とある記事を読んでいて、もういい加減に「おじさん」「おばさん」とか
「男」「女」で分かり合えないように仕組む記事とか消え去ってくんないかな
なんてことを思っていたsachiakiです。
自分がどっちかも分かっていないで混乱したまま30近くまできて、
結局「女」なんだなってことを受けれ入れたものの
それでもよくわかんねーわ、ってなりながら世界と向き合ってる人間にとって
クソくだらねーよって声を大にして言いたいことの一つです。
なんていうかね、「男」っていうボディ「女」ってボディで生まれてしまったうえで
どうにもならない差は生まれてしまっているのは当然だし、
だからそういったところはカバーしていこうってだけだし、
それは「男」とか「女」だっていうものを超えて
苦手なものやできないものをフォローしあうことであって
大きなくくりでいえばジュネレーションなども含んだ
できる方ができない方をフォローすれば良いってだけの話で
わざわざ対立を煽るようなくだらねーもんじゃねーよってことですよ。
そんな中で今日目にした記事はさらにクソくだらなくて
むちゃくちゃイラついてしまったのですけれど、
「女」に生まれついてしまったがために受ける
上司や目上の人の接待役みたいなのもハァっ?って思うものはあるけれど
でもそれは別にいいやって思ってるし、
若い男の子も同じように接待させられてるし、
たんに強いもんが弱い立場に対して甘えているだけだから
それだってクソがって思わなくもないけれど
目上や強いものにお伺いを立てて生きるのも生存戦略だって思えばこそ
自分が強くなりゃ良いだろって思うところなんですけれど、
そういった嫌な目にあってきたと自負している側が
「おじさんとなった中高年の男性って中高年の女性のことを”おばさん”扱いして
失礼な態度しか取らないけれど、若い男性は女性として扱ってくれるし
礼節を知っているからいいわよね。自分好みにも育てられるし」
みたいなことを言っている”おばさん”の言葉を読んで
こんなに見事なブーメラン見たことねぇなって感心してしまったぐらいなのです。
そういうところだぜ、おばさん。
「おじさん」や「おばさん」になってしまう一番の理由ってなんだろう?
っていうと、礼節において隙ができることと(それが人間的魅力でもある場合もある)
相手が合わせてくれていることに慣れてしまうということだと思います。
小汚い格好でも良いという隙や、自分を持ち上げてくれる喜びに目がくらみ
相手が苦痛を感じているかもしれないという想像力の欠如。
それらが「おじさん」「おばさん」という生き物にしてしまうのです。
それは年齢でもなく、ましてや性別でもないでしょう。
先にあげた言葉の「おじさん」部分と「おばさん」部分をそっくり入れ替えると
まったく同じことをおじさんは、おばさんに対して抱いているんですよ。
礼節も知らずに破廉恥で、ぎゃーぎゃーレストランでわめいたり
身だしなみの良かった頃も忘れて体型維持できていなかったり、
だから若くて自分に対して丁寧に接してくれる可愛い子たちを
自ら手塩をかけて自分好みに育てたい。
本当に馬鹿らしい話ですよ。
同じような年齢や年上の良さというものを自分たちが見出してないのに
若い子たちは自分たちのことを「良いものだ」と無邪気に信じている。
頭にウジでも沸いてんじゃないでしょうかね。
知ったことじゃないですけれど。
自分を丁寧に扱って欲しいなら、相手がどんな人であろうと丁寧に扱えよ。
ただそれだけのことだと思いますよ。
それにしても、めちゃくちゃキレてる日記になってしまった(ノ∀`)アチャー
カルシウム不足かな?
