「よく見える」というのは
「良く」という自分よりも上に見えるのと
「よく」という詳しく見える
ってことの二つの意味があるけれど今回は後者の方です。
なんか自分と違う考え方をする人がいるのは
当然山ほどいることは分かっているけれど
その中でも自分では考えられない心の狭さ方面では
まったく検討がつかなくて驚くことが多いです。
いつでも上から目線でムカつく奴を辞められないsachiakiです。
なんていうかね。
プライドが高いことは良いことだと思うんだけど
客観性が乏しいというか、
傷ついたー!!!って喚いていると
うんまぁそうだね。大変だったね。って思うものの
それがあんまりに「ちっさ!心の器おちょこ!おちょこの裏!」
って思ってしまうとゲンナリしてしまうんですよね。
とはいえ、人が感じる痛みや苦痛は
その人それぞれの大きさによるものだから
そりゃそうだろっていう一言に尽きるんだけどね〜。
人前で自分を笑い物にされるのって
たしかに気分の良いものではないけれど、
例えばそれがほんのりとしたスパイスであったり
「こういうことする奴なんです」ってあって
その後に周りが暖かく迎えているものなのか
そうではなくただのお酒のつまみ的に消費したものなのかは
その時の雰囲気とかでしか分からない。
まぁ一番良いのは「目の前にいる人と笑い物にしない」だし
迂闊に笑い物にした人が一番悪いんだけど、
その一番悪い人を差し置いて、
釣られて笑ってしまった人たちに対して腹を立てるのは
なんか矛先が違わないか?とも思う。
とくに笑い物にした人が自分の尊敬した人だったというのが
その人の心の器の狭さをより感じてしまい
いやそこは尊敬してる人に対して怒れよって思う。
それができずに矛先を変えて怒る浅さに驚きを禁じ得ないし
逆にその考えなしっぽさが怒りに火を注いだのだろうか?
なんてことを考えたりもする。
思考にはスキームという構成要素があって
その人それぞれの感じ方や受け取り方の違いがあり、
褒めたとしても嫌味に取る人もいる。
そういったものを含めて考えると
私が「うっわ、器ちっさ」と思ったことも
認知の仕方がその人と違うってだけでもあるなぁ
なんてことを感じたり。
とりあえず人のことは第三者目線で見るので
当事者じゃない分「よく」見えるなって話でした。
夕飯作りに戻るのでこの辺にて!モイモイ