大晦日の京都は人が集まりながら、少しずつ休みにも入る間の中で過ごします。
2021年も残り10時間を切りました。年越しは神戸にある、彼女のご実家で過ごさせて頂きました。
また食ってら、と言われる大阪駅弁をサラリと腹に収めて、皆様良いお年をお過ごし下さいと思い願うばかりの、ふさおまき夫婦でありました。
八坂さんから清水寺、ねねの路や二年坂、茶碗坂を歩いて、神様仏様に頭を下げて手を合わせます。
そして街並みに入り、こちらでお雑煮用のお餅を手に入れます。もっちり美味しい力餅、看板には食堂とありますが、年末はお餅屋さんに専念して食堂はお休み。いつも年末にしか来ないので、いつかは食堂で搗き立て餅の入ったうどんなどを食べたいなどと夢想します。
みぞれ混じりの傘をさしての街歩きに、すっかり冷えた体が昼ごはんに求めたのは、こちらなお店。
鯖寿司押し寿司の奥に控えるのは、冬の京都でこその味、蒸し寿司です。刻みアナゴに椎茸と錦糸卵を器ごと蒸しあげてホクホク、体も中から温まります。
京都はいつ来ても見るもの食べるものに飽きる事がありません。
2021年も残り10時間を切りました。年越しは神戸にある、彼女のご実家で過ごさせて頂きました。
美々卯のうどんすきをお母さま、妹さんのご家族と一緒にいただける、幸せ鍋で2021ラスト晩餐を締めくくり、紅白歌合戦を重低音サウンドスピーカーの威力でホール気分を味合わせて頂きながら、
今朝京都で参拝した清水寺からのゆく年くる年も見て、
あゝ、整った流れに身を委ねる喜びを感じたのでした。
そして元旦。
天気は上々、寝坊して初日の出は拝めませんでしたが、お母さまお手製の白味噌のお雑煮でほっこりの新年に、寿ぎの思いが宿ります。
ご用意いただいたおせち料理屋も、品数30を超す豪華な品々で、長寿健康の由来なども確かめながら、少しずつ頂きました。
連日連夜の美味しい食事は食べ過ぎも伴うことは避けられず、
神戸ならではのちょっと行ってきます!の技でお腹を凹ませに参ります。
文字通りの初詣に、坂を少し登った神社へ出向いた後、そのまま境界をすり抜けるようにして六甲山山頂方面に、割に急傾斜の坂に取りつきます。
汗を吸うと急に発熱性能を高めるヒートテックを着込んでいたので、30分も歩き続けるともう汗びっしょり。
風吹岩に到着です。
花崗岩の風を分ける大きな塊はスリットが入り、天の馬鹿力を感じさせてくれます。
神戸の海を見渡し風浴びる雄大勇壮な女神の図、でしょう。
でも帰宅予定時間を30分オーバーしていたので駆け下る天狗に変身です。
家に戻り、ほとんどタッチアンドゴーで、次は隣の市に住む、私の実家へ父と弟を訪ねます。
時間が無いのを言い訳に、彼女の妹さんご夫妻に車で送ってもらい、
帰省先した実家では、弟の用意してくれたじんわり焼き上げた柔らかローストビーフと芋の甘さを生かした栗きんとんを頂くという、
人の好意により甘えたままの正月1日の午後を過ごして、18時15分新大阪発新幹線車上の人となったのでした。
また食ってら、と言われる大阪駅弁をサラリと腹に収めて、皆様良いお年をお過ごし下さいと思い願うばかりの、ふさおまき夫婦でありました。