所沢多聞院の紅葉が見ごろです。
会社での朝、「自衛隊音楽まつり」のチケットをもらった。
その日の夜7時から。
どんな内容か知らなかったけど、絶対に見て損はないと言われた。
仕事を早く切り上げて、武道館に出かける。
チケットは自由席、ぎりぎりだったので、座った席は端っこの後ろの方。
客席は満員、人気の高さが伝わってくる。
料金は無料だが、はがきで応募する必要があり、競争率は10倍ほどだそうだ。
防衛大臣の挨拶、国歌斉唱のあと、プログラムが始まる。
ロンドンオリンピックでメダルをとった自衛官4人も挨拶に駆け付けてくれていた。
各地区の音楽隊が順番に演奏を披露していく。
一糸乱れぬ吹奏楽のグレードの高さに、まず驚かされる。
米軍の音楽隊も参加し、場を盛り上げてくれる。
ロンドンオリンピックに因み、「炎のランナー」から始まり、知っている曲も多いので、すんなり入っていくことが出来た。
沖縄のエイサー隊のパフォーマンスもあり、「涙そうそう」などの曲目も。
案外、ボーカルがしっかりしていることにも驚かされる。
一番驚いたのは自衛太鼓と呼ばれる和太鼓の演奏。
大小の和太鼓が会場いっぱいに埋め尽くされ、その迫力には圧倒される。
武道館の天井が落ちてくるのではないかとおもうくらいの迫力がある。
最後はゆずの「虹」で締めくくられ、プログラムは終了。
とっても、楽しめる内容で、人気の高さにもうなずける。
「行って損はない」という言葉に、まったく嘘はないと感じた。
あっという間の2時間だった。
俺、僕
気分によってはその中間のこともある。
その中間の言葉はないので、使うときは過半数的な気持ちや立場を代表する一人称を選ぶことになる。
学生時代、一人称を自分と言ったり、わしという人がいた。
広島ではわしと言うらしいが、東京ではそれは抵抗がある。
かと言って俺や僕はもっと抵抗があるので、自分と言っていたらしい。
わしと言っていた人は、抵抗があっても使い続けたわけである。
一人称で、最初に僕という一人称を使った人は高杉晋作だと言われている。
上品で当たり障りはないけど、何となく意思を通す力強さに欠ける感じがある。
対して、俺という言い方は中のいい友人にはいいが、少し上から目線な感がある。
日本語は時と場合、あるいは気分によって様々な一人称があり、難しくもあるけど、面白くもある。
英語では全て「I」 簡単でいいが、微妙な一人称のニュアンスは伝わりにくい。
日本語は普段使わなくなった言葉も含めると、実に多くの一人称が存在する。
ざっとあげてみると…
わたし、わたくし、僕、自分、俺、わし、あたし、あたい、わい、わて、
わだす、うち、おいら、おら、おい、おいどん、うち、ぼくちゃん、ぼくちん
おれっち、おりゃあ、わたしゃ、あたしゃ、わしゃあ、おらぁ、当方
吾輩、それがし、朕、麻呂、われ、余(予)、小生、あっし、あちき、わっち
拙者、みども、やつがれ、手前、こちとら、こなた、俺様 等
昔より、日本では自らの気持ちや立場などを一言で言い表す様々な一人称が使われてきた。
こんなに多くの一人称の言葉が存在する国は、恐らく世界でも日本だけではないだろうか。