まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

沢田亜矢子

2014-09-27 13:57:10 | 過去の出来事

僕が高校のとき、朝の8時半から『ルックルックこんにちは』というバラエティ番組をやっていて沢田亜矢子がメーンキャスターをしていた。祝日のある日、この番組を観たのが僕が沢田亜矢子を知った最初である。

アイドルとは違う知的な大人の雰囲気を漂わせた彼女のすっかり僕はファンになってしまった。

でも、当時、テレビではこの『ルックルックこんにちは』以外での彼女の出演番組を知らなかった。今ではネットなどで調べられるが、新聞のテレビ欄などでも彼女の名前は他の番組には載ってなかったと思う。当時はテレビ雑誌もなく、まだビデオは高価な時代で、我が家にはなかった。

彼女を見るには。8時半からはじまるこの『ルックルックこんにちは』を観るしかないのだが、学校は8時半から。当時通学時間は自転車で10分くらいだったが、遅刻することは間違いない。

HRが15分くらいあるので、番組開始を観たあと、自転車を飛ばせば、授業には間に合いそうである。

ある日、少し寝坊した朝、沢田亜矢子を一目見ようと思い、遅刻覚悟で『ルックルックこんにちは』を観ることにした。

そんな時間になっても学校へ行かない僕を母はうるさく急き立てたが、何とかかわして番組を観ることに成功した。

オープニングが流れて沢田亜矢子が映ると、何とその日彼女は眼帯をしていた。

流石にゆっくり番組を観るわけにもいかず、その日はオープニングだけ観ると、すぐに家を出た。

何日か経って、彼女の目のことがきになり、再び遅刻覚悟でテレビを観る。

その時眼帯はしていなかったので、ほっとして学校に行ったのを憶えている。

学校でももちろん先生には叱られた。

まさか沢田亜矢子を見るために遅刻したとは言えず、単に寝坊しましたと答えた。

 

夏のテレビ番組で初期のアルツハイマーを疑われた沢田亜矢子

治療が可能なのかどうかはわからないが、このまま引退というのはとても残念に思う。

 

 


ブラックシリーズ商品

2014-09-21 20:23:42 | プチ観光名所

関越上りにある嵐山PAには一風変わったテーマの商品が並んでいる。それは、ブラックシリーズ。

エスプレッソを使った真っ黒なソフトクリームや食用の竹炭を使った真っ黒なカレーなどのブラックなシリーズを取りそろえ、味よりもインパクトのあるテーマで全国でも類を見ないブラックな商品をラインナップしている

あえてネガティブな黒という色を選んだところがなかなか秀逸である。

土産品も多数ご用意してある。ブラックサイダー、まっくろどぉなつ、ブラックカフェチョコ、まっくろブッセなど。

そういえばパーキングの建物も黒である。

黒い誘惑というほどの引力はないが、話のネタに立ち寄るのもいいと思う。

 

 

 

 

 


西武最下位

2014-09-13 22:39:47 | 野球

9月13日 

西武ドームで楽天戦を観戦した。

2年目の相内誠(登録名誠)が一軍初登板。どんなピッチングをしてくれるのか楽しみにしていたが、2回と3分の2、4失点でノックアウトとなった。

相内誠は家庭の事情で中学から児童養護施設で育ち、千葉国際高等学校では房総のダルビッシュと言われた逸材である。

2012年のドラフト2位で西武に指名されるも、無免許運転で千葉県警に摘発されていったんは入団を凍結された。

その後、入団が実現し、今年から登録名を『誠』に変更した。

試合は、その後のリリーフ陣も撃ち込まれ、西武は3対8で完敗、楽天と入れ替わりチームは最下位に転落した。

借金が16を数えるのは球団創設の1979年以来。

最下位転落をこの目で見る結果となってしまった。

すでに6年間優勝から遠ざかっている。

この試合では西武のメヒアがリーグ単独トップとなる31号ソロを放ち、ホームラン数で並んでいた同じく西武の中村、オリックスのペーニャとの争いから一歩抜け出したのが唯一の救いである。

次期監督候補に工藤公康や潮崎哲也2軍監督の名前があがっている。

今までは優勝できない年があっても、強いチームなのだから、次は優勝できると思っていた。だが、最近の西武の弱さは本物かもしれない。

今は若返りの時期でチームの立て直しの段階であるのかもしれない。

でも若いからこそ、負け癖がつくということもある。

かつての常勝軍団西武はなかなか戻って来ないかもしれないが、来年は優勝争いをするチームになってほしいと切に願う。


伝えられなかった言葉

2014-09-06 23:18:01 | 日記

昔、ある人にひどいことをしてしまったことがある。

ものすごい剣幕で叱られたので

「あれはわざとじゃなかった」

その一言がどうしても言えなかった。

機会があれば謝ろうと思っていた。

 

でも、その機会がないまま時が過ぎていった。

それから数十年後、その人はすでに他界されたことを知らされた。

「あのときはすいませんでした」

もう、この一言は伝えることはできない。

ほんとうは大好きだった。

そのことも、もう伝えられない。

 

今、伝えておかなければ伝えられなくなる言葉がある。

身近にいる人、少し遠くにいる人

謝罪の言葉、感謝の言葉

伝えるには少し勇気が要ることもある。

伝えないほうがあるいはいいこともある。

でも、伝えることができなくなったとき

その言葉は永遠に行き場を失ってしまう。

 

今日も誰かと会い、誰かと話す。

でも、その人と明日も会えるとは限らない。

当たり前のような瞬間を大切にしなければいけないと思う。

 

行き場のない言葉をこれ以上ふやさないように。