「へえ、サトシもダイビングやってるんだ」
独身の頃、僕はスキューバダイビングを趣味にしていた。
母と名古屋にある母の実家へ行ったときのこと、従兄弟のサトシと話していて、彼もダイビングを楽しんでいることを知った。
サトシは五歳年下で、二十歳を少し過ぎた若者だった。
大学には行かないで働いているせいか歳の割にはしっかりしている。
母の兄、つまり僕の伯父は僕がまだ小さいときに他界している。この家では三人の子供の父親代わりを祖母が務めていた。サトシは三人兄弟の末っ子である。
子供の反抗期の相手は伯母ではなく、祖母が一手に引き受けた。タフなおばあちゃんだと思う。
それからしばらくしたある夏の終わりの日曜日、当時一人暮らしをしていた都内のアパートで、僕はベッドに横たわり、借りてきたビデオを観ていた。穏やかな昼下がり、近付いていた台風はコースを反れて日本海に抜けていた。
「気をつけてね」
突然声がした。ふと気付くと、部屋の角にサトシが立っている。ダイビングスーツに身を包み、こちらを見ていた。
驚いて起き上がり、サトシに声をかける。
「いつ来たの?」
それには答えず、サトシはにっこり笑って音もなく部屋を出て行った。
「待てよ!」
あわててあとを追う。
1Kのアパートは6畳の部屋と3畳ほどのキッチンがあるだけだ。
戸を開けてキッチンを見るが、サトシはいない。
ドアを開けてアパートの廊下へ出てみる。やはりサトシはいない。
廊下を走り、アパートの外の道へ出て、左右を見るが、もう姿は見えなかった。
「サトシ!」
そう叫んだ声で目が醒めた。
つまらない内容の映画だったからビデオを観ながら居眠りをしていたようだ。
それにしても、リアルな夢だった。サトシが身につけていたダイビングスーツのデザインもはっきり覚えている。
少し気になり、名古屋に電話を入れてみる。
出たのは伯母だった。「サトシくんは元気ですか?」そうきいみた。
今日は朝早くからダイビングへ行ったとのことだった。
僕は何となく伯母に夢にサトシが出てきたことを話した。
叔母は黙って聞いていてくれたが、やがて笑い出し、また遊びに来るようにと話してくれた。
水を飲もうと、キッチンへ行くと、床が少し濡れている。
あれ…? どうして濡れてるんだろう?
嫌な予感がした。
サトシの事故死を知ったのはその日の夜だった。
母からの電話だった。
サトシは名古屋から同僚と二人で、ダイビングを楽しみに能登まで行った。
思ったより波が高かったが、以前から計画していたことでもあり、少し無理をして海へ入っていった。そして波にのまれ、二人は岸から遠ざかっていった。
一人はなんとか岸へたどり着いたが、サトシは帰らぬ人となった。
遺体は名古屋の自宅に戻されてあり、棺の中で眠っていた。
「サトシが身につけていたダイビングスーツはどんなデザインでしたか?」
「それなら、部屋にあります」
伯母はそう答えて部屋を案内してくれた。
部屋に入ると、ダイビングスーツが壁に掛けられてあった。
夢の中で見たデザインと全く同じものだ。
以前来たときに見せてもらった記憶はない。
家族にお別れを言いたかっただろうに、彼は僕の所へ同じダイバーとしてわざわざ東京まで寄り道をして、注意しに来てくれたのだ。
「不思議なことがあるもんだね」
伯母は、静かにそう言った。
それからしばらくして、僕は仲間数人とキャンプへ出かけた。
山間部の清流のすぐ横に車を止め、テントを張った。
夜、バーベキューのあと、みんなは疲れもあり、テントにもぐり込んで死んだように眠った。
ふと、気がつくと、高校時代の友人の部屋にいる夢を見た。
高校の時、何度も遊びに行った部屋だ。
彼はベッドで眠っている。
部屋の隅に僕は立っていた。
先日、帰省した時に、彼もときどきキャンプへ行くと言っていた。
清流の横にテントを張って寝るのが好きだと…
「気をつけてね」
僕は彼に、そう話していた…
大きな雨音で目が覚めた。
かなり強い雨が降っている。
テントから顔を出すと、暗闇から、低い濁流の音が聞こえてくる。
車まで走って行きヘッドライトをつけると、川の水位はすぐそこまで来ていた。
みんなを大急ぎで起こし、車に乗り込み、間一髪で難を逃れた。
あと、10分遅かったら、テントは濁流にのまれていただろう。
次の日、同じ川で濁流に飲まれて命を落とした人が何人かいたことをニュースで知った。
高校時代の友人から電話があった。
夢に僕が出てきたと言う。
「不思議なことがあるもんだね」
サトシのことを考えながら、僕は友人にそう話していた。