まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

曼珠沙華

2011-09-24 23:41:38 | プチ観光名所

秋分の日、埼玉日高市にある巾着田に曼珠沙華を見に行った。
100万本の曼珠沙華が紅い絨毯のように群生していて、毎年のように出かける。
西武線高麗駅から徒歩15分、ちょうどいいハイキングコースである。
今年は開花が遅れていて、全体の7割ほどがまだ蕾。でも早咲きのエリアでは、綺麗に咲いていた。
曼珠沙華、普通はマンジュシャゲと言うけど、山口百恵の歌ではマンジュウシャカと言っていた。
花は綺麗だけど、球根には猛毒がある。
昔、埋葬した場所に動物に掘り返されないように、猛毒をもつ曼珠沙華の球根を植えたときいたことがある。
お彼岸に咲くから彼岸花とも言われる。何となくこの花にふさわしいように思う。









「死の町」発言は本当に不適切だったのか?

2011-09-21 19:44:24 | 時事問題
今週の『週刊朝日』に主題の意味の記事が掲載されていた。
鉢呂前経産相が語った失言の一部始終と題し、独自の視点で書かれているところが面白い。
鉢呂前経産相は福島第一原発周辺を9月9日の記者会見で「死の町」と表現したことに端を発し「放射能つけちゃうぞ」などの失言騒動で、僅か9日で辞任に追い込まれた。
同誌の記者が鉢呂前経産相にインタビューをして、記事にまとめている。
現在も警戒区域となっている双葉町や大熊町をバスで回ったとき鉢呂氏の目にはそのように映ったのだという。
「ついさっきまでここでふつうの生活が行われていたようだった。にもかかわらず、人間がいない。ぼくの乏しいボキャブラリーでは『死の町』という表現しか思い浮かびませんでした」
この会見での『死の町』という言葉が独り歩きしていく。実際はどのような文脈で語られたのかを報じるメディアは少ないが、鉢呂氏は「福島の再生なくして日本の再生はない。除染対策など今の困難な事態を改善に結びつけていくことができる」という話しも会見では述べているのだ。
同誌では「死の町」という表現の何が不適切なのかと書いている。
人の姿が全くない市街地を見て、そう感じるのは自然であり、被災者への配慮を錦の御旗に、発言が誰にとってどう不適切なのかを説明せず、決めつけて揺るぎないメディアにこそ疑問をもつと続く。
さらに不可解なのがその後に報じられた「放射能つけちゃうぞ」発言。
これは鉢呂氏が「死の町」発言をする前日の8日夜、議員宿舎で囲み取材に応じた際に「放射能をつけちゃうぞ」と発言、近くにいた毎日新聞の記者に防災服の袖をこすりつけるような仕草をしていたというものだ。
「死の町」発言のあと、テレビや新聞で報じられた。
ただ、この報道にも同誌は疑問を呈している。
当事者である毎日新聞は1面で「『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」と書いているが、記者が直接聞きながら「趣旨」と書くのは不自然。読売は「ほら、放射能」朝日は「放射能をつけちゃうぞ」など、表現も社によって異なり、事実関係がはっきりしない。鉢呂氏に真意を確認した形跡もない。
インタビューで、鉢呂氏は、そんな発言をした憶えはないと述べている。
「福島のみなさんに不信感をもたれてしまった以上、続けることはできません」
鉢呂氏は辞任を決意する。
「放射能つけちゃうぞ」発言の真偽は僕にはわからない。だが、もし鉢呂氏の言うことが正しいとするのなら、メディアは誤報道をもって一人の閣僚を辞任に追いやったことになる。
鉢呂氏の手腕がどの程度かは、結局解らないままだったが、最後に彼はこんなことを話している。
原子力政策をめぐり、経産省に煙たく思われたのかもしれませんと…


9.11

2011-09-12 19:56:07 | 過去の出来事
ニューヨーク貿易センタービルのテロから10年が経つ。
衝撃的な出来事だった。
アメリカ人には申し訳ないけど、この日は我が家ではケーキを買ってお祝いする。
10年前のこの日、休日だったと記憶している。土日だったか有休だったかは覚えてないけど、飛行機が突っ込み、ビルの崩壊までをリアルタイムでテレビ中継していた。
この日は僕の誕生日だ。
9月11日は世界的にテロのあった日として記憶されることになる。
何となくそれが嫌で、テロを帳消しにするくらいの、何かいいことがこの日に起こらないものかと、ずっと思い続けてきたけど、10年間、特に何もなくこの日は過ぎていった。
10年前、息子はまだ幼稚園、園児が積木をテロだと言いながら壊す遊びが問題になったときいた。
人生は何が起こるかわからない。
とりあえず、今生きていること、何とか仕事が出来て、家族が元気でいることに感謝。



東京タワーの歴史と今後の役割

2011-09-05 23:11:11 | 雑学

夏休み明けに提出する息子の中学の卒業研究論文が完成した。
必ず取材をすることになっており、テーマは生徒が自由に決められるが、同じテーマにすることは不可。
息子が選んだテーマは『東京タワーの歴史と今後の役割』
取材先は日本電波塔株式会社の総務部
取材した内容に、本やネットで調べた内容を加え、まとめてある。


地上デジタル放送がスカイツリーに移行したあと、東京タワーはどうなってしまうのか?
そんな素朴な疑問から始まり、これまでの歴史を調べてまとめている。
東京タワーの完成以前は、各放送局はそれぞれ鉄塔を建てて、バラバラに電波を送っていたらしい。チャンネルを変えるたびにアンテナの向きを変える必要があるため、非常に不便であった。全ての放送局の電波を一箇所から送るために東京タワーは建設された。
333メートルという高さは、関東全域に電波を送ることが出来、風などでアンテナが揺れることのない高さなのだそうである。
工事は1年半ほどかかり、4000トンの鉄が使用されたが、朝鮮戦争後に廃棄された米軍の戦車のスクラップが一部使用されている。このことはイメージダウンになるため、しばらくは伏せられていたそうである。
東京タワーの色は、航空法で60メートル以上の鉄塔は赤と白に塗り分けなければならないという規定があったため、この色になった。
その後、航空法が改正され、現在ではその規制が無くなったため、スカイツリーは赤と白に塗り分けなくてもよくなった。
東京タワーの照明は以前はタワーの輪郭に沿ってポツポツとイルミネーションが灯っていたが、30周年記念として、国際的に有名な照明デザイナーである石井幹子にデザインを依頼し、今に至っている。
現在までの来塔者数は1億6000万人。さまざまなイベントが年間を通して行われている。大展望台ではステージなども行われおり、タワー下のビルでは、展示会が行われている。現在はNHK大河ドラマの『江展』をやっている。特別展望台で結婚式を挙げたカップルもいるそうだ。結婚式は開業以来この一組だけだそうである。
現在、テレビ放送とFM放送を東京タワーから発信している。平成24年からスカイツリーで1年間の試験放送をえて、平成25年1月から本放送を開始する予定である。
テレビは全てスカイツリーに移行されるが、FMは一部東京タワーに残る。
また、スカイツリーにトラブルがあった場合の予備電波塔として、放送設備はそのまま残すことになっているらしい。
テレビやラジオの電波発信以外にも東京タワーには役割がある。
大規模地震を想定して、東京圏で運行する列車の防護のために、緊急停止信号を発射するJR東日本の防護無線用アンテナが設置されているほか、大気汚染等の調査のため、東京都環境局の様々な測定器が設置されている。
テレビ局がスカイツリーに移行すれば、収入は低くなってしまうが、イベントなどのアイデアを出し、観光収入でカバーしていく予定で、東京タワーが解体されることはないそうである。


取材のあと、息子は展望台のチケットを担当の方からもらい、初めて東京タワーに登った。
中学生相手に親切に対応してくださった担当の方、本当にありがとうございました。