先日、静岡市内にある登呂遺跡を訪れた。
弥生時代後期の集落・水田の跡である。
再現されている竪穴式住居に入ると、外は真夏の炎天下にも関わらず、ひんやりとして心地よい。床は土間なので、ここへ敷物を敷けば、キャンプ感覚で一晩泊まるのも悪くない。蚊の対策のために締め切ったとしても、それほど寝苦しい夏の夜ではなさそうな住居である。藁は保温性も高いときいたことがる、冬は暖かいのだろうか。
藁ぶきの家屋は案外快適な空間を提供してくれていたのかもしれない。
住居に隣接して建てられている高床式倉庫もよく考えられていると思う。米などを保存するための倉庫だが、背丈より高い位置、柱の上に倉庫を建設してあり、湿気やネズミなどから作物を守っている。
稲作が行われるようになってから、人々の生活はずいぶんと変わっただろう。
主食を確保できるということは、飢えから解放され、それまで一日の大半を狩猟のために費やしていた時間が他のことにも使えるようになるからである。
哲学的なことを考えた人もいたかもしれない。歌を歌った人もいただろう。様々な遊びを考案した人、物語を考えた人もいたかもしれない。葉っぱを使って工作を楽しんだり、土に絵を描くのが得意な人もいただろう。
考えてみれば、農業の発明がその後の文化を創り出した根本なのではないだろうか…
だが、副作用もある。
保存された作物を狙い、村を襲う人間が現れたからである。
様々な調査から、狩猟時代より農耕が始まってからの方が武器は進化したという結果が得られている。
それが発展して戦争になり、今に至っている。