<閑話休題>
ここ数年やけにそういった色眼鏡系のWeb記事が増えたなって感じていて
なんで二元論で対立を煽る必要があるんだろうなって考えていました。
おそらく近年注目されることが増えてきた
LGBTQIAで戸惑う人が増えてきて、
元からある二元論に落ち着きたいって人が多いからなんだろうな
なんて推測しています。
私はモヤモヤし続けて二元論じゃないな〜ってのを
一般的な人たちよりは早くに感覚として取り入れていたので
戸惑うこともそんなになかったけれど、
対立ものを好むようなゾーン(今まであったもので安心したい)の人たちにとって
分からないことを考え続けるよりも、知っていることをこねくり回したい。
その方が楽だからっていうことがあるんだろうな。と。
いろんなことを放棄している人が好む記事の形態を目指すと
上記にあげたようなバカらしい記事になっていくのでしょう。
そういったものに煽られずにいたいものです。
とりあえず私のここ数日の悩みは
ドラクエウォークで歩いて育てるスライムの進化で
そこそこ頑張った気がするのに、最終進化の兆しがなくて
うう〜んってなっているぐらいです。
平和だね。
いや、平和が一番じゃぞい。
みなさんも心の平和が乱されませんように。
そんじゃまた。モイモイ。
「男」「女」で分かり合えないように仕組む記事とか消え去ってくんないかな
なんてことを思っていたsachiakiです。
自分がどっちかも分かっていないで混乱したまま30近くまできて、
結局「女」なんだなってことを受けれ入れたものの
それでもよくわかんねーわ、ってなりながら世界と向き合ってる人間にとって
クソくだらねーよって声を大にして言いたいことの一つです。
なんていうかね、「男」っていうボディ「女」ってボディで生まれてしまったうえで
どうにもならない差は生まれてしまっているのは当然だし、
だからそういったところはカバーしていこうってだけだし、
それは「男」とか「女」だっていうものを超えて
苦手なものやできないものをフォローしあうことであって
大きなくくりでいえばジュネレーションなども含んだ
できる方ができない方をフォローすれば良いってだけの話で
わざわざ対立を煽るようなくだらねーもんじゃねーよってことですよ。
そんな中で今日目にした記事はさらにクソくだらなくて
むちゃくちゃイラついてしまったのですけれど、
「女」に生まれついてしまったがために受ける
上司や目上の人の接待役みたいなのもハァっ?って思うものはあるけれど
でもそれは別にいいやって思ってるし、
若い男の子も同じように接待させられてるし、
たんに強いもんが弱い立場に対して甘えているだけだから
それだってクソがって思わなくもないけれど
目上や強いものにお伺いを立てて生きるのも生存戦略だって思えばこそ
自分が強くなりゃ良いだろって思うところなんですけれど、
そういった嫌な目にあってきたと自負している側が
「おじさんとなった中高年の男性って中高年の女性のことを”おばさん”扱いして
失礼な態度しか取らないけれど、若い男性は女性として扱ってくれるし
礼節を知っているからいいわよね。自分好みにも育てられるし」
みたいなことを言っている”おばさん”の言葉を読んで
こんなに見事なブーメラン見たことねぇなって感心してしまったぐらいなのです。
そういうところだぜ、おばさん。
「おじさん」や「おばさん」になってしまう一番の理由ってなんだろう?
っていうと、礼節において隙ができることと(それが人間的魅力でもある場合もある)
相手が合わせてくれていることに慣れてしまうということだと思います。
小汚い格好でも良いという隙や、自分を持ち上げてくれる喜びに目がくらみ
相手が苦痛を感じているかもしれないという想像力の欠如。
それらが「おじさん」「おばさん」という生き物にしてしまうのです。
それは年齢でもなく、ましてや性別でもないでしょう。
先にあげた言葉の「おじさん」部分と「おばさん」部分をそっくり入れ替えると
まったく同じことをおじさんは、おばさんに対して抱いているんですよ。
礼節も知らずに破廉恥で、ぎゃーぎゃーレストランでわめいたり
身だしなみの良かった頃も忘れて体型維持できていなかったり、
だから若くて自分に対して丁寧に接してくれる可愛い子たちを
自ら手塩をかけて自分好みに育てたい。
本当に馬鹿らしい話ですよ。
同じような年齢や年上の良さというものを自分たちが見出してないのに
若い子たちは自分たちのことを「良いものだ」と無邪気に信じている。
頭にウジでも沸いてんじゃないでしょうかね。
知ったことじゃないですけれど。
自分を丁寧に扱って欲しいなら、相手がどんな人であろうと丁寧に扱えよ。
ただそれだけのことだと思いますよ。
それにしても、めちゃくちゃキレてる日記になってしまった(ノ∀`)アチャー
カルシウム不足かな?
<閑話休題>
ここ数年やけにそういった色眼鏡系のWeb記事が増えたなって感じていて
なんで二元論で対立を煽る必要があるんだろうなって考えていました。
おそらく近年注目されることが増えてきた
LGBTQIAで戸惑う人が増えてきて、
元からある二元論に落ち着きたいって人が多いからなんだろうな
なんて推測しています。
私はモヤモヤし続けて二元論じゃないな〜ってのを
一般的な人たちよりは早くに感覚として取り入れていたので
戸惑うこともそんなになかったけれど、
対立ものを好むようなゾーン(今まであったもので安心したい)の人たちにとって
分からないことを考え続けるよりも、知っていることをこねくり回したい。
その方が楽だからっていうことがあるんだろうな。と。
いろんなことを放棄している人が好む記事の形態を目指すと
上記にあげたようなバカらしい記事になっていくのでしょう。
そういったものに煽られずにいたいものです。
とりあえず私のここ数日の悩みは
ドラクエウォークで歩いて育てるスライムの進化で
そこそこ頑張った気がするのに、最終進化の兆しがなくて
うう〜んってなっているぐらいです。
平和だね。
いや、平和が一番じゃぞい。
みなさんも心の平和が乱されませんように。
そんじゃまた。モイモイ。