
「マスク着用の習慣がなかった欧米で重視されているもので、マスクをしていればソーシャルディスタンスを保つ必要はない。満員電車でクラスターが起きないのはそのためです(中略)過剰な自粛が強いられているのは、感染者が出たっときに政治家や役人が責任をとりたくないからで、みな欧米のソーシャルディスタンスの考え方にひきずられ、新型コロナがとてつもなく怖いと洗脳されているかのようです」
国立感染症研究所の推計では、今季のインフルエンザの推計患者数は、過去10年で最小だったが、それでも728万人になる。因みに昨シーズンは1200万人超。致死率が約0.2%とすれば、今季の死者数は約14560人。
新型コロナだけに目を向け恐れるのはいかに愚であるか気づかされるであろう。と結んでいる。
しかし、インフルエンザと違い、新型コロナにはワクチンや治療薬がない。6月6日現在の国内の感染者数は17826人(ダイヤモンド・プリンセス号を除く)であり、死者数は917人である。致死率はおよそ5%だ。もし、今季のインフルエンザ並みに感染者が出ていたとしたら、死亡者数は約364000人に上る計算になる。医療崩壊が起こり、他の病気や怪我の治療が満足に行われず亡くなる人も増えるだろう。
僕は週刊新潮の記事には賛同はできないと思う。緊急事態宣言はやむを得なかったのではないかと考える。
映画化されたと聞き、原作全12巻(2019年5月現在)を買ってきて一気読みした。かわぐちかいじ作品は『沈黙の戦艦』をかつて夢中で読み、面白いだろうなとは思っていた。
民間人を装う中国人が日本の尖閣諸島の南小島に上陸し、「この島は中国の領土であり、中国本土の船舶を待つ」と主張する事件が勃発する。日本政府は中国に屈する形で事態を収拾するが、この事件をきっかけに空母を中心とした護衛艦隊群の創設を柱とする『ペガソス計画』の前倒しを図る。翌年4月、中国軍は、突如として日本への侵攻を開始する。与那国島や尖閣諸島を制圧し、住民を人質に取り、尖閣諸島を中国領と認めるよう日本政府に要求してくる。自衛隊初の戦死者を出し、中国との話し合いによる解決が図れないと見た日本政府は垂水総理大臣により、防衛出動が発せられる。
「いぶき」は前線へと急行するが、中国も日本の防衛出動に対抗し、新型空母「広東」を先島諸島へと向かわせた。日中両政府の交渉は決裂し、ついに実力行使による領土奪還作戦が開始される。
リアルな描写がぐいぐいと引き込まれる内容のコミックである。
原作のあまりの面白さに、映画『空母いぶき』を早速観に行った。
映画では中国ではなく、「東亜連邦」という架空の国家による日本への侵攻という設定に変更されていた。激しい戦闘の描写は映画的で見応えはあるが、その対比として描かれていたコンビニの話には少し疑問符が付く。
コミック『空母いぶき』と映画『空母いぶき』のストーリーは大きく違っており、物語は別のものとしてみる必要がある。別のものとしてみた場合、映画もよくよくできたスペクタル作品として一定の評価はできるのかもしれない。
手塚治虫といえば、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』に代表される少年向けのマンガで有名だが、青年向けのマンガでも、クオリティの高い作品が多く発表されている。
中でも特に傑作だと思うのが『人間昆虫記』。女性版ピカレスクの異色作品である。「プレイコミック」に1970年から翌年にかけて連載された長編マンガだ。
主人公の十村十枝子が処女作『人間昆虫記』で芥川賞を受賞するところから物語は始まる。きらびやかな授賞式が行われている同じ時間、別の場所で臼場かげりという女性の首つり姿が発見される。実は『人間昆虫記』は臼場かげりの作品で、十村十枝子がそれを盗作したものだったのだ。臼場かげりは自殺ではなく、十村十枝子が人を使い自殺に見せかけて殺害していたのである。
十村十枝子は女優、デザイナー、そして作家と、次々と姿を変える。あたかも昆虫が脱皮を繰り返すかのように。だが、それは自分のものは一つもなく、全てが盗んだものだったのだ。
やがて、屈辱を受けた大企業の重役夫人になり、巧妙に復讐を遂げ、夫を自殺に追い込むのである。
全てを手に入れた十村十枝子にも、たった一つ、手に入れられないものがあった…
先日車椅子の物理学者、スティーブン・ホーキング博士がお亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈りします。
30年以上前に読んだ本を本棚の奥から引っ張り出す。
博士の来日に合わせて日本でも出版された。
内容についてはほとんど記憶していなかったので読み返してみる。
本書は宇宙の起源やブラックホールなどの謎について一般の人にも解りやすく書かれてある。
はずであるが、たいして解りやすくはなく、睡魔と闘いながらページを追う。
博士は相反するニュートンの量子力学とアインシュタインの相対性理論の統合理論を目指した。統合理論が完成されたという話は聞かないが、宇宙の謎に英知を駆使して果敢に挑戦したことは本書からは伝わってくる。壮大な試みへの答えを懸命に探した博士を引き継いだ学者は多いと思う。
因みに府中は東京の都市です。