ここのところお見舞いに通っているので
ほぼ毎日両親に会っているので
子供の頃の話なんかをしてるんですけれど、
30歳になるまでの私は
とにかく天邪鬼な気分がひどくって
自分で自分を制御するのが本当に大変だったんですよねぇ。
遊びたいのに遊びたくないと言ったり
一緒に出かけたいのに一緒は嫌だと言ったり
自分でもどちらが本音か全くわからなくって
あとでワンワン泣いたりしてました。
今思い返しても、なんであんなに引き裂かれんばかりの
自分自身が内面にいたのか謎なsachiakiです。
専門学校に入って多少の天邪鬼は治ったものの
それでもまだ自由度が低いところにいたりすると
この天邪鬼が発動して
メンタルがぐっちゃぐちゃにされたものですが
ダンナ氏であるパンダ氏が「好きにすればいい」と
本当にガチ放置してくれるようになって
いっきに天邪鬼が大人しくなったんですよねぇ。
自分に似合うかわからないけれど着てみたかった服、
やってみたかった遊び、
年齢やキャラ付けでやってみるのは難しいと思っていたこと、
そういったものたちが他人から見たレッテルでしかなくて
それらに自分が縛り付けられていたんだなぁと。
他人から見た時の自分の姿と
そうではない内面から見ている自分の姿との
差が激しく出る時に天邪鬼が声を上げていたみたいなのです。
家族と一緒にいるのを見られるのが恥ずかしい自分と
家族と一緒だろうと外食して楽しみたい自分と
そういったものが背反した時に強烈に天邪鬼が暴れて
外面での自分を押し通そうとして
あとでめちゃくちゃ泣くってことになっていたようです。
どちらも自分ということができるのでしょうが
外面を取り繕うとするとどうもダメになるようです。
というわけで、先日までもうコスとかいいよな……
なんて話を書いていましたが、
絵を描きたいしその絵を認めてもらいたい自分もいるけれど、
コスというか、ヘンテコな格好もしていたい自分もいる。
いい年して露出度高めのものを出すとか
他の人たちが不快に思うだろうとか
嘲笑してくるんだろうとか
どうせ沢山の人に見てもらいたいわけではないだろうとか
売れたいわけじゃないとか、
もっと素敵な人はいっぱいいて自分じゃなくていいとか
色々と考えていたんだけど、
友人のお芝居の中のセリフで
「肉体は裏切り続けて醜くなってくるし〜中略〜
それでも私は女優でいたいの。
おばあちゃんになってもニーナを演じるわ!」
うろ覚えだけどこんな感じのことを言っていて
年老いて醜くて執着でみっともなくて
へどが出そうなほどの”蓄積”があるというのが
すごくイイと思ったんですよね。
外見にこだわる人は多いし、
世の中は見た目が9割だし、
年寄りの冷や水はダサいし、
なにより衰えた姿は見窄らしくって滑稽だし、
それを押し通すまでの覚悟とかないし
バカにされたくないとかあるけれど、
でも好きなことをすればいいんじゃない?って
改めて思い直したところです。
衣装を手放したいってのはあるけれど、
別の衣装を手に入れたいだけなのかもねって
そんなことを思ったりしたんです。
全ての人にバカにされるのは
それはそれでありなんじゃないかって。
認められないとかそういうのでもないんだから
好きなようにすればいい。
そして他にも「やってみたいけれど……」と
躊躇する人たちの前で
私が全ての呪詛を受け止めるから好きにやりなよ
って思えばカッコいいのでは?とか思ったり。
や、それは言い過ぎだし、
先陣を切ってる人たちもたくさんおるのよなw
まぁ色々と書いてきたけれど、
天邪鬼持ちは本人も苦労してんのよという
バカバカしい言い訳とともに
結局のところ自分の好きなようにやるよっていうだけの
どうでも良い日記となってしまいました。
自分だけは自分のこと全力肯定していきましょう!
画像:デッドデッドデーモンズデデデデデストラクションより
浅野いにお 